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帰宅したら弟がニート
 題名のとおりニートの弟がたくさん登場するのかと思ったら7篇あるのにニートは3人、弟にいたっては2人しか登場しなかった。意味もなく裏切られた。
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ループ、稲荷古丹
 字下げと改行が混乱していた。まさか、黒四角が書いたのか? そういう設定なのか? 人工知能作家と人工知能評論家の設定が良い。ただ、最終段落のおさまりが分かりにくく弱い。もっと最終段落へ至る道程を補強した方がいいんじゃなかろうか。

19HK、稲荷古丹
 猫語を解し翻訳する能力が急に身に付いてその能力獲得があまりにも急だったので人語を話しているつもりで猫語を話すようになってしまったと解釈するのはやや難だが、そう解釈できれば面白い。

帰宅したら弟がニート、上住断靭
 イベント数日後の長尾描写がむかつくくらいに秀逸。

philia、坂上悠緋
 気持ち悪い文体が気味の悪い内容にねちゃっと寄り添っている。また、「娼婦」であるところの話者の感覚が内臓的というより皮膚的で、「人形」らしい。ねちゃ、ぬちゃ、にちゅといった擬音が鳴る一品。

ウェディング、猿川西瓜
 従兄弟(どっち?)であるミカボシの姉宛の手紙が載っていてこれが読ませる内容だった。

天皇陛下の恋人、森井聖大
 ドザエモンに関する名言がリフレインする。スキンヘッドの男が出てくる箇所の印象だけが鈍く光っていた。
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by suikageiju | 2013-12-23 21:37 | 感想 | Trackback | Comments(0)
鉱石展示室
「鯨さんは鉱石副王と果実太守の物語を紡がれました。ではこれはどうでしょう?」と手渡された本が琥珀舎、波水蒼さんの『鉱石展示室 クリスタル・パビリオン』である。広がっていたのは石果世界ではなく、石菓の世界だった。
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宮沢賢治から長野まゆみへと歪に結ばれたフィラメントの先にある本として読んだ。京都という舞台を設け、琥珀糖専門店ジオードとその主である今市琥太郎氏を基軸にした登場人物たちの、時をこえた繋がりを描いている。それらが有機質として繋がっていく流れに一種の様式美を感じた。弓道で矢がうまく中ったあとの静けさのようなものを。京都、鉱石、琥珀糖、高校演劇部、そして花。美意識を描く作家と美意識を重んじる読者を充分にくすぐる要素を持つ作品だ。美意識という看板は要素ですぐに靡く。では人間は? といった観点から見ると他者に一枚薄皮を隔てたような筆致を見た。たぶんこれからも、そうやって巧妙に紳士的に、すり抜けて、生きていくのだろうなと思わせるような筆致である。極めて上品な出来だ。
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by suikageiju | 2013-12-23 12:38 | 感想 | Trackback | Comments(0)
文庫フリマ
 『南武枝線』第二版を、下北沢は茶沢通り沿いにある古書ビビビさんに納本した。『受取拒絶』と同じように見本誌に幅広の帯をつけた。
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 ここ数ヶ月、山本清風さんと栗山真太朗さんが古書ビビビさんでの委託をはじめられたようで、扉入ってすぐ正面の平台はセルフパブリッシング系文庫本の祭典「文庫フリマ」めいている。同系統の本が並んで目立つので店長曰く、数が出ている、とのこと。もともとはこの3人に秋山真琴を加えた文庫本小隊を山本清風さんが取りまとめ、「文庫フリマ」という旗印を鯨が提案して、4人で一山あてる積もりだったのだけれど、それはおじゃんになっていた。下北沢で勃興しつつある「文庫フリマ」はその一山の代替物なのかもしれない。
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 山本清風さんは人間の諸相を戯画として描いて饒舌、栗山真太朗さんは人間の上澄みを活写して瑞々しく、そして牟礼鯨は人間の業を嘘をまじえながら肯定して簡潔である。それぞれに特徴があり、それぞれに違う文庫本を楽しめるだろう。また古書ビビビさんへの納本後に湯島へ行ったのだけれど、そこで抱いたのはやはり湯島・御茶ノ水界隈は川崎市東部とともに『南武枝線』『受取拒絶』の舞台であり、鯨にとって文学の宿る地なのだなという感慨だった。それは栗山さんにとっての川町=小岩や山本さんにとっての浦崎=尼崎もそうなのだろう。そしてそれぞれの土地はそれぞれにとり決して故郷ではない。前述のように3人はそれぞれに違うのだけれど、場としての土地と文学についてのこだわりは一様なのかもしれない。

 ただ2人はバンドでベースをやっていたこともあるのだろう、鯨とはちがって恵まれた人間であり、人間であることは同時に欠点ともなって、彼らの文学を鯨は全て手放しで「良いですね」と言うことはできない。陸の人と海の人のようなちがいだ。作品が面白いのかどうかとその文学を受容できるかどうかはまた別の話だ。我々は混同しがちであるが作家の評価と作品の評価は別であるように、作品の文学的価値と面白さは全く別の基準で測られる。もちろん、栗山・山本両文学を手放しに受容しえないと表明するのは単に牟礼鯨文学を規定することでしかない。それは、渋澤怜作品群から推測するに牟礼鯨文学は渋澤怜にとって受容できないだろうから渋澤怜が「牟礼鯨作品はつまらない」と表だって言うことは単に牟礼鯨文学を基準にして渋澤怜文学を規定しているだけに過ぎないという事象と同じだ。
私ってかわいそうとか、俺って孤独とかって
そういうやつ、ごまんといるわけだ
でもさ
開き直っているというか、あきらめているというか、達観しちゃったやつって
憐れすぎてどうしようもないだろ(『受取拒絶』より引用)

そういう憐れなやつのままでいられるか、或いはそうではいられないかで住む世界が、海か陸かが、大きく隔たってしまうのだ。
 でも3人の作品はまず読まれるべきである。自分が含まれていることを考慮しないで言わせていただければ、首都圏で何か日本語で書かれた文学作品に関する企画を練っている人がこの3人のうち1人でも欠かしたままでその企画を押し進めることが文学と知に対する怠惰さの証拠であるように、たとえどんな文学的立場を表明していたとしてもこの3人の作品は読むべきである。文庫本なのだから是非移動中に読んではどうだろう。
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 繰り返しになるが「文庫フリマ in 下北沢」が開催されているのは下北沢は茶沢通り沿いの古書ビビビさんである。
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by suikageiju | 2013-12-02 00:54 | 古書ビビビ | Trackback | Comments(0)