BARラジカルにて
 8日20時30分、地下鉄西新駅の改札を出て右手、3番出口近くの無機質なベンチに野良評論家久保田輝が座っていた。文学的ストーカー行為を繰り返し、東京や大阪の文学フリマで文学的ナンパを繰り広げてきたこの男は三重県を飛びだして、とうとう福岡市までやって来てしまった。久保田の隣に鯨が腰掛けると改札から高村暦女史が歩いてきた。もしかしたら鯨と同じ電車だったのかもしれない。
 5番出口から出て西新の町を歩く。博多、中洲、天神に続く繁華街として知られる西新だけれど数十歩離れただけでもう地方都市特有のコンクリート的な寂れの湿っぽい臭いが漂う。うす暗い大通りを3人は南東に向かって歩く、まるで藻の生えた海を掻き分けて進むように、文学的な期待で窒息しそうになりながら。城西二丁目交差点の角、右手にある建物の壁にフリードリヒ・ニーチェの横顔がデカデカと貼られている。そこがBARラジカル、福岡における文学的叛徒どもの拠点だ。[BAR ラジカル foursquare]
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 先客がライダースーツを投げ出してカウンターに座り珈琲が淹れられるのを待っている。マスターに対して右端奥から久保田輝、牟礼鯨、高村暦と座った。まず5人は西新そして福岡という土地の確認をする。西南学院や修猷館などがある西新、そして文官で唯一戦犯として処刑された広田弘毅を軸に親不孝通りの予備校文化などで形容される福岡にこびりついた文化の残滓を手探りしていった。
 続いて如何にも文学青年という感じの眼鏡男子が入店して鯨たちとは離れたカウンターの席に座る。彼は西南学院大学読書会『十二会』の人と名乗る。
「どんな本を読むのか」
 と問えば
「世界の文学」
 と答え
「たとえば」
 なら回答は
「20世紀後半の作家」
 である。そこで久保田が「カフカとか」と頓珍漢をするが、彼は表情を変えることなく
「マルケスとか」
 と言った。ガルシア・マルケスなら鯨も昔少しかじったことがある。何でも直近では『コレラの時代の愛』を読んだと彼は告白する。
「是非とも『予告された殺人の記録』を読んでもらいたい」
 と鯨は勧めておいた。それに頷くようにして頭を垂らし、再び彼は目の前の印字された紙の束に目を落とす。
 やがてポエイチの交流会に参加していた森井御大が入店した。そこで御大に暦、輝、鯨の4人は将棋盤のあるテーブルにグラスを移し語り合った。
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 森井御大にとって高村暦と久保田輝は初対面であり、久保田輝にとって森井聖大は初対面であり、高村暦にとって森井聖大は初対面であった。まずはそれぞれの存在理由の確認から入った。そして久保田が「何故?」の今後を森井御大に問うと、御大は商業誌に活動の拠点を移すと宣言した。理由はもう同人誌が嫌になったからだと云う。賢明な選択だと思った。「鯨も同人誌であることに行き詰まりを感じていると思う」と森井御大は言いのける。それは確かに鯨もそうだと思っていたのですぐに肯んじた。その上で御大は
「鯨も小説だけで食っていきたいんだろ」
 と半ば押しつけるように言ってくる。そこで鯨は
「そんなことはない」
 と答え
「カフカが作家としての鯨の理想像である。どんな作家であっても浮き世の義理として働かなければならない。それは書くこととは別だ」
 と補足した。もちろん死ぬまでということではない。もうこれでたくさんだと思うまで浮き世で働いて、不必要なことで騒ぎ立てたとしても書く自由を与えてくれた社会に報いる、それが生活者による生活者のための文学の根拠であり糧だ。その答えに森井御大は不服だったようで
「でもカフカは生前無名だったではないか」
 と言う。もちろん本当に無名であったとしてもだからどうしたという質問だったが、それは文学史とは別の作家神話に過ぎない。カフカは世界的ではなかったにせよ無名ではなく、むしろ有名だった方だ。そこで
「そんなことはない」
 と否定するもここで森井御大と鯨とで押し問答になる。BARラジカル中に2人の怒号が反響し、緊張感で満ちたけれど、2人とも文学フリマ界隈きっての大人なので、埒があかぬと知れるや話題を一旦やめた。いつの間にかメインストリームの桜子さんと尖った感じの青年が入店していた。
 森井御大が商業誌を目指すのは、長年同人誌をやってきて嫌になったからと云う。それは同人誌が商業誌の下部組織でしかないことに我慢がならないからだ。そこで一度森井御大自身が新人賞などを取って名を上げてから文学フリマに戻ってくる。そして大塚英志が掲げていたように、既存の出版業界に並ぶ対等な市場として文学フリマを有力作家森井御大が活性化していく。つまり文学フリマ全体が文壇的なものと対立するものとして一致団結し、もう一つの文学の市場を樹立するために運動をしなければならないというものだった。不遇な時代が長くて御大も日和ったなと思った。
 とは言え森井御大が商業誌を目指すのは応援したい鯨であったが、またもや御大は「鯨も商業誌を目指せ」と言ってくる。まるで技量がなく努力もしないくせに名声だけは得たい我が儘な屑どものように。そこで
「もし商業をやるならまったく書くものを変えなければならないから嫌だ」
 と答えた。
 森井御大はそれに対し「商業もそれ以外も違わない」と言ってくる。
「そうは思いたいが、商売として見た場合、文学フリマに出てくるような本は商品として成り立たない」
 と鯨は反論する。ここでまたもや鯨と森井御大による「違わない」「違う」の押し問答が続く。さすがの鯨も頭に血がのぼってきて「森井さん、あなたはまさか自分の進もうとする道を歩むのが怖くて、同意を欲しがっているのですか」とか「商業もそれ以外も違わないというならあなたが商業誌でデビューしたいというのは文学のモンドセレクションを受けたいということだけですか」「あなたの作品は商品化すると単純につまらなくなるだけだ」と言おうと思って喉まで出かかったけれど止めにしておいたくらいである。
 ここで久保田が森井に同調して文学フリマが一致団結しなければと傾いたので、鯨は対案として、文学フリマに出ている作家は書く意志はあるが読解力も批評力も思考力もない、そんな作家達を文学フリマという枠組みでくくって一致団結させても意味がないと意見。商業誌に対立するための文学フリマにするのであればそれは商業誌、或いは久保田の言う「文壇」という実体のないモノ、によって文学フリマが未来永劫規定されることになる。それは対等なもう一つの市場と言えない、下部組織のまま。文学フリマがもう一つの市場となるためには個々のサークルが「文学フリマの~」という冠を廃して主体として「~が参加している文学フリマ」にならないとダメだ。そのためには個々の作家が森井さんみたいに商業誌で活動する道もあるし、或いは研究職で活動する道もあるし、痴漢で逮捕されても、即戦力として就活しても、政治活動に身を投じても良い、ただそういった色んな局面で活動をしている作家が文章という共通項だけで括られる場としての文学フリマに期待すべきであって、文学フリマの中身である従来の作家どもに期待してはならないということを述べた。だからこそ鯨は多様な人間の生き様のひとつとして森井さんが商業誌で書くことを応援したい、最後にそう付け加えた。
 そこでようやく森井御大と牟礼鯨の間で意見の一致というかなんとなくお互い納得しあえる公約数を見つけて話は一段落した。
 それからは久保田が次々発表している文芸同人誌に対する論文がアカデミックでもなく、一般読者向けでもないどっちつかずになっていることを指摘し、それに久保田が恩寵の時間やらインターネット以前やらとごちゃごちゃ言って、高村暦がメモをとりつつ散らかされた話を収束していき、暇になった牟礼鯨が森井御大と久保田の似顔絵を余白に描いて夜は更けていく。疲労感と浮遊感と、森井御大がBARラジカルのまんなかでタバコをくわえたまま浮遊し出した。そしてどんなもんだいと天井を紫煙で燻す。なるほどねと鯨もふうんわりと浮かび、頭を下にしてこぼさないように淹れたての珈琲を啜る。カウンターの向こう側でマスターが口をあんぐりとして宙に浮いている2人を見る。それを眺めていた高村暦も祈るようにして数センチだけ椅子から浮いた。久保田もかぶりを振って3人を見て「浮かなくちゃ」と思ったのだろう。椅子の上で踏ん張るがひねり出たものは屁だけだった。
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 そして23時半を過ぎると何事もなかったように4人は椅子の上に座っていた。ネットカフェに泊まる森井御大以外の3人は瞼をパチクリさせそれぞれの寝床へと戻っていく。美大3年生の喫茶店における美術論談義の域を超えないようなラジカル談義だったけれど、それぞれがなんとなく満足してその日を終えることができたのは幸いだったろう。でも本当に幸いだったのは順当に考えてBARラジカルのマスターであった。


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by suikageiju | 2013-06-12 20:28 | 福岡 | Trackback | Comments(0)
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