人気ブログランキング | 話題のタグを見る

サークル閉鎖。
by 鯨
もし早稲田大学入学式で新歓をしたら
 4月1日は早稲田大学の入学式である。入学式といえばサークルの新入生勧誘イベント、新勧がある。鯨は文学結社「西瓜鯨油社」に新しい売り子を招き寄せるため、早稲田へ新入生を漁りに出かけた。なぜ早稲田か? 鯨の母校が早大であるグランファルーンもそうだが、早稲田大学には早稲田大学教育学部国語国文学会創作部会早稲田大学現代文学会早稲田大学詩人会早稲田大学児童文学研究会早稲田大学創作文芸会ことのは早稲田文学編集室ワセダミステリ・クラブなど文学フリマ参加サークルが多数あり、それらに加入する可能性のある新入生に名前を売るのもいいかと思ったのだ。
もし早稲田大学入学式で新歓をしたら_f0208721_1655233.jpg

 時間は政治経済学部・法学部・文学部の入学式が終わる頃合いをねらった。記念講堂のある戸山キャンパスから本部キャンパスにいたる商店街のとある電灯に体重を預け、戸山キャンパスから本部キャンパスに流れてくる人に次々に声をかけていこうという算段だ。最初は人通りが少なかったけれど、午前11時をまわることからだんだんと人が増えてきた。第一弾入学式が終わったのだろう。鯨はすれ違う人すれ違う人に「西瓜鯨油社です。売り子やりませんか」「西瓜鯨油社だ。文学やろうぜ」と、右手に名刺を持って声をかけ続けた。「なんだろう、この人は? 」とチラ見してくれる人もあるが、たいていは無視である。ひとり「貴様が鯨か。天誅!」と正義漢気取りに殴られたが、大したケガはしなかった。あきらかに学生ではない男がキャンパス外の公道上で新入生勧誘をしているのだ。怪しまれるのは仕方のないこと。それでも鯨はめげずに声をかけ続けた。
「西瓜鯨油社です」
 ある黒スーツの女子大生が声をかけた鯨の前で足をとめた。スーツを着ているというより着られている様相である。それに、興味があるから足をとめたというより、声をかけられたので驚いて足をとめたような感じだ。
「あ、はい」
 すかさず鯨は名刺を、女子大生の右手に持たせた。
「売り子やりませんか」
 その女子大生は手渡された名刺と鯨の顔とを丹念に見比べ
「売り子って何ですか」
 と細い声で訊いてきた。心の奥底にある言語以前のものをなんとか発話しているような、そんな印象のある女の子だ。
「うちは文学サークルで、自分たちで本をつくってイベントなどで売るんです。売り子というのはそういった本をつくったり、本を売ってくださる人のことです。5月にはイベントが2つあって、夏には福岡遠征とかもする予定です。もし文学に興味があれば、ぜひ。あ、あなたみたいな人が僕の本を売ってくれたらうれしいなと思います」
 ふーんと女の子は鯨の言葉を消化しているようであり、何かを思案しかねているようでもあった。そして返ってきた言葉が
「ちょっと興味あります」
 である。鯨がびっくりだ。
「え、本当ですか」
 などと訊いてしまった。こういう事態に陥ったときにどうすればよいかを考えていなかった。いったい、どうすりゃいいんだろう。
「じゃあ、これから予定とかありますか。あ、ちょうどお昼頃だし何か食べながらお話しましょうか」
「あ、はい」
 それは予定がないということでいいのだろうか。
「じゃあ、こっち来て」
 と鯨は手招きする。女の子はそのあとをついて来る。

「どこか行きたいところある? 」
 と女の子に訊くと
「秋葉原」
 と答えたので
「えっ」
 と鯨は会話の流れを断ち切ってしまった。早稲田のまわりの手近な食堂で今後のことを話そうと思っていたのだが、心づもりがはずれてしまった。もしかしてと思い「東京の子? 」と訊くと「いえ」という返答である。
 なるほど、そういうことか。
「出身は長野県です」

 早稲田駅から東西線、日本橋駅で乗り換えて銀座線に乗り末広町へ。地下鉄の車両で女の子が「メイド喫茶に行きたいです」などと言い出したので、唯一鯨が行ったことのあるシャッツキステに案内することにした。何だかお上りさんの観光案内をしているような気になったが、やはり5日前に上京して中井に居を構えたばかりだという。東京見物はまだ、とのことだ。シャッツキステに到着したときは12時前でまだ開店していなかったので外で待っていたら、メイドさんが開けてくれた。有閑階級メイドに案内されて席につく。席についた女の子、古橋希(決めてもらった筆名)のカップと鯨のカップに紅茶が注がれる。それとサツマイモの黒蜜ほうじ茶タルトを注文した。
もし早稲田大学入学式で新歓をしたら_f0208721_174838.jpg

 突然喋り出すメイドさんの話を無視して、ゆったりと西瓜鯨油社のあらましと今までの活動を説明した。その説明内容はここでは割愛させていただく。希はだいたいのことを理解したようだ。そして、鯨が大学生なんかではなく、西瓜鯨油社も大学のサークルではないことも。
「すまんな。騙した形になってしまったみたいで」
 希はこのときはじめて紅茶に口をつけた。
「いえ」
 ちょっと濃かったようで。すぐにカップを置いた。鯨は近くを通りかかったメイドさんにミルクを頼む。
「なんとなくわかっていました。鯨さんは大学生ではないんじゃないかと」
 なら、なんでと訊くのは野暮かな。
「大学生ならこれからたくさん会えるけれど、それ以上の方と会う機会はなかなかないと思ったので」
 希は賢い子だった。
「これからよろしく」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
 それからは古橋希自身の話を聞いた。長野県飯田市での幼少期、小学生の無邪気な思い出、中学校時代のかなわぬ初恋、高校生のときにつきあいはじめた彼氏との思い出、受験で信州大学に進学した彼氏とは遠距離恋愛になったこと。詳細を語るのを避けようとした希が築く牆壁を、鯨は質問でつきくずし、希はかすかな抵抗ののちに諦め、自ら微細の小道へとゆっくり足を踏み入れていった。ケーキは切り崩されなくなっていく。紅茶は残量が少なくなるころにはメイドさんによって新たに注がれていく。話すうちに希はだんだんと高揚していった、目にはかすかに涙をたたえていた。鯨は熱心に語る希の左手を右手で握った。
「じゃあ、しかるべき所へ行こうか」
 希は話を遮られたことについては文句ひとつ言わず、ただ頬を真っ赤にさせてコクリと首を縦にふった。2人分の会計を済ませ、鯨は希の手を握ったままシャッツキステを出て湯島方面に向かう。ここからだとそんなに距離はない。坂をのぼるとホテル街にたどり着いた。そしてとあるラヴホテルの前で立ち止まる。ちなみに鯨もそこに入ったことはない。
もし早稲田大学入学式で新歓をしたら_f0208721_17103888.jpg

「入るぞ」
 そう言うと希は無言で頷いた。その一室では為すべき事が為され、行われるべきが行われた。「つけないんですか」と言われても「彼氏がいるんでしょ」と確かめれば「あ、そうでした」と返ってくる。他動詞は的確に目的格を探り出し、掘削機は掘り返すべきを掘り返した。主格は対格にとってかわり、対格は主格になりかわる。すべてが終焉に至り、まずは希が、ついで鯨が眠りに就いた。

 数刻して鯨が目覚めると部屋には誰もいなかった。「希」と呼んでも声は返ってこない。バスルームを見てもトイレを見ても誰も入っていない。どうしてしまったのか。うろうろしていると硝子製のテーブルの上に紙片を見つけた。拾い上げると女の子らしい文字で「4/1」と書かれている。エイプリルフール、どうやらなにもかもが嘘だったようだ。
by suikageiju | 2012-04-01 17:22 | 掌編
<< 創作文芸の「上から目線」問題 -A 04 >>