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パリ書店めぐり
 フランスのパリに行ったことのない人はたいてい「パリなんてどうせ大したことはない」と思っているけれど、行ったことのある人は好きになったにせよ嫌いになったにせよ、従来の過小評価を覆される。ノーベル文学賞作家のアーネスト・ヘミングウェイは友人に
もし君が幸運にもパリで若者として暮らせたなら、その経験はずっと君の人生につきまとうだろう。なぜならパリは移動祝祭日だから。

と言った。パリについて考えるとき、この言葉、そして移動祝祭日という言葉は常につきまとう。ただの都市であるパリはただの人間を芸術家に変える。通りの吸殻だらけの片隅に、市場から見上げたアパルトメンの欄干に、美術館の階段下の暗がりに、チーズのむせかえるような匂いただよう地下鉄に、旅人はきっと祝祭的な機微が隠されているように思わされその機微を見いだそうとする。そうさせるのはパリが移動祝祭日だから。
 パリ滞在中、ポンピドゥ・センターヨーロッパ写真美術館とrue du Cinémaにあるフランソワ・トリュフォー映画図書館へ行った他はセーヌ川左岸、ラテン地区(quartier latin)にある書店(librairie)を巡った。街歩きの最中に見つけた書店もあれば、人に教わった書店もある。
 ヘミングウェイがパリ時代に通ったShakespeare and Company(37 Rue de la Bucherie)はパリの名物書店で、英語書籍を専門としている。戦間期にはジェイムス・ジョイスの『ユリシーズ』を出版した書店としても知られる。
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中は英語の本が所狭しと並べられている。
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2階は読書スペースやメッセージペーパー掲示板があり、単に書店としてよりも作家や読書家の交流スペースとして活用されている。
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 シテ島の南、サン・ミッシェル橋からラテン街へ渡っての左右に、黄色地に黒い男の顔の看板が目立つ書店Gibert Jeuneがある。この手の少し大きいパリの書店によくあることなのだが、専門によって店舗が分かれている。写真は文学書、美術書、写真集、バンドデシネ、パリ案内書や文房具のある、シテ島から見て左手の店舗だ。日本では考えられないフランスの書店の特徴として、古書と新刊書が一緒の棚に並んでいる。同じタイトルが古書と新刊書ともに並べて置いてあることもある。
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 Boulinier(20 Boulevard Saint-Michel)は店頭で古書が0.2ユーロで投げ売りされている。何でもいいからフランス語の本を買いたい人はここに立ち寄ると安く何かを買える。バンドデシネも充実。
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 Librairie Compagnie(58 Rue des Ecoles)は人文学系の専門書店である。店の奥には文学書や美術書がある他、地下には政治経済、社会科学、哲学系の本が置いてある。
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 Rue des Ecolesには書店が多く、専門書店が数軒ある。なかにはアフリカ専門の書店もある。
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 美術書専門古書店の店頭はフランス語を読めなくても楽しめる。
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 Les Autodidactes(53 Rue du Cardinal Lemoine)は「独学者たち」と気取った店名を名乗る、白髭の老爺が経営している雰囲気抜群の書店。シュールレアリスムやダダイスム、前衛などの美術書に強い専門古書店らしい。
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 Le Pont Traversé(62 rue de Vaugirard)はリュクサンブール公園北辺の通りを西に進んだ右手にある書店。19世紀~20世紀半ばまでの書籍が多い。いわゆる水彩画で思い描いたようなパリの古書店。
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 Gibertなどのチェーン店でなければ、書店同士のネットワークも強い。もし欲しい本があればどこかの書店員に声をかけるのが最適解だろう。その書店になくても他の書店にあれば教えてくれる。おそらく書店員はMarelibreなどの検索サイトを使っているので声をかける前に自分で調べてから書店を訪問するのも手だ。
 ルーブル、オルセー、シャンゼリゼ通り、オペラ座といった典型的な観光地では飽きたらぬ人は、ラテン街を書店めぐりという目的を持って散策してはどうだろうか。パリに新たな影が加わるだろう。
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by suikageiju | 2014-03-03 01:45 | 雑記 | Trackback | Comments(0)
ジョアン・フォンクベルタのカモフラージュ展
 パリ4区にあるヨーロッパ写真館でカタルーニャ人のシュールレアリスト、ジョアン・フォンクベルタ(ホアン・フォンクベルタ、Joan Fontcuberta)のカモフラージュ(Camouflages、偽装、擬態)展を見た。まず地下階へ行き、その階段横に並んでいる本やHERBARIUMの展示室を見ても、その意図に気付かなかった。FAUNEの展示室における、トリケラトプスのような背鰭のついた鰐や二本脚の生えた貝の偽剥製を見て、それらとケンタウルスのように下半身が四足動物であるチンパンジーについての写真を見て鳴き声を聴いて、ただ鼻行類めいた癖のある衒学趣味だけを連想していた。しかし階段を昇り、人魚の化石発見のドキュメンタリー風映像を見て、そこにジョアン・フォンクベルタ自身が神父の服を着て立ち現れて、展示された写真機や絵具や顕微鏡、そして階段に並べられた本や奇妙な植物写真の意図に気付いた。
 それらは中世や近代の権威的博物学、あるいは共産主義的なプロパガンダ、アメリカ帝国主義による映像操作へのカモフラージュ・オマージュであり、揶揄である。そして更に一歩進んで新たな自己の創造である。
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 ジョアン・フォンクベルタは芸術家を、現実を、真実を偽装するために別の世界と別の自分自身を写真と展示品によって創造していたのである。そしてピカソやミロやダリの偽写真を見て森村泰昌を連想し、「スプートニク」でジョアン・フォンクベルタが宇宙服を着てニッコリ笑っている写真を見て、自然と声を出して笑った。シリアだかパレスチナだかの街を背景にジョアン・フォンクベルタがアラブの服を着て座っている写真を見て、彼ならば何にでもなりたい職業に就けるのだし、なりたい人物になれるのだと考えた。これらを国家的虚構へのオマージュとだけ捉えるのはつまらない。これらは「自分」という可能性への挑戦である。
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 小説家があらゆる職業を疑似体験できるように、ジョアン・フォンクベルタはその作品によってあらゆる職業を僭称できる。その僭称は宇宙を夢見た子供の頃の落描きや写真やスケッチ、それから新聞などによって補強され現実味を帯びる。真実かどうかはどうでも良い。
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 思い出には実際の経験なんて必要なく、思い出を喚起する写真や記念品だけあれば思い出は構成され、記憶という名の印画紙に焼き付けられる。だから写真や記念品は偽造されたものでも構わず、思い出も色褪せない。「これが真実なのだ」そう言って、実際にそう思い込んで写真や記念品を差し出せばシュールレアリスム的にはそれはもう真実なのだ。
 ジョアン・フォンクベルタの作り込みの本気さにビビった。
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by suikageiju | 2014-03-01 00:17 | 雑記 | Trackback | Comments(0)