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サークル閉鎖。
by 鯨
谷川俊太郎さんと詩情
 2009年11月25日分朝日新聞朝刊のオピニオンは詩人谷川俊太郎さんの記事、「漫画にコスプレに薄く広がった詩情 金や権力なじまぬ」と題されて日本の詩情について意見されている。谷川俊太郎さんは横浜エスペラント大会の際に朗読をじかに聴いたことがある。いくつか気になった言葉を抜粋する。
・『詩』には二つの意味がある詩作品そのものと、ポエジー、詩情を指す場合です。
・詩情はどんな人の中にも生まれたり消えたりしている。(鯨:音楽とか絵画とか舞踏とか写真とか映像とか舞踏とか演劇とか、詩情を感じえるか否かで作品の良し悪しが分かれる)
・『スラムダンク』にも詩情はあるのではないでしょうか。(鯨:涼宮ハルヒやAKB48にもある)
・詩は人々をむすぶものであるはずなのに、個性、自己表現を追及して、新しいことをやっているという自己満足が詩人を孤立させていった。(鯨:自分が感じた詩情を他人にどうことばで伝えるかに眼目をおかない詩に未来はない)
・高度資本主義が芸術を変質させている。
・詩人も作家も美術家も好きか嫌いか、売れているか売れていないかで決まる。タレントと変わらなくなっています。(鯨:辺境日本人よ、もっと自分の批評力に自信を持とうぜ)
・秩序を守ろうと働く散文と違い、詩はことばを使っているのに、ことばを超えた混沌にかかわる。
・圧倒的に金銭に頼らなくちゃいけなくなっていますからね。お金を稼ぐ能力がある人はいいけれど、おれは貧乏してもいい詩を書くぞ、みたいなことがみんなの前で言えなくなっている。それを価値として認める合意がないから『詩』よりも『詩的なもの』で満足してしまう。(鯨:貨幣を万物の尺度とするアリストテレス的な価値観、資本主義。一方で、貨幣を悪鋳して貨幣価値を嘲弄したディオゲネス的な価値観、狂ったソクラテス)
・ブログが単なる自分の心情のハケ口になっているとしたら、詩の裾野にはなりえないでしょう。(鯨:ネット上で“恋する気持ち”や“どす黒い私”を謳った女性の詩形式を見つけるなぁ。詩じゃなくて詩形式。誰かに聴いて欲しいんだろうな。でも聴かせるには技芸が必要になってくる。そう考えると歌というのは一つの立派な技芸)
・ことばがデジタル的に割り切れるものになっているような。詩はもっともアナログ的な、アナロジー(類推)とか比喩とかで成り立っているものですからね。
・詩ではことばの音、声、手触り、調べ、そういうものが重要です。
・詩情は探すものではなくて、突然、襲われるようなものだと思うんです。
・これからの詩はむしろ、金銭に絶対換算されないぞ、ってことを強みにしないとダメだ、みたいに開き直ってみたくなる。

by suikageiju | 2009-11-25 09:50 | 雑記
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