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サークル閉鎖。
by 鯨
生きて、語り伝える

生きて、語り伝える

ガブリエル・ガルシア=マルケス / 新潮社


 「小説なんて書かない、書くのは物語だ。というのは、教えを説くんじゃなくてモノを語るからだ」とその場限りの冗談として言ったことがある。もちろん「説」は「語」よりもやや押し付けがましい意味があるだけで、「小説」には「くだらない話」くらいの意味しかない。だが、後にル・クレジオが「道徳、教訓を垂れるのが文学ではない」と話すのを聴いて2週間前の自分の冗談を戒めとし、「説」の意味を「道徳・教訓を垂れる」に改竄した。私は自分の書いた作品を一切「小説」とは言わないし、誰にも言わせない。私は「物語」だけを創る。
 ガブリエル・ガルシア・マルケスは史上最高のノーベル文学賞作家であり、生物最強の語り部である。一時期、彼の作品を読みすぎたために他の作家の作品が総じてつまらなくなり、うんざりした記憶がある。不幸にも我が日本の大江健三郎の作品群を二回目に読んだのがその時期にあたり、彼の作品群は友人に貸したまま行方不明にするという処置をとらざるをえなかった。『生きて、語り伝える』はガブリエル・ガルシア・マルケスの自伝である。
 驚くのは彼の主な作品がほとんど実話だということだ。特に、あの読んでいる自分さえも恋に罹患する『コレラの時代の愛』が彼の両親の実話だと知って、私は震えが止まらなかった。彼は「(「ナタニエルの最後」という作品を)心を悩ませることなくお蔵入りにした」。なぜなら「私自身とはまるで何の関係もない話であることに気づいたからである」。これについてはこの文を読む以前から私の信条にしている。ただし彼に教わったことかどうかは知らない。
 彼の最高傑作である『予告された同人の記録』についても、周知のことだが、実話である。殺された男はサンティアゴ・ナサールではなくカイェターノ・ヘンティーレ。この事件を題材にしたあの物語について彼自身が「集団的責任という文学的主題」と書いたのには安心させられた。私があの作品を他人に勧めるのは、自分に降りかかる責任の重さを恐れる余りに「自己責任」という言葉を使い、根本的解決を目指さない人間に慢性的な頭痛を与えたいからだ。
 日本の小説やライトノベルは台詞を中心に展開し、地の文がその補足説明となっていることが多い。生徒時代の私も台詞を中心にした文体を書いており、自分の書いたものを読んでうんざりさせられた。そのうち自分は随筆を書いたほうが面白いことに気づき、地の文を中心にして台詞を地の文の装飾や話題の切り換えに使うことにした。この方式を学んだのがこのガブリエル・ガルシア・マルケスである。回想録は物語の無い文章であるが、この本を楽しめるのは地の文のあちこちに諧謔の地雷が埋め込まれているからだ。
by suikageiju | 2009-12-03 16:08 | 感想
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