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25ディナールのコカコーラ
2005年3月6日
 チュニジアで迎える5回目の朝、朝食を摂るけれど案外食欲がなかったので少しだけ。そしてすぐにホテルを出て7時21分初チュニス行きに乗るためスーサの街を走る。急ごうと近道をしたら迷う。ここで得たけれどいつも忘れる教訓は急がば回れ。それでも無事にチュニス行きの列車に乗れた。時刻表がチュニス行きもナブール方面行きと同じ区割りに書いてあって少し混乱する。ナブール駅行きの支線にあるハマメット駅に着いたときには違う列車に乗ってしまったのかと思ったけれどその心配は杞憂に終わり、チュニス行きはそういう路線なだけであった。外国の鉄道に乗るときは全国路線図があると便利だ。チュニス駅の駅前の露店でクルアーンを二冊買う。露店のおっちゃんが訝し気に鯨を見る。安心したまえ、このクルアーンは焼く用ではなく単なるお土産だ。
 旧市街にあるダール・アル・アブドラーを観ようとするが日曜日で休館であることを知り思いとどまる。旧市街は明日の午前に行くことにする。そのためまたチュニス・バルセロナ駅にとって返し市電=メトロの4号線に乗ってバルドーへ。あまり行く気がしていていなかったバルドー博物館を見る。なぜならモザイク画ばっかりだから。噂や予想にたがわずそこはモザイク画ばっかりだった。どこへ行ってもモザイク画。そして中国人の団体客が魚のモザイク画を背景に写真を撮っているのでうんざりする。博物館を出てバルドー駅へ戻って切符を買おうとするが切符売り場がない。そのため0.5ディナールを左手で握りしめて列車に乗り込む。そして4号線のIbn Rashid駅で降りる。この駅にも切符売り場も検札所もない。結局運賃を払うことが出来ず薩摩守忠度である。まあいいや。歩いてカイロ通りへ向かい、カイラワーンで食べて忘れられぬクスクスをここチュニスのネプチューン食堂でも食べる。注文するとものすごい大きさの人参が載っかっているクスクスがでてきた。一人で食べるには多すぎたけれど食べきった。少し早いけれどエルハナインターナショナルにチェックインする。
 スーパーマーケットへ行き晩飯を買って食べようとしたら見事に休みだった。そこでハビブ・ブルギバ通りを歩いているとカミルと名乗る男に声をかけられた。「ブルギバ・スクールで英語を習っていて、ヤマモトという日本の横須賀にいる友人に日本語の手紙を書きたい」と言う。もちろん嘘である。旅の疲労で正常な判断力を完全に欠いていた鯨は「まぁ今回の旅行はたいしたトラブルらしいこともなかったから何かありそうだから随いていくかな」と思ってカミルに随いていくと裏道のカフェに連れていかれる。黒い壁に覆われていて、スキンヘッドで筋肉隆々の男がカウンターで腕を組んでいる。もうヤバいなと直感する。そこでテーブルにつきカミルは何か飲まないかと言ってきたので適当に「コカコーラ」を注文する。するとカミルは1ディナール出せと言う。そこで1ディナールを出そうと財布をポケットから出すと瞬く間にカミルは鯨の財布を奪い1ディナールを数枚と10ディナール札を2枚ほどパクって鯨に財布を返した。早業だった。これは玄人だなと鯨は思った。それでカミルはジュースを買いにカフェを出たのでもう戻ってこないと思った。スキンヘッドの男はまだ腕を組んでいる。数分後、カミルがビールとコーラを手に戻ってきた。それからくだらないお喋りをする、写メールなんかも撮りやがる。泊まっているホテルを訊くので「近くのホテル」と答えると「アフリカ?」と訊くので「そうだ」と答えた。名前は?と訊くので「牟礼」と本名を答え、今日は夜まで遊ばないかと言えば今日は19時に寝ると答える。胡散臭く思っていることが伝わったのか外に素晴らしい博物館があるというのでカミルに連れ出される。「疲れている」と言うとホテルへ行こうと言われるが面倒なことになりそうなので「やっぱり博物館へ行こう」と言い直す。道すがらカミルは「カメラは持っているか」と訊くので「持っていない」と答える。するとカミルは鯨への興味を無くしたのか「あそこの角を右に曲がると博物館がある」と言って去っていった。もちろん行くわけがない。別れたらさっさとホテルへ戻った。
 盗られたのが25ディナール。コカコーラとビール代としては高すぎる。カメラを出したらきっと盗られていただろう。話のネタとしても25ディナールが高いのか安いのかわからない。そこで諸君、ここは一つ「日本の友人に手紙を書く」と言う奴には警戒しろ。あと財布はちゃんと小分けにしておけ。鯨はそうしていたおかげで持ち金を全て盗られることはなかった。そんなカミルの一件もあり疲れたのでスーパーマーケットで食事を買う以外は外に出ず、そのまま寝た。
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by suikageiju | 2013-03-31 21:54 | チュニジア旅行記 | Trackback | Comments(0)
文学フリマ前日に大阪で文学的存在と会うには
 何者でもない者に皆なりたがっているのに、どうしてか結局誰もが何者かになってしまう。普通であり続けようとして、結局誰もが普通の列から転がり落ちる。誰のものでも無い本を売ろうとして、結局自分の本を売ってしまう。そういう失敗した人たちの列伝をひとつひとつ細やかに書き留めていきたいと思う。

「会う」ということの難しさ
 「会う」という動詞は難しい。例えば国際補助語エスペラントで「会う」という意味の動詞「renkonti」は他動詞であり、出会う片一方の目線でしかその出会いを語れない。もし「私たちは会った」と双方向的なら自動詞「renkontiĝi」を使う必要がある。またフランス語で「会う」という意味の他動詞「rencontrer」を一人称複数を主語にして使うときは、Nous nous rencontrons. と代名動詞の相互的用法を使わなくてはならない。他動詞も自動詞も一緒くたにして分けない日本語母語話者はこれらの言語を使うとき語りの目線はどうなっているのか、ちょっと脳髄をひとひねりする。
 日本語の場合、誰の目線から見てその出会いを描写しているのかという考えよりも、その出会いが自分にどのような感情を抱かせるかによって「会う」という動詞を使い分けている。たとえば「逢う」は胸がときめき、「遭う」は嫌な思いが残り、「遇う」はまったく予期せず眉をしかめ、「邂う」や「逅う」はまったく白地で予期もしていなかったという感情がこめられている。すべて「会う」で事足りるけれど会合、遭遇、邂逅で使い分ければ短い言葉で読み手が創作できる。
 きっとあなたの文学的存在との出会いはいつのまにか「遭遇」へと変わっているだろう。

第十六回文学フリマin大阪に前のりする人がいる
 「文学」という形骸化して実体の薄いジャンルにあって、それを高尚な芸術であると誇ったり、はたまた低俗なキャラクター小説として貶めたりする人は苦手かな? 生活者の目線から日本語の可能性、日本における実生活の可能性を試す仕事に携わる作家たちのイベント「文学フリマ」が2013年4月14日日曜日に堺市産業振興センター(大阪府堺市北区中百舌鳥)で開催される。俗に云う第十六回文学フリマ、大阪文学フリマである。実はその前日13日(土)早朝に牟礼鯨は大阪入りする予定だ。

4月13日(土)20時
味園ビル2F デジタルカフェスクリプトにて



きっかけはなんとなくそういうものがあるといいとおもったから
 なんとなく文学フリマ前夜に誰かと飲んで語り合えたら良いねと思ったのは、今年の正月まさに大阪のデジタルカフェで飲んでいたときで、しかも場所取りと云えば雪ヲさんに
「実は4月14日に大阪で文学フリマってイベントがありましてね」
「はい」
「その前日にここで仲間と集まっていいすか」
「いいですよ。何人くらいですか?」
「1~10人くらいかな」
「ぜんぜん大丈夫ですよ」
 と口頭でやりとりしただけだ。ひどく不整備である。ただここは充電器があれば携帯端末を充電できるし、wifiもある。それに4月13日の夜には味園ビル内とその周辺に多くの文学フリマ関係者が散開しているはずだから。

客体でしかない神々の踊る楽園
 文学フリマ前夜に集まりたい人が集まる日時と場所は決めた。ただ、そこで何をするのかは決めていないし特に何をするつもりもない。鯨は鯨でいつもの鯨の大阪滞在をなぞるだけで、ただ宥和主義者らしくそこで誰かと話したり議論したり誰かを論駁したりしたいと思っているだけだ。だからそこに集まって知らない人同士で話しても良いし、秋山真琴がボドゲを提案するかもしれないし、森井御大が何の前触れもなく全裸になるかもしれないし、飲んでいる途中で誰かと誰かが「ちょっと出かけてくる」と言ったきりしばらく帰ってこないことがあるかもしれないし、酔った佐藤さんが大暴れするかもしれないし、何か突拍子もないハプニングが起こるかもしれない。それに全然鯨と面識がなくても、あるいは面識の無い方こそ来てくれればと思う。鯨は通天閣のようなもので、主役でも主人でも何でもない、そこは客体でしかない神々の踊る楽園だ。文学フリマ前夜に集まりたいと思った人がその場を利用してくれれば幸いだ。そして文学フリマに参加しない人でも。ちなみに終わりの時間は未定。帰りたいときに帰れば良い。畢竟いつか皆死んでしまうのだから。

第十六回文学フリマ前夜祭


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by suikageiju | 2013-03-27 23:22 | 大阪 | Trackback | Comments(0)
ゴースト≠ノイズ(リダクション)

ゴースト≠ノイズ(リダクション) 上

十市 社 / 十市社


 前提として、ネタバレすると何か問題が発生すると捉えられてしまうような作品は駄作である。たとえば面白さが損なわれるとか、たとえば読む気がしなくなるとか。良作とはネタバレしてもなお読者の再読、再々読に耐えうる強度を持つ作品でなければならない。実際に鯨はこの作品を読んで興奮した。そして、怒りを抱いた。それは感想を書く上でネタバレを恐れていた者どもについて、である。そしてこの作品を読んだにもかかわらずネタバレするかどうかで怯えていた者どもの読みの浅さと彼らが無邪気にも行っていた作者への侮辱について、である。
 これは「人間が見える範囲のもの」を描いた小説である。どこまでも人間的で血が通っており脈拍もあり何より温もりがある。でも、いやだからこそ作者が支配しうる範囲のストーリーでしかないのが心残りだ。もちろんこれはご都合主義だとかそんな的外れなことを言いたいわけではない、よくできたストーリー、人を惹き込む話、目をそらさずにはいられない場面、それらのパーツを巧みな設計士が横糸と縦糸で編み込んで小説としてパッケージされている。正直言って、傑作である。本屋で平積みされていてもおかしくない出来だ。だからこそそれが残念なのだ。間違ってもこの作品は「何も見えていない」小説でも「見えているけれど何を見ているのかわかっていない」小説でもない。作者の力量を感じさせる、力と可能性とを秘めた、「ちゃんと見ている」作品だ。そう思ったからこそ、敢えて誤解されるように書かせてもらえれば「魂」がない。たぶん直木賞だろうが芥川賞だろうが簡単に取れる力量を作者は持っていると思う。でも、この作品の作者がそれを望むのかどうかは分からないけれど、鯨はただ単純に、この作者によって書かれた「人間が見えざるもの」について書かれた小説をいつか読んでみたいだけなんだと思う。また繰り返しになるけれど、その痛みに耐えたいと作者が思うのかどうかは鯨にはわからない。

ゴースト≠ノイズ(リダクション) 下

十市 社 / 十市社


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by suikageiju | 2013-03-25 23:50 | 感想 | Trackback | Comments(1)
第三の都市スーサ
2005年3月5日
 朝起きると雨だった。朝食を済ませたら雨はやんだのでアグラブ朝の貯水池へ行って開門を待っていたら雨がまた降り出した。疲れがたまってきた。一旦ホテルに戻る。途中にバイクに乗ったおっちゃんに「メディナ(旧市街)まで乗せようか」なんて誘われるけれど無視した。ホテルのラッカーダでジュースを飲み、雨がやむと城壁伝いにグランドモスクへ。また城壁伝いに霊廟を見てからビル・バルータへ。ここで見たのは、たぶん一生井戸のまわりで聖水をくみ上げるためだけに歩き続けるかわいそうな駱駝。歩くのを見ていると係員がコップ一杯の水を鯨に差し出す。いくら聖水とはいえ飲んだらヤバいんじゃないかと思ったけれどさすがに聖水を断るわけにはいかず飲んだ。どうなることやら。カイラワーンの惨劇にならなければ良いが。
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 またアグラブ朝の貯水池へ行く。開門していたけれど場所がわからないので工事中の建物に立っていたおっちゃんに訊いたら「柵がないところから入れ」とのこと。まあ、いいやと思いそこから入る。貯水池は達磨状になっていて小さな丸池で浄化し大きな丸池で貯えておくのではないかと思う。そんな貯水池が二組あった。そこで女2人男1人の嫐型な子供たちにからかわれた。韓国人と間違えられたのだろうか。そして聖廟へ行くが見事に入れずそのままルアージュ・ステーションへ。スーサ行のルアージュに乗り込む。運転手は携帯電話で会話しながら運転していた。スーサで降りて歩く。ルアージュで隣に乗っていたおばさんに声をかけられてメディナへの道のりを訊かれて答えてあげた。観光客はよく道を知っているの原則を守ったのだ。
 そしてスーサの街を観光する。博物館へ行ってカスバを見る。それから旧市街のど真ん中を通ってリバトへ。スーサはカイラワーンに首府を置いていたアグラブ朝がシチリア島など南地中海の通商路を制圧するための主要な港であり、リバトは港の見張り台の役目を負っていた。そういえばブルジュ(burj)、カスル(qasr)、リバト(ribat)、カスバ(kasba)はいずれもアラビア語で城塞、城砦、城塔、城館などを指す単語だけれど明確な違いはあるのだろうかと気になった。地方と建築用途の違いからいつか分類してみたい。
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 そしてホテル・エルハナビーチへ。またテレビがない部屋だった。近くのファーストフード店でピザを食べる。まずい。それから部屋に戻り19時半まで寝ていた。そして寝ぼけ眼のままホテル地階の食堂へ。夕飯を食べて寝た。
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by suikageiju | 2013-03-24 19:39 | チュニジア旅行記 | Trackback | Comments(0)
聖都カイラワーン
2005年3月4日
 一人旅はとても気楽である。本来一人で旅行するのは病気やトラブルの際には非常に不安で危険なのだけれど何故だろうか? しかしそれはパートナーが優秀なパートナーである場合の話だ。とても限定された話だ。もしパートナーがわがままで偏屈でまじめで田舎出身で早稲田生であったとしたら最悪だ。平穏無事な旅でさえそれは危険きわまりない地獄行となる。そんなパートナーならいないほうがマシである。なんでこんなこと書いているのだろう。頭がおかしいのかな。
 朝食を食べたあとぐったりしてそしてスーサ駅へ。そこには日本のパワフルなおばあちゃんがいた。どうやら時刻表と電車到着時間が違うらしい。よくわからない。電車を待ちながらおばあちゃんと話す。そのおばあちゃんも一人旅らしい。その後やって来た電車でエルジャムへ。今までとはかなり違う田舎町。駅から歩く途中で日本人らしき女性2人を見かける。エルジャムのローマ時代の円形闘技場はとにかくでかくて保存状態が良い。圧倒された。保存状態で言えば旧ローマ帝国領で三本の指に入るらしい。
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 それから円形闘技場とは反対側にある博物館で青い服を着た禿頭のおっちゃんの説明を聞いた。親切な人だった。
 そのあと鉄道の走っていない聖都カイラワーン(仏語;ケロアン)へ行くルアージュ(乗合タクシー)を探すために一時間弱、駅前をウロウロする。違う建物に入ったり駅にいたりした。不審な日本人に見えたかも知れない。どうやら持っていた『地球の歩き方』のルアージュ乗り場の位置が間違っているようだと気付くのに一時間弱を要した。この地でくたばるのかと思った。結局最後に訊いた警察官に正則アラビア語でルアージュ乗り場を尋ねたところフランス語で道案内されてやっと場所がわかった。『地球の歩き方』に書いてあったルアージュ乗り場から博物館の方へ行かずタイーブ・メヒリ通りを100mくらいに西に行き少し右に入った広場がルアージュ広場だったのだ。
 しかしちょうどカイラワーン直行のルアージュはなくとりあえずスーサへ向かう。追い越し追い抜きをする乱暴な運転手であった。そしてスーサでカイラワーン行きのルアージュを紹介して貰い12時半に出発する。こちらは控えめに乱暴な運転だった。しかも途中の民家で何かを届けるために停まった。そして何キロも続くオリーブ畑の中を走りカイラワーンに到着。降り場は旧市街から遠かった。ここで宿泊する。歩いてホテルまで行くと肉屋街の店先で何頭もの牛の頭が掲げられていた。新鮮な肉を扱っていると証明しているのだろう。街はどことなく埃っぽい。宿泊するラ・カスバはとても豪華で旧市街の城壁をそのままホテルにした感じ。
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 ラ・カスバの部屋で一休みしたあと聖都カイラワーンの旧市街を散策する。ここはイスラーム教徒にとってメッカ、メディナに次ぐ第三の聖地として知られる。というものこの旧市街が初期アラブ帝国における北アフリカ統治の拠点であったからだ。またアッバース朝から独立して北アフリカ・南地中海に勢力を誇ったアグラブ朝もカイラワーンを首府とした。しかしファーティマ朝の勃興によってイフリーキーヤの中心地はマフディアに移り、やがてハフス朝時代にはチュニスが中心地となる。旧市街のサブラという店でクスクスとサラダとポン(林檎みたいな小さな黄色い果実、あまり甘くない)を食べグランドモスクを観てからラ・カスバに帰る。晩飯を食べにまた旧市街に。ジュネス(たぶん)で辛くてまずいグリーンサラダとタジンそしてマクロウドを食べる。ちょっと食べ過ぎかも知れない。腹一杯になる。
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 夜のニュースで東京が大雪と知り驚く。こちらはとても暑いのだけれど。
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by suikageiju | 2013-03-23 23:51 | チュニジア旅行記 | Trackback | Comments(0)
鮨・きゅうり夫人
文芸結社、第二の猫、深城巧祐の名刺文庫
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「鮨」の冒頭部「或る朝、仕込みのため小平哲也が階下の店へと降りたとき、鮨種の魚介一切が虫になっていることに気付いた」のカフカを超える唐突さに痺れた。それから節足動物に変わってしまった鮨種の数々、その描写にのけぞった。「きゅうり夫人」は連想を促して暇がない「×××」の使い方と村人の細かい描写が秀逸。こやつ、できる。
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by suikageiju | 2013-03-23 20:53 | 感想 | Trackback | Comments(0)
救世主の街
2005年3月3日
 朝3時に起きてぼうとテレビを観て外の様子を見ようと思い硝子のテーブルの上に乗ったら硝子が割れた。すとんと足裏から落ちて痛みを感じた。右足の土踏まずと左脚の薬指を切ったので絆創膏を貼った。出発の支度をしてエルハナの白髪混じりのフロントにそのことを言ったらちょっと古い方のパソコンを調べて「問題ないです」との返事。たぶん海外旅行保険に加入していたからだろう。その場でチェックアウトした。チュニス・バルセロナ駅Gare de Tunisへ行き6時発ガベス行きの電車を待つ。6番ホームに入って来た電車で予約席のある1号車はどこか迷っていると東アジア人を発見した。女連れである。どこにいてもセックスを欠かしたくないのだろう。性に対して律儀なことだ。チュニス郊外の車窓風景は良かった。これが「世界の車窓から」か。チュニジアの朝焼け三色旗は美しい。車内のトイレは水洗式ではなく足で踏んで車外に落とす形式であった。8時前にスーサに着くと歩いてメトロの駅へ。
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 スーサから目的地マハディアへは往復切符を4.92ディナールで買える。出発しモナスティルで単なる車両の乗り換えをする。鉄道会社の管区が違うのだろうか。そこからは駱駝って普通に道を歩くんだねという車窓風景。
 自身をイスマーイール派のイマームにしてマフディー(救世主)だと宣言したファーティマ朝初代カリフ・ウバイドゥッラーが都を置いたマハディア(救世主の街)にメトロは到着する。この街はファーティマ朝史研究者として是非とも訪問したかった。魚市場に隣接したメディナで魚のグリルを食べる。パンにつけて食べる豆入りトマトソースもおいしいし、何より白身の焼き魚が絶品だった。ポテトフライも野菜もオリーブオイルたっぷりでとってもラズィーズン。旧市街の入り口にある門の上に立って半島状に突き出たマハディアの旧市街の姿を確認する。三方を囲まれた半島を城壁で囲んだ城塞都市は異端であるイスマーイール派の拠点に相応しかったのだろう。当時のチュニジア(イフリーキーヤ)にはシチリア島まで支配下に置いたアグラブ朝(首府カイラワーン)がファーティマ朝の敵としてまだ健在だった。それから旧市街へ。モスクとブルジュ・アルカビール(大きな城塞)を観る。
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 それから墓地を抜けて、その先の港跡を観ながらマハディア半島の尖端まで行き五円玉硬貨を投げた。日本人がここまで来たという証に。ただそこにはフランス人の釣り人がいた。話してみたら変なおっちゃんだった。
 旧市街の北側の海岸通りを彷徨ったあと疲労困憊の態でメトロに乗り込む。体力の限界に達したこともあるけれど、幾度となく死について思っていたからだろう。15時半ごろにスーサに着いた。ホテルまでが異様に遠く、ホテルにチェックインして402号室にたどりつくと一旦寝た。そして目が覚めてからビーチエリアでレストランを探す。探していたLa Mamaは見つからずRoi du Couscous(クスクスの王様)とかいう店で食べる。サラダミックスとよくわからない肉とフライドポテト。腹一杯に食べた。スーパーマーケットでDanoupと水を買い部屋に戻る。久しぶりに浴槽にお湯を貯めて入った。寝た。
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by suikageiju | 2013-03-23 20:25 | チュニジア旅行記 | Trackback | Comments(0)
はくの
JULI-KISSの白石薬子が作品。筆名の読み方は「はくしゃく」とのこと。
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「わかる」「ちっちゃいの」「千倍も万倍も」「はくの」と4作品入った短編小説集。奇異を求めようとしてあがく、奇異を鏤めようとする。でも人は奇異を読もうとはしない、人が読みたいのはただ文章なのだ。何が書かれているかではなく、どのように書かれているかを人は読む。あるいはそう読む人を相手にしないと、作家は積み重ねるものなく果てしない草原を駆けるだけとなる、そうやって自分を追い詰めるだけになる。白雪姫アフターともいえる「千倍も万倍も」の描き方が好み。
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by suikageiju | 2013-03-23 19:28 | 感想 | Trackback | Comments(0)
答え合わせは、後でいい。
戦場でむき出しになるのは人間の本来的な欲望。戦記物を書き貫く大和雪原、神風零の作品
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安原と遠藤が出てくる統合軍シリーズの新刊。何と戦っているのかよくわからないけれど、彼らはとにかく戦場にいて殺され、殺し、殺されて、殺す。もしもこれが料理本だとしても安原と遠藤はこれまでも同じようにフライパンと包丁を手にして戦うのかもしれない。そんなことを思ってみる。情緒を乱すような会話が印象に残った。
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by suikageiju | 2013-03-23 17:18 | 感想 | Trackback | Comments(0)
カルタゴ探訪
2005年3月2日
 エルハナの朝食サービスはパンの種類が豊富でオレンジジュースは濃厚でダノンのヨーグルトもあり充実している。しかし野菜が少ない。朝食を食べたらハビブ・ブルギバ通りを散策し11月7日広場(11月7日はヤスミン革命で亡命したベン・アリーの大統領就任記念日なので現在は2011年1月4日広場と改名)の時計塔を見てチュニス・マリン駅へ行った。
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 チュニス・マリン駅からはTGMに乗ってカルタゴを目指す。2等なので結構混んでいて女子大生?が美人だった。駅に着く度に乗車率が高くなっていった。駅の表札も無くなったので大量のパンを持っていた人に「ここはどこの駅」と正則アラビア語で尋ねると「カルタ―ジュ・ビュルサ」と教えてくれた。アラビア語が通じたことで気分を良くし、カルタ―ジュ・ハンニバル駅で乗車率200%の混雑の中「降りたい」と叫んで押しのけながら降りた。まずはビュルサの丘にあるカルタゴ博物館を見てからローマ人の住居跡やローマ劇場跡を見た。
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 それから南下しアントニヌスの浴場を見てから海岸伝いに歩きカルタゴ時代の軍港跡を見る。ローマ人の土木建築技術もすごいけれど、通商国家カルタゴも侮れない。それからタニト神の聖域では神に捧げられ犠牲となった子供達の墓を見る。言ってみれば単なる墓地だし、野蛮な異教の聖地だからだろうか、鯨以外に観光客はいない。
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 それから闘技場を見て足が疲れたので市内に帰る。駅で20.5ディナール払ってすぐにお釣りをくれなかったので待っていると追い払われた。運賃なんて0.65ディナールくらいでお釣りがないなんてことはないので「お釣りを返せ」と言っても駅員は頑として聞かない。しかたなくやって来た電車に乗る。後でお金を計算すると本当は105ディナールあってもいいのに手持ちは84.85ディナールである。このカルタゴ行で鯨は20ディナールを無為に失った。ここでは勉強代と思うことにするけれど、ひどい奴らだ。駅員も信用ならない。
 帰りの電車はほぼ満員で扉が閉まりきらずにギリギリ扉につかまって乗っているような状態だった。
 明日の移動のためにチュニス・バルセロナ駅に時刻表をもらいに行こうとしたが案内所には置いていないとのこと。じゃあ、いつ電車が来るんだよ。朝5時には起きてチェックアウトして駅で電車が来るのを待っていることにする。
 カルタゴへ行って疲れているから寝ていればいいのにメディナ(旧市街)へ足を伸ばす。スーク(市場)を冷やかしているとここにもいた「さらばじゃ」男。いったい誰がそんな日本語を教えたんだろう。そしてメディナのなかの食堂マハダウイでトマトのスープに卵をおとし、フライドポテトと七面鳥の揚げ物を食べた。パンはおまけについてきてしめて4.5ディナールである。旧市街への入り口となっているバール門の前に建つ庶民向けスーパーマーケットMagasin Généralでミックスジュースを0.36ディナールで購入し飲みながらチュニス市街を散策する。Magasin Généralでは、昇りのエスカレーターは動いていたけれど降りは停まっていた。チュニジアの国力の限界を感じた。アラブ連盟の国だが街並みはフランス風である。これはチュニジア侵攻とバルドー条約、そこから70年以上続いたフランス保護領時代の影響であるがそれ以前のトルコやアラブの面影もモスクやミナレットなどで見ることができる。人種もアラブ系が多いけれど黒人や白人もいる。ただイブン・ハルドゥーンの銅像はフランス的だ。
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 歩き疲れてホテルに戻って寝転んでいると部屋係の可愛い女の子が枕のカバーを替えに来た。鯨がいることを知ると一度部屋を出て彼女はまた戻ってきた。部屋に忘れて無くなっていた折りたたみ傘を持ってきてくれたのだ。「ありがとう」と礼を言うと「あんたアラブ人?」と訊かれ「いや、日本人だ」と返すと残念そうに去っていた。宗教上の問題だろう。
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 夜のチュニスは雀のような鳥が大挙して群がりチュンチュンやるのでうるさい。ふたたび街に出てMagasin Généralで夜食と明日の朝食、それに水を購入する。しめて3.23ディナール。
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by suikageiju | 2013-03-23 09:56 | チュニジア旅行記 | Trackback | Comments(0)