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サークル閉鎖。
by 鯨
文学フリマ・アライアンス望月倫彦氏の嘘
2015年11月14日公開の対談記事で文学フリマ・アライアンス代表の望月倫彦氏はこう発言している。

全国各地に文学フリマが増えれば、その影響を受けて出店者が減るのは東京と大阪です。でも、それを乗り越えてもう1、2年くらいすると、今度は増えてくると思うんです。福岡や北海道や盛岡でやって、と繰り返していくと、ある段階から、地元で文学フリマを経験した人たちが「年に1回くらいは東京に行ってみようか」「大阪に行ってみようか」みたいな感じになってくるんじゃないかな、と。
引用元:文学フリマ事務局×文学フリマガイドブック編集委員会対談


文学フリマ百都市構想において福岡・北海道・盛岡が繰り返されることは想定しているが、第一回を済ませた金沢については繰り返されることを想定していないかのように省かれている。

しかし11月24日の記事にはこうある。

文学フリマ金沢事務局の体制変更

さて、今年の4月に開催された「文学フリマ金沢」ですが、次回の開催に向けて動いております。

第一回金沢で金沢事務局の代表を務めた山崎さんが代表を離れて、地元のメンバー中心の体勢に変更となります。

もともと石川県出身者とはいえ山崎さんは東京在住だったので、第一回を開催したうえで地元のメンバーに引き継ぐというのは文学フリマ百都市構想の流れとして想定していたことです。
引用元:「第二十一回文学フリマ東京」終了。ありがとうございました!


「第一回を開催したうえで地元のメンバーに引き継ぐというのは文学フリマ百都市構想の流れとして想定していた」ことであればなぜ11月14日の記事で金沢の名が上がっていなかったのか疑問が残る。サプライズを企図していたにしても名を省けば逆に怪しまれてしまう。

つまり11月14日の時点で、望月氏は金沢が繰り返されることは想定していなかった。文学フリマ・アライアンスのスタッフで金沢の代表でもある山崎良祐氏が金沢スタッフへの脅迫事案で代表職を降りざるを得なくなり、その山崎追放のため予期せず金沢が第二回を開催できるようになった。だから、文学フリマ・アライアンス内の醜聞を隠して身内を庇うために予め想定済という記事を書いたのだろう。

二つの記事が明らかにするように望月倫彦氏は金沢のことで嘘をついている。そして参加者と地方事務局スタッフを裏切っている。
# by suikageiju | 2015-11-24 23:59 | 金沢文学フリマ
文学フリマガイドブックについての望月倫彦×秋山真琴対談を読んで

文学フリマ事務局×文学フリマガイドブック編集委員会対談

感想

 文学フリマガイドブックは秋山真琴氏の努力によりあるべき形へ動いているという感想を抱いた。あるべき形とは文学フリマという容れ物(=イベント)に合った中身になっていること。その変容は文学が思想や個人の主張の道具から商売道具に変わりつつある変化のなかでは当然おこりうる流れだ。ただ、あえてか無意識にかその変容を考慮せずに望月氏が発言を行っている印象を受けた。あたかも、事務局の行為を正当化するために文学フリマ非公式ガイドブックと文学フリマガイドブックの歴史を意図的に修正しているような。
 確かに文学フリマガイドブックの前身となった非公式ガイドは
立ち上げ時点で軽く炎上した面がありました。(望月)

とあるように現状維持派な方々からの批判意見に囲まれていて商売道具には相応しくなかった。立ち上げ当時から文学のナイフ然としていた。
 ただ、責任編集者を四期務めた経験から言わせてもらえれば、望月氏がそういうことにさせたがっている「炎上商法」は非公式ガイド側からは一度も行われなかった。
望月:それは、炎上商法を狙っていた頃の「負の遺産」みたいなものでしょうね。

 非公式ガイド側の意図した「炎上」は、当然のことだが、一回もなかった。周辺のほぼ全てのトラブルは非公式ガイド批判者による外因であり、「炎上商法」と揶揄されるくらい頒布されたのは最高責任編集者であった佐藤氏と高村女史の一本筋の通った編集意図に由来する。「炎上」であるように見えたのは単に非公式ガイドに(主に私に)反論された批判者感情の発火が激しかったのと、「炎上商法だった」と非公式ガイド側から発言することで周辺のトラブルを過去のものにする意図があった。なので文学フリマが「炎上商法」だとお墨付きをくれるなら有り難いことこの上ないのであるが。
 面倒なほど非公式ガイドは批判とトラブルに巻き込まれた。逆に言えば非公式ガイド立ち上げ時は批判やトラブルへの応酬が可能なくらい人材が豊富だった。なので、わざわざ界隈の意見を調整して当たり障りのない本を作る必要はなかったのだ。しかし、現在の文学フリマガイドブックには批判意見に対して建設的な理論を構築できる作家も、また小説執筆の応用で批判者の心情を抉ることのできる作家も、温情なく斬り捨てる作家も存在しないか、隅に追いやられるかした。クリーンなイメージが売りの編集長・秋山真琴氏に文学的な議論は似合わない。なので
物事を穏便に進めようとさせる調整力

 を必要とせざるをえず、文学フリマガイドブックは商売道具として生き残る道を選んだのだ。そのため自薦を別枠ではなく受け入れたり憲章に
文学フリマにおいて、価値ある同人誌を見いだし、一般来場者に提案すると同時に、出店者を支援し、同イベントの活性化を促すと共に、同人誌の楽しさを広く知ってもらうことを目的とする。

と「出店者を支援し」という一文を入れたりするように文学フリマガイドブックは作品尊重の役割を終え、サークル相互扶助の役割を増すようになった。それも含めて文学フリマガイドブックは現状をふまえ身の丈にあった正しい選択をとっている。
 だが、勘違いしてはならないのは今が正しいからといって過去においても正しいとは限らないということだ。最初から非公式ガイドが穏便さと調整を求めていたら作る側も読む側も「面白くない」と手放していて続かなかっただろう。非公式ガイドの批判とトラブルと議論の歴史の果てに現在の文学フリマガイドブックの中興期があるのだ。だからこの奇跡的に続いた文学フリマのガイド史のなかでは佐藤氏の大局観も高村女史の批評精神も中継ぎの想さんも、斬り捨て御免の屋代氏も消極的積極の真乃氏も、その他ガイドに携わった方々もガイドを批判して炎上し散った方々もみな「負の歴史」や「負の遺産」なんかではなく全て現在の文学フリマガイドブックの人柱、いや礎となっているのだ。

補足として気になったこと

望月発言で気になることがいくつか。
それに、事務局としては「『非公式』って付いてるから大丈夫でしょ」って言われるのは、むしろ迷惑なんですよね。何かあったときに「いやいや『非公式』って付いてるから、何やってもいいでしょ」とか言われて、責任逃れされたら、たまったもんじゃない。「非公式」という言葉を、免罪符みたいに使われるほうが迷惑なんですよ。
そして第1号はまさに「非公式ってついてるからいいでしょ」っていう文脈で「非公式」の言葉を使っていた。その意味でも「文学フリマ非公式ガイドブック」って名前をつけてしまったこと自体、上手くないな、ヘタクソだなと思っていたんです。

望月:あの「最高責任編集者」とかっていう大仰な役職名は僕も気になっていました。僕自身、文学フリマの取材を受けた時に「事務局長」って書かれていたら、必ず「事務局代表」に修正しています。「事務局長」って、なんだか国連とか労働組合みたいな響きがあるし(笑)。

でも、そういう「細部」に神経が通っているかどうかっていうのは、けっこう大事です。これまであの長い役職名を変更しなかったことは、ちょっとセンスがなかったかな、と思いますね。
 
 これらの発言は望月氏の非公式ガイド時代の体制への無知に由来している。憲章を一読すれば分かることなのに基本的な読解で望月氏は躓いている。当時の非公式ガイドは「責任編集者」と「編集者」で役割が違ったし、「責任編集者」と「最高責任編集者」とでも役割が違った。そして非公式ガイドの責任者は「責任編集者」以上であり、責任者の任命責任は「最高責任編集者」のみにあり、責任者は主観によって左右される内容以外の責任を負うと憲章に明記されている。確かに「最高責任編集者」は佐藤氏が言ったとき私も長ったらしくてダセーと思ったのだがこの長さは、細かいようだが、機能的に必要なのだ。なので、非公式ガイドの責任の所在については、第一回文学フリマ金沢において自己都合で好き勝手やった責任を放棄し続けている文学フリマ・アライアンスの代表がどの口で言ったのだろうかというくらい明確だった。

 また「非公式」について、非公式ガイドの正式名称は「文学フリマ非公式ガイドブック小説ガイド」というもので冗長である。しかし望月代表はご存知なかったのかもしれないが、のちに「非公式」だけでニックネームになったようにこの「非公式」が文学フリマのガイドであることの鍵となったのだ。望月発言の

「非公式」っていう言葉自体、ネガティブさとか、イリーガルさがありますから。


 のように、「非公式」は立ち上げ当初の非公式ガイドが必要としていたイリーガルな魅力を表現する的確でクールなネーミングだった。それに非公式ガイドは当初は小説作品のためのガイドであり、事務局のためのガイドではなかった。文学フリマ事務局のご都合ばかりで判断するな。

最後に望月発言で気になったこと
全国各地に文学フリマが増えれば、その影響を受けて出店者が減るのは東京と大阪です。でも、それを乗り越えてもう1、2年くらいすると、今度は増えてくると思うんです。福岡や北海道や盛岡でやって、と繰り返していくと、ある段階から、地元で文学フリマを経験した人たちが「年に1回くらいは東京に行ってみようか」「大阪に行ってみようか」みたいな感じになってくるんじゃないかな、と。

 金沢は繰り返さないの? そういえば第二回の告知まだないし。まさか、あの山崎くんが罪悪感で心を病んで自死したわけじゃないよね?


# by suikageiju | 2015-11-15 17:00 | 文学フリマ
第4回福岡ポエイチ
高浜虚子は九州へ来ると巨大になった。〈天の川の下に天智天皇と臣虚子と〉を作ったのは太宰府である。また九州の女をよく見ている。小倉では〈落椿投げて暖炉の火の上に〉の句で橋本多佳子を俳句の世界に誘った。そんな文学と女の住まう島九州は福岡の博多で6月の定例行事、福岡ポエイチが開催される。

2015年6月6日(土)と7日(日)の両日12時-17時、福岡市は中洲川端駅近くにある冷泉荘(福岡市博多区上川端町9−35)で開催される第4回福岡ポエイチに、西瓜鯨油社は参加しない。しかし牟礼鯨は福岡へ遊びに行く。

というのも、かの精霊的肉体を持つ文学地母神=小柳日向命が主宰する日表造形社の詩誌『二日酔いのモナムール』に詩と俳句と自由律俳句を寄稿したのだ。その詩誌は6日と7日の両日、a-8「大坂文庫」にて販売される。

この詩誌『二日酔いのモナムール』は地母神が集めた5人の作家が参加している。彼らを世代で分けると以下のようになる。

第一世代 森井聖大(大分県)
第二世代 牟礼鯨(東京都)、泉由良(台湾)
第三世代 上住断靭(大阪府)、小柳日向(福岡県)

どんな作品が集まったのかは知らない。だが創作文芸界隈でよくあるような公募ではなく、小柳日向命が自ら作家を選び編集した。その行為に一つの明確な神慮があるだろう。たぶん、文学を楽しめ、と言っているに違いない。

作家の言葉を、ボクサーの拳のような凶器だと恐れる者は言葉を知らぬがゆえに恐れている。彼らは嘘を知らず、ゆえに言葉を知ることなく、文学を恐れ、文学に背を向け、文学に門戸を閉ざし、文学に敗北する。福岡の地には言葉を楽しみ、文学に親しめる者らが集うだろう。福岡ポエイチの当日、会場となる冷泉荘には私服警官はひとりもいない。なぜなら福岡ポエイチは詩人どものイベントであり、言葉を知るものが司るからだ。言葉と文学に警察は不要である。なぜなら言葉自身が作家と詩人を律し、同時に欺くからだ。そのことを信じることができない者は文学から去る他ない。

福岡では言葉と文学、そして地母神を楽しもう。



# by suikageiju | 2015-05-25 10:34 | 福岡
寄稿分の感想など















# by suikageiju | 2015-05-18 17:00 | 弊社発行物
第二十回文学フリマ東京
 5月4日に開催される第二十回文学フリマ東京で新しく販売される4種の本に牟礼鯨は寄稿した。他にも過去に寄稿した本も売られているんじゃないのかな。過去寄稿は過去記事をさかのぼってもらうとして、新しく出る本について紹介する。



もっと新しい歴史教科書 世界史C

 まずはこれ。何かの打ち上げが歌舞伎町の海峡で催されそこで同席した唐橋女史に誘われ寄稿した世界史アンソロジー。もともと大学時代にイスラーム史を専攻しており、ラテンアメリカの知識もあったので一部作品の校正も担当した。文化史の寄稿が少ないんじゃないかと勝手に推測し、飲料史か遊戯史かと考え後者を寄稿した。「四品系棋」をシフォンケーキと読むのは当て字である。たぶん文学フリマ会場のD-01で買えるはず。
 ざっと全体を読んだところ栗山真太朗の「エノラ・ゲイの息子」がよく書けている。



文学フリマガイドブック

 次に文学フリマガイドブック第7号へ推薦文を寄稿した。寄稿しておいて何だし非公式時代の責任編集者だった癖に無責任なと詰られるだろうが、文学フリマガイドブックは公式化して闘争心と気概を失った。すでに言及されている問題だが、推薦者や評定者を集めているときに「まだまだ数が足りていない」などと呟いている。公式化したからそれだけで信用されるガイドブックになれるだなんて勘違いするなよ。ガイドブックなのだからハッタリでも構わないから衆生を導いてやる位の態度が必要なんだ。傲慢さが文学的信用を呼ぶんだ。弁舌爽やかでふにゃふにゃ〜んとした人気者ではいけない、悪態と醜聞を愛せ。ただ今は文学フリマ事務局そのものが文学のイベント主催者なのに創造性と好奇心の欠けた“事なかれ主義”かつ権威主義に陥っている。web申込をした参加者の個人情報を利用範囲を超えて濫用し、警察を呼ぶようにもなった。文学フリマガイドブックの凋落もその一端なのかもしれない。でも鯨が寄稿したから買ってね。文学フリマ会場のイ-03で買えるはず。


7文字でつながる連作超短編を書こう!2015

 そして人数で言えばこれ。思い返せば文学フリマ金沢における牟礼鯨追放劇は去年9月第二回文学フリマ大阪後の難波におけるゴタゴタに端緒が開いていたのかもしれない。ミナミの酒場にて既に、事務局に小判鮫のように寄生したい権威主義的人間群と、純粋に文学と作品を愛する人間群の間で亀裂が生じていたのだ。
その難波にて秋山真琴が「7文字だけ引きつけばいいから俳句もオッケー。鯨も参加してね」とか言う。「何のことだ?」と訊けば7文字でつながる短篇集を作るだのどーたらこーたら。それが9月のことで10月に送られてきた前走者4人の寄稿を読むとみんな短篇小説を書いていて俳句はおろか短歌もない。あれ? と疑ったけれど主催の秋山真琴が難波で「俳句でオッケー」と言っていたのだし、まだ4人しか書いていないのだから問題はないと鯨は俳句を送った。ところが蓋を開けてみたら50人くらいいる参加者のうち俳句で書いていたのは鯨だけだった。これにはさすがの鯨も腰が砕けた。しかし別回路で考えれば他の寄稿者は一人につき1つのストーリーだが、鯨は16のストーリーで構成された血族の秘史を寄稿できたのだ。文学フリマ会場のイ01-02と他のブースで買えるはず。


俳句と超短編vol.1

 最後に忘れちゃいけないこれ。7文字企画の前走者である櫛木千尋さんに招かれて俳句と超短編の本に寄稿した。櫛木さんの短篇を鯨が俳句で繋いだという縁である。確かに俳句も超短編も省略によって生じた余白を読者に委ねる文芸という点では類似している。だが違いはある。今回「怪」というテーマを与えられた。短篇なら怪と作者が思うものを書けばよいけれど、俳句は作者が怪と思ったものを書けばよいだけではなく、大概のひとが怪と読み取りうる装置を十七文字のなかに的確に仕掛けなければならない。俳句と超短編の違いを楽しめる一冊となっているだろう。こちらは文学フリマ会場のE-50で買えるはず。


 以上が5月4日に平和島の流通センターで開催される第二十回文学フリマ東京で手に取れる本の一覧だ。4冊とも君の戦利品としてくれ。

# by suikageiju | 2015-05-04 11:00 | 文学フリマ