七度目の鎮西旅行、福岡ポエイチ
 いわゆる九州をときどき鎮西と呼びたくなる。なぜなら「九州」には対馬国や壱岐国や奄美・琉球など海流の島々は含まれないし、どうも孔丘由来の儒教臭さが消えないからだ。だからいわゆる九州地方を示すとき、鯨は鎮西と呼ぶ。西海道よりも語呂がいい。
 福岡に転勤した祖父鯨をおとなう旅が最初の九州だった。父鯨といっしょに3歳の鯨は8月お盆休みの全日空ジャンボ・ジェット機に乗って羽田空港を飛び立ち福岡空港へ向かった。母鯨は東京に残っていた。貧乏籤をひいたようなものだった。機内からのぞいた雲の景色が鮮やかすぎて、まとわりつくような福岡の湿気のことは忘れてしまっていた。
 二度目に九州をおとずれたのは1998年8月、中学二年生の夏休みである。それは城研夏合宿なので鉄道を使って小倉城、福岡城、太宰府、大野城、水城、吉野ヶ里遺跡、佐賀城、唐津城、原城、熊本城と筑豊肥の諸城旧蹟をまわった。大野城で営林署の車に石礫をぶつけた嫌疑だけで三人の山男に説教をくらったのと吉野ヶ里遺跡の高床式倉庫から落ちて足を挫いた以外は、ぼんやりと鉄道に乗り写真を撮っていた。九州はひたすらに暑い、そういう印象だけがあった。帰りの寝台列車で、今は研修医をやっている男が持ってきた「こち亀」を読んでいた。
 三度目の九州訪問は2000年8月、高校一年生の夏休みである。それも城研夏合宿であって鉄道に揺られ小倉城、中津城、府内城、飫肥城、都城城、人吉城、熊本城と南九州を中心に攻めた。小倉では仲間が恐喝に会い、人吉では台風に襲われた。まだ自我が肉体と結びついていなかったのであやふやな記憶しかない。まだ道はどこまでも続いていると思っていたし、まだ精神はどこまでも飛翔すると信じていた。
 四度目の九州上陸は2008年8月12日、また8月だ。青春18切符で西を目指した。山口県の徳山で旧友と会い、福岡の紀伊國屋書店でクンデラの『存在の耐えられない軽さ』を買い、門司港駅前の噴水広場で遊ぶ少女たちの日焼けした素肌を楽しんで、関門トンネル人道を歩いて関門海峡を越えた。帰りの鉄道ではひたすら雲の造形学について考察していた。ただの仕事の憂さ晴らしだったのだ。
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 五度目の九州上陸は2008年9月である。職場放棄をして、携帯電話を穴太寺に捨て、秦野市から九州まで鉄道で逃げてきた。福岡から高速バスに乗って鹿児島へ行き、そこからフェリーで奄美大島へ渡ったときには10月になっていた。国道58号線を古仁屋まで歩き、バスで名瀬に帰った。またフェリーで沖縄へ航って沖縄そばを食べて首里城を回り、一日がかりのフェリーで鹿児島に戻る。鹿児島新港は雨上がりの匂いがした。そこから鹿児島中央駅まで歩いていった。次の行き先は北海道は知床斜里である。宮崎県を鉄道で北上していたときのこと、車掌に
「どこまで行きますか?」
 と尋ねられた。鯨はすかさず
「知床斜里まで」
 と答えた。すると車掌さんはとまどいつつも姿勢をただすと
「この列車は佐伯で止まりますので」
 と大分県の駅名を言って去っていった。
 六度目の九州行は2010年末2011年始の熊本である。東京から青春18切符で二日かけて熊本へ行った。でも特に何もすることはない。熊本市内でボーリングをして熊本城へ行って、ゲストハウスの投宿者から高千穂行きの往復バスチケットをもらって高千穂渓谷を見て来ただけの旅だ。ただ九州に体を持って行っただけのこと。
 そして七度目の九州行は6月10日福岡ポエイチ冷泉荘)参加のための旅である。一度目と同じように羽田空港から飛行機で行く。でも今回は全日空ではなく日本航空を使う。そして本を持って行く。『物語群』と『flugas filozof'』(賢者は飛ぶ)である。西瓜鯨油社はいままで関西には何回か行ったことがある。でも本州を出たことはなかった。そして今回は九州ではじめて活動する。福岡に、眠れない夜を。
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by suikageiju | 2012-05-27 09:31 | 福岡 | Trackback | Comments(0)
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