未知のもの、理解しがたいものについて書くときは輪郭だけをなぞって、あたかもそれについて書いたつもりになる。未知のものについてはそうすることしかできない。輪郭の内側を描写はできない。
だから『ソラリス』について何か書くほど嫌気の差すことは無い。というのは私はこの『ソラリス』という物語の舞台となる、惑星ソラリスとその惑星の唯一の生命である「ソラリスの海」について何ら理解していないのだから。物語中にも多くのソラリスに関する仮説と論文が出てくる。つまり人類のソラリスに対する無理解の象徴として。しかし、人類の理解とか人類にとっての意味とか、そんなものとは関係なしにソラリスの海は存在する。スナウト博士は「欠陥を持った神の子ども」という仮説を提唱したけれど、そういったものでもないように私は感じる。神とか、子どもとか、人間の言葉の概念を超えたところに「ソラリスの海」は存在するように思われる。
「ソラリスの海」は、人間の記憶の奥底に刻み込まれた、抑圧された感情を人間の形をとってその人間の前に現出させる。何のために?誰もわからない、誰も知らない、誰も理解できない。だからこそ、この本を読んでいると、宇宙の中での人類のありかたがおかしくなる、人類の立ち位置がわからなくなる。何かを理解するための読書ではなく、何もわからなくなるための読書になる。だからこそこの本が存在する意味がある。この本を開くと、そこに、人間が把握できる空間とは違う、無理解の深淵へと続く穴が開いている。
物語の中で一番印象に残った台詞を引用して、こんなことは終わりにしよう。この本は読んで感じるためにあって、何か感想を書き残すためにあるんじゃないんだから。分かったような口、理解したような真似はソラリスでは通用しない。そんなことをしてもしょうがない。
「言わないで」
「どうして?」
「わたしがそのひとじゃないってこと、知っていてほしいから」