カテゴリ:チュニジア旅行記( 7 )
空港まで歩く
2005年3月7日
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 午前6時に朝食を摂る。エルハナはスーサのエルハナビーチよりも菜単が貧弱だ。朝食後、ダール・アル・アブダラー博物館へ行き、帰りはスーク(市場)で箱のお土産を10ディナール(言い値は40ディナール)で、また、チュニジアおやじ達が着ていた茶色のコートをこれまた25ディナール(言い値は40ディナール)で購入した。風が強い。
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 11時15分までホテルで粘りネプチューン食堂で少し早めの昼飯を食べる。まだ今日のランチメニューが書き上がらないときに入店して、食べているときにメニューが書き上がっていた。店員が説明してくれたクスクスとマカロニのうちクスクスは昨日食べたのでマカロニを注文する。出てきたのはなんとスパゲッティだった。しかも味は肉とソースだけ。食べている内に哀しくなってpommeを頼もうとするが無いとの返事。で、ファンタを頼む。で、飲む。そして空港まで歩いていくことを決意する。地図で見るとそこからどうやら10㎞はある模様。歩けない距離ではないといえ見知らぬ土地での長距離歩行はきついか。でも時間はあるのだし休み休みゆっくり行けばいいしゆっくり行ってもまだ離陸時間まで7時間あるのでと空港まで歩くことを決行する。食堂を出て11月7日広場から北上していく。今日は昨日までの疲労感は薄れ、体中すっきりとしている。抜けるような青空も気持ちがいい。そしてラ・メゾン・ブランシェの角を右折しまっすぐ歩く。ここいらから道は舗装されていない泥道と化す。そしていつか道は郊外の都市間道路の様相を呈してくる。トラックに乗った少年が鯨に向かって叫ぶ。なんだか英雄になったみたいで気持ちが良い。もしかしたら罵声を浴びているのかも知れないけれど。35号線のバスが旅客運送をしているのを見てこの道があっていることを確認する。それはチュニス到着の日に乗ったバスの路線だ。
 そして前近代的な飛行機のモニュメントが見えたので左折。石油タンク(ガソリンタンク?)が見えたので空港地区に着いたのだということを確信する。しばらく行くと空港らしき建物が見えたので期待するがよく見ると見たことがない建物だ。看板には「AEROGARE FRET」と書いてある。なんなのかよく分からなかったけれど旅客用の建物へはもっと歩くのだと道ばたにいたおっちゃんは教えてくれた。どうやらそこは貨物専用の空港施設のようだ。箱詰めは嫌なので前進。すると前に見たような建物が見える。1時間ちょっと歩いてやっと空港に到着である。チェックインにも早すぎて空港のカフェでchocolat chaudを頼む。
 空港の土産物屋にも飽きたので無駄な抵抗ではあるが空港の西へ歩いて行ってみる。なにしろ風が強いし、寒いし、何も無いし、心細いし道が立体交差だしと戻ってきてまた土産物屋を冷やかしたり、絵画の説明を受けたりした。そして飽きるとまたおなじカフェであるCAFFE RITAZZAの同じ席、つまりカウンター席の一番端のかべに背中をもたれさせてまたchocolat chaudを頼む。というより店員がなにか言ってうんうんと頷いていたら出てきたのがそれだったのだ。1ディナールだから気にしない。昔は1ディナールで1人が年間に食べる量の小麦を買えたのだと佐藤次高教授が言っていたのを思い出す。それが今やチョコレート1杯だけだ、ディナールの価値も下がったものだ。それからチェックインと出国審査を済ませる。職業とかいろいろ訊かれたけれど理解してくれて無事に出国できた。持っていて両替できなかったディナールを減らすためゲート内のカフェでミルクティーとガトーショコラを食べる。
 チュニスからパリへの飛行機の機内食も最低だった。カイラワーンでクスクスを食べたときの感動を一瞬で無に帰すような味だった。味つけのないクスクス、チーズのはいったサラダ、まずい魚の缶詰、冷えた豚肉。とにかくまずい。デザートも水っぽくてまずい。おいしかったのは唯一パンだけ。
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 チュニジアの一般的な民家の扉につけられた「ファーティマの手」
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by suikageiju | 2013-04-02 23:57 | チュニジア旅行記 | Trackback | Comments(0)
25ディナールのコカコーラ
2005年3月6日
 チュニジアで迎える5回目の朝、朝食を摂るけれど案外食欲がなかったので少しだけ。そしてすぐにホテルを出て7時21分初チュニス行きに乗るためスーサの街を走る。急ごうと近道をしたら迷う。ここで得たけれどいつも忘れる教訓は急がば回れ。それでも無事にチュニス行きの列車に乗れた。時刻表がチュニス行きもナブール方面行きと同じ区割りに書いてあって少し混乱する。ナブール駅行きの支線にあるハマメット駅に着いたときには違う列車に乗ってしまったのかと思ったけれどその心配は杞憂に終わり、チュニス行きはそういう路線なだけであった。外国の鉄道に乗るときは全国路線図があると便利だ。チュニス駅の駅前の露店でクルアーンを二冊買う。露店のおっちゃんが訝し気に鯨を見る。安心したまえ、このクルアーンは焼く用ではなく単なるお土産だ。
 旧市街にあるダール・アル・アブドラーを観ようとするが日曜日で休館であることを知り思いとどまる。旧市街は明日の午前に行くことにする。そのためまたチュニス・バルセロナ駅にとって返し市電=メトロの4号線に乗ってバルドーへ。あまり行く気がしていていなかったバルドー博物館を見る。なぜならモザイク画ばっかりだから。噂や予想にたがわずそこはモザイク画ばっかりだった。どこへ行ってもモザイク画。そして中国人の団体客が魚のモザイク画を背景に写真を撮っているのでうんざりする。博物館を出てバルドー駅へ戻って切符を買おうとするが切符売り場がない。そのため0.5ディナールを左手で握りしめて列車に乗り込む。そして4号線のIbn Rashid駅で降りる。この駅にも切符売り場も検札所もない。結局運賃を払うことが出来ず薩摩守忠度である。まあいいや。歩いてカイロ通りへ向かい、カイラワーンで食べて忘れられぬクスクスをここチュニスのネプチューン食堂でも食べる。注文するとものすごい大きさの人参が載っかっているクスクスがでてきた。一人で食べるには多すぎたけれど食べきった。少し早いけれどエルハナインターナショナルにチェックインする。
 スーパーマーケットへ行き晩飯を買って食べようとしたら見事に休みだった。そこでハビブ・ブルギバ通りを歩いているとカミルと名乗る男に声をかけられた。「ブルギバ・スクールで英語を習っていて、ヤマモトという日本の横須賀にいる友人に日本語の手紙を書きたい」と言う。もちろん嘘である。旅の疲労で正常な判断力を完全に欠いていた鯨は「まぁ今回の旅行はたいしたトラブルらしいこともなかったから何かありそうだから随いていくかな」と思ってカミルに随いていくと裏道のカフェに連れていかれる。黒い壁に覆われていて、スキンヘッドで筋肉隆々の男がカウンターで腕を組んでいる。もうヤバいなと直感する。そこでテーブルにつきカミルは何か飲まないかと言ってきたので適当に「コカコーラ」を注文する。するとカミルは1ディナール出せと言う。そこで1ディナールを出そうと財布をポケットから出すと瞬く間にカミルは鯨の財布を奪い1ディナールを数枚と10ディナール札を2枚ほどパクって鯨に財布を返した。早業だった。これは玄人だなと鯨は思った。それでカミルはジュースを買いにカフェを出たのでもう戻ってこないと思った。スキンヘッドの男はまだ腕を組んでいる。数分後、カミルがビールとコーラを手に戻ってきた。それからくだらないお喋りをする、写メールなんかも撮りやがる。泊まっているホテルを訊くので「近くのホテル」と答えると「アフリカ?」と訊くので「そうだ」と答えた。名前は?と訊くので「牟礼」と本名を答え、今日は夜まで遊ばないかと言えば今日は19時に寝ると答える。胡散臭く思っていることが伝わったのか外に素晴らしい博物館があるというのでカミルに連れ出される。「疲れている」と言うとホテルへ行こうと言われるが面倒なことになりそうなので「やっぱり博物館へ行こう」と言い直す。道すがらカミルは「カメラは持っているか」と訊くので「持っていない」と答える。するとカミルは鯨への興味を無くしたのか「あそこの角を右に曲がると博物館がある」と言って去っていった。もちろん行くわけがない。別れたらさっさとホテルへ戻った。
 盗られたのが25ディナール。コカコーラとビール代としては高すぎる。カメラを出したらきっと盗られていただろう。話のネタとしても25ディナールが高いのか安いのかわからない。そこで諸君、ここは一つ「日本の友人に手紙を書く」と言う奴には警戒しろ。あと財布はちゃんと小分けにしておけ。鯨はそうしていたおかげで持ち金を全て盗られることはなかった。そんなカミルの一件もあり疲れたのでスーパーマーケットで食事を買う以外は外に出ず、そのまま寝た。
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by suikageiju | 2013-03-31 21:54 | チュニジア旅行記 | Trackback | Comments(0)
第三の都市スーサ
2005年3月5日
 朝起きると雨だった。朝食を済ませたら雨はやんだのでアグラブ朝の貯水池へ行って開門を待っていたら雨がまた降り出した。疲れがたまってきた。一旦ホテルに戻る。途中にバイクに乗ったおっちゃんに「メディナ(旧市街)まで乗せようか」なんて誘われるけれど無視した。ホテルのラッカーダでジュースを飲み、雨がやむと城壁伝いにグランドモスクへ。また城壁伝いに霊廟を見てからビル・バルータへ。ここで見たのは、たぶん一生井戸のまわりで聖水をくみ上げるためだけに歩き続けるかわいそうな駱駝。歩くのを見ていると係員がコップ一杯の水を鯨に差し出す。いくら聖水とはいえ飲んだらヤバいんじゃないかと思ったけれどさすがに聖水を断るわけにはいかず飲んだ。どうなることやら。カイラワーンの惨劇にならなければ良いが。
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 またアグラブ朝の貯水池へ行く。開門していたけれど場所がわからないので工事中の建物に立っていたおっちゃんに訊いたら「柵がないところから入れ」とのこと。まあ、いいやと思いそこから入る。貯水池は達磨状になっていて小さな丸池で浄化し大きな丸池で貯えておくのではないかと思う。そんな貯水池が二組あった。そこで女2人男1人の嫐型な子供たちにからかわれた。韓国人と間違えられたのだろうか。そして聖廟へ行くが見事に入れずそのままルアージュ・ステーションへ。スーサ行のルアージュに乗り込む。運転手は携帯電話で会話しながら運転していた。スーサで降りて歩く。ルアージュで隣に乗っていたおばさんに声をかけられてメディナへの道のりを訊かれて答えてあげた。観光客はよく道を知っているの原則を守ったのだ。
 そしてスーサの街を観光する。博物館へ行ってカスバを見る。それから旧市街のど真ん中を通ってリバトへ。スーサはカイラワーンに首府を置いていたアグラブ朝がシチリア島など南地中海の通商路を制圧するための主要な港であり、リバトは港の見張り台の役目を負っていた。そういえばブルジュ(burj)、カスル(qasr)、リバト(ribat)、カスバ(kasba)はいずれもアラビア語で城塞、城砦、城塔、城館などを指す単語だけれど明確な違いはあるのだろうかと気になった。地方と建築用途の違いからいつか分類してみたい。
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 そしてホテル・エルハナビーチへ。またテレビがない部屋だった。近くのファーストフード店でピザを食べる。まずい。それから部屋に戻り19時半まで寝ていた。そして寝ぼけ眼のままホテル地階の食堂へ。夕飯を食べて寝た。
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by suikageiju | 2013-03-24 19:39 | チュニジア旅行記 | Trackback | Comments(0)
聖都カイラワーン
2005年3月4日
 一人旅はとても気楽である。本来一人で旅行するのは病気やトラブルの際には非常に不安で危険なのだけれど何故だろうか? しかしそれはパートナーが優秀なパートナーである場合の話だ。とても限定された話だ。もしパートナーがわがままで偏屈でまじめで田舎出身で早稲田生であったとしたら最悪だ。平穏無事な旅でさえそれは危険きわまりない地獄行となる。そんなパートナーならいないほうがマシである。なんでこんなこと書いているのだろう。頭がおかしいのかな。
 朝食を食べたあとぐったりしてそしてスーサ駅へ。そこには日本のパワフルなおばあちゃんがいた。どうやら時刻表と電車到着時間が違うらしい。よくわからない。電車を待ちながらおばあちゃんと話す。そのおばあちゃんも一人旅らしい。その後やって来た電車でエルジャムへ。今までとはかなり違う田舎町。駅から歩く途中で日本人らしき女性2人を見かける。エルジャムのローマ時代の円形闘技場はとにかくでかくて保存状態が良い。圧倒された。保存状態で言えば旧ローマ帝国領で三本の指に入るらしい。
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 それから円形闘技場とは反対側にある博物館で青い服を着た禿頭のおっちゃんの説明を聞いた。親切な人だった。
 そのあと鉄道の走っていない聖都カイラワーン(仏語;ケロアン)へ行くルアージュ(乗合タクシー)を探すために一時間弱、駅前をウロウロする。違う建物に入ったり駅にいたりした。不審な日本人に見えたかも知れない。どうやら持っていた『地球の歩き方』のルアージュ乗り場の位置が間違っているようだと気付くのに一時間弱を要した。この地でくたばるのかと思った。結局最後に訊いた警察官に正則アラビア語でルアージュ乗り場を尋ねたところフランス語で道案内されてやっと場所がわかった。『地球の歩き方』に書いてあったルアージュ乗り場から博物館の方へ行かずタイーブ・メヒリ通りを100mくらいに西に行き少し右に入った広場がルアージュ広場だったのだ。
 しかしちょうどカイラワーン直行のルアージュはなくとりあえずスーサへ向かう。追い越し追い抜きをする乱暴な運転手であった。そしてスーサでカイラワーン行きのルアージュを紹介して貰い12時半に出発する。こちらは控えめに乱暴な運転だった。しかも途中の民家で何かを届けるために停まった。そして何キロも続くオリーブ畑の中を走りカイラワーンに到着。降り場は旧市街から遠かった。ここで宿泊する。歩いてホテルまで行くと肉屋街の店先で何頭もの牛の頭が掲げられていた。新鮮な肉を扱っていると証明しているのだろう。街はどことなく埃っぽい。宿泊するラ・カスバはとても豪華で旧市街の城壁をそのままホテルにした感じ。
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 ラ・カスバの部屋で一休みしたあと聖都カイラワーンの旧市街を散策する。ここはイスラーム教徒にとってメッカ、メディナに次ぐ第三の聖地として知られる。というものこの旧市街が初期アラブ帝国における北アフリカ統治の拠点であったからだ。またアッバース朝から独立して北アフリカ・南地中海に勢力を誇ったアグラブ朝もカイラワーンを首府とした。しかしファーティマ朝の勃興によってイフリーキーヤの中心地はマフディアに移り、やがてハフス朝時代にはチュニスが中心地となる。旧市街のサブラという店でクスクスとサラダとポン(林檎みたいな小さな黄色い果実、あまり甘くない)を食べグランドモスクを観てからラ・カスバに帰る。晩飯を食べにまた旧市街に。ジュネス(たぶん)で辛くてまずいグリーンサラダとタジンそしてマクロウドを食べる。ちょっと食べ過ぎかも知れない。腹一杯になる。
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 夜のニュースで東京が大雪と知り驚く。こちらはとても暑いのだけれど。
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by suikageiju | 2013-03-23 23:51 | チュニジア旅行記 | Trackback | Comments(0)
救世主の街
2005年3月3日
 朝3時に起きてぼうとテレビを観て外の様子を見ようと思い硝子のテーブルの上に乗ったら硝子が割れた。すとんと足裏から落ちて痛みを感じた。右足の土踏まずと左脚の薬指を切ったので絆創膏を貼った。出発の支度をしてエルハナの白髪混じりのフロントにそのことを言ったらちょっと古い方のパソコンを調べて「問題ないです」との返事。たぶん海外旅行保険に加入していたからだろう。その場でチェックアウトした。チュニス・バルセロナ駅Gare de Tunisへ行き6時発ガベス行きの電車を待つ。6番ホームに入って来た電車で予約席のある1号車はどこか迷っていると東アジア人を発見した。女連れである。どこにいてもセックスを欠かしたくないのだろう。性に対して律儀なことだ。チュニス郊外の車窓風景は良かった。これが「世界の車窓から」か。チュニジアの朝焼け三色旗は美しい。車内のトイレは水洗式ではなく足で踏んで車外に落とす形式であった。8時前にスーサに着くと歩いてメトロの駅へ。
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 スーサから目的地マハディアへは往復切符を4.92ディナールで買える。出発しモナスティルで単なる車両の乗り換えをする。鉄道会社の管区が違うのだろうか。そこからは駱駝って普通に道を歩くんだねという車窓風景。
 自身をイスマーイール派のイマームにしてマフディー(救世主)だと宣言したファーティマ朝初代カリフ・ウバイドゥッラーが都を置いたマハディア(救世主の街)にメトロは到着する。この街はファーティマ朝史研究者として是非とも訪問したかった。魚市場に隣接したメディナで魚のグリルを食べる。パンにつけて食べる豆入りトマトソースもおいしいし、何より白身の焼き魚が絶品だった。ポテトフライも野菜もオリーブオイルたっぷりでとってもラズィーズン。旧市街の入り口にある門の上に立って半島状に突き出たマハディアの旧市街の姿を確認する。三方を囲まれた半島を城壁で囲んだ城塞都市は異端であるイスマーイール派の拠点に相応しかったのだろう。当時のチュニジア(イフリーキーヤ)にはシチリア島まで支配下に置いたアグラブ朝(首府カイラワーン)がファーティマ朝の敵としてまだ健在だった。それから旧市街へ。モスクとブルジュ・アルカビール(大きな城塞)を観る。
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 それから墓地を抜けて、その先の港跡を観ながらマハディア半島の尖端まで行き五円玉硬貨を投げた。日本人がここまで来たという証に。ただそこにはフランス人の釣り人がいた。話してみたら変なおっちゃんだった。
 旧市街の北側の海岸通りを彷徨ったあと疲労困憊の態でメトロに乗り込む。体力の限界に達したこともあるけれど、幾度となく死について思っていたからだろう。15時半ごろにスーサに着いた。ホテルまでが異様に遠く、ホテルにチェックインして402号室にたどりつくと一旦寝た。そして目が覚めてからビーチエリアでレストランを探す。探していたLa Mamaは見つからずRoi du Couscous(クスクスの王様)とかいう店で食べる。サラダミックスとよくわからない肉とフライドポテト。腹一杯に食べた。スーパーマーケットでDanoupと水を買い部屋に戻る。久しぶりに浴槽にお湯を貯めて入った。寝た。
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by suikageiju | 2013-03-23 20:25 | チュニジア旅行記 | Trackback | Comments(0)
カルタゴ探訪
2005年3月2日
 エルハナの朝食サービスはパンの種類が豊富でオレンジジュースは濃厚でダノンのヨーグルトもあり充実している。しかし野菜が少ない。朝食を食べたらハビブ・ブルギバ通りを散策し11月7日広場(11月7日はヤスミン革命で亡命したベン・アリーの大統領就任記念日なので現在は2011年1月4日広場と改名)の時計塔を見てチュニス・マリン駅へ行った。
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 チュニス・マリン駅からはTGMに乗ってカルタゴを目指す。2等なので結構混んでいて女子大生?が美人だった。駅に着く度に乗車率が高くなっていった。駅の表札も無くなったので大量のパンを持っていた人に「ここはどこの駅」と正則アラビア語で尋ねると「カルタ―ジュ・ビュルサ」と教えてくれた。アラビア語が通じたことで気分を良くし、カルタ―ジュ・ハンニバル駅で乗車率200%の混雑の中「降りたい」と叫んで押しのけながら降りた。まずはビュルサの丘にあるカルタゴ博物館を見てからローマ人の住居跡やローマ劇場跡を見た。
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 それから南下しアントニヌスの浴場を見てから海岸伝いに歩きカルタゴ時代の軍港跡を見る。ローマ人の土木建築技術もすごいけれど、通商国家カルタゴも侮れない。それからタニト神の聖域では神に捧げられ犠牲となった子供達の墓を見る。言ってみれば単なる墓地だし、野蛮な異教の聖地だからだろうか、鯨以外に観光客はいない。
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 それから闘技場を見て足が疲れたので市内に帰る。駅で20.5ディナール払ってすぐにお釣りをくれなかったので待っていると追い払われた。運賃なんて0.65ディナールくらいでお釣りがないなんてことはないので「お釣りを返せ」と言っても駅員は頑として聞かない。しかたなくやって来た電車に乗る。後でお金を計算すると本当は105ディナールあってもいいのに手持ちは84.85ディナールである。このカルタゴ行で鯨は20ディナールを無為に失った。ここでは勉強代と思うことにするけれど、ひどい奴らだ。駅員も信用ならない。
 帰りの電車はほぼ満員で扉が閉まりきらずにギリギリ扉につかまって乗っているような状態だった。
 明日の移動のためにチュニス・バルセロナ駅に時刻表をもらいに行こうとしたが案内所には置いていないとのこと。じゃあ、いつ電車が来るんだよ。朝5時には起きてチェックアウトして駅で電車が来るのを待っていることにする。
 カルタゴへ行って疲れているから寝ていればいいのにメディナ(旧市街)へ足を伸ばす。スーク(市場)を冷やかしているとここにもいた「さらばじゃ」男。いったい誰がそんな日本語を教えたんだろう。そしてメディナのなかの食堂マハダウイでトマトのスープに卵をおとし、フライドポテトと七面鳥の揚げ物を食べた。パンはおまけについてきてしめて4.5ディナールである。旧市街への入り口となっているバール門の前に建つ庶民向けスーパーマーケットMagasin Généralでミックスジュースを0.36ディナールで購入し飲みながらチュニス市街を散策する。Magasin Généralでは、昇りのエスカレーターは動いていたけれど降りは停まっていた。チュニジアの国力の限界を感じた。アラブ連盟の国だが街並みはフランス風である。これはチュニジア侵攻とバルドー条約、そこから70年以上続いたフランス保護領時代の影響であるがそれ以前のトルコやアラブの面影もモスクやミナレットなどで見ることができる。人種もアラブ系が多いけれど黒人や白人もいる。ただイブン・ハルドゥーンの銅像はフランス的だ。
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 歩き疲れてホテルに戻って寝転んでいると部屋係の可愛い女の子が枕のカバーを替えに来た。鯨がいることを知ると一度部屋を出て彼女はまた戻ってきた。部屋に忘れて無くなっていた折りたたみ傘を持ってきてくれたのだ。「ありがとう」と礼を言うと「あんたアラブ人?」と訊かれ「いや、日本人だ」と返すと残念そうに去っていた。宗教上の問題だろう。
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 夜のチュニスは雀のような鳥が大挙して群がりチュンチュンやるのでうるさい。ふたたび街に出てMagasin Généralで夜食と明日の朝食、それに水を購入する。しめて3.23ディナール。
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by suikageiju | 2013-03-23 09:56 | チュニジア旅行記 | Trackback | Comments(0)
首府チュニス
2005年3月1日
 成田パリ便の機内で、たぶん大学生だろう若い男女4人組がパリでどこを観光するかガイドブック片手に楽しげに話しているので苛立つ。どうせパリでセックス三昧なのだろう。こちらは何が楽しくてか北アフリカ一人旅だ。着陸前の機内放送にてCDG(シャルル・ド・ゴール空港)でのAF1284便の乗換案内がなくて動揺するけれど、これも少数派志向者の宿命だとほくそ笑む。CDGにおけるトンンジットのチェックは少し厳しい。機械と人との2段チェックで、「人」のチェックの際、海外ではじめて鞄の中身をあけた。鞄の中に入っていた『パスポート初級アラビア語辞典』を見た男性係員が胸元で腕を交叉させながら「ジーザス」について英語で教えてくれるけれど、意味不明だった。「ジーザス」が何なのかを知らなかったのだ。
 トランジットを過ぎたあとで眼鏡ケースを忘れていたことに気づき、先ほどのあの「ジーザス」さんを通り過ぎて戻って「機械」でチェックをしていた黒人女性の係員に「迷彩色の眼鏡ケースをここに忘れました」と伝えるとそのお姉さんのポケットのなかにちゃんと保管されていた。忘れ物がちゃんと手もとに返るなんて幸先が良い。AF1284便の搭乗時間は15時30分だったけれど、何かトラブルがあったらしく15時40分に変更された。
 AF1284便は今までに鯨が乗ったことがないほど小さい機体だった。横6列である。鯨は最後尾の窓際に座った。周囲には誰も座っていなかった。他の乗客は前の方に座っている。
 美食の国フランスの航空会社なので機内食はさぞうまかろうと思ったけれど不味かった。内容は
  ・生肉と大量の豆
  ・カレー風味の揚げ物
  ・苦いチーズ
である。冷たくてまずい。かろうじて食後のチョコレートケーキだけがおいしかった。オレンジジュースをズボンにこぼしてしまい、スチュワーデスに子供のように処理してもらってちょっと恥ずかしい。金髪でとても美人なスチュワーデスがいたので、フランス語をちゃんとやっておけば良かったと後悔する。
 飛行機はチュニジア入境後、雲の中で乱気流にまきこまれて揺れる。チュニス・カルタ―ジュ空港での入国後、1万円札を両替した。115ディナールになった。
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 夜のチュニスは雨だった。雨の中、空港の向かい側にある「635,35」路線のバス停でスペイン人のおじさんと立ち話をしながらバスを待つ。バスは前から入り前から出る形式。市内までのバス運賃は0.45ディナール(=450ミリーム)だが5ディナール紙幣しかなく車掌らしき人にそれを渡すとまず500ミリーム貨だけを返された。これでいいのかなと疑問を抱きつつも早く座るように言われたので座席に座り、発車してスプリングが効いていないのかめちゃくちゃ揺れるバスの車内から雨に濡れるチュニスの夜を眺めている。終着地に着いて降りるときに車掌は100ミリーム貨1枚、1/2ディナール貨3枚、1ディナール貨2枚というめちゃくちゃな組み合わせでお釣りを返してきやがった。しかも足りない。ともかくバスを降りてチュニス市内をさまよう。チュニス駅を見つけてしまい反対側に来てしまったと引き返す。初日から道を間違えるとは。雨の中をしっとり濡れながら歩き、ハビブ・ブルギバ通りとパリ通りに面する目的の宿エルハナ・インターナショナルでチェックインする。部屋は325号室だった。一人旅にしては過ぎた豪華な部屋だった。アルジャジーラ放送が観放題だった。フランス語のテレビ放送も流れている。しばらくベッドの上でぼうっとした後、あのまずい機内食以来何も食べていないことに気付き、ホテル隣のファーストフード店へ行って自分で選んだ具材を挟んでサンドイッチを作ってもらい水を買って2.2ディナール。とにかく空腹を満たして安堵した。シャワーを浴びて寝た。
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by suikageiju | 2013-03-22 23:03 | チュニジア旅行記 | Trackback | Comments(0)