『物語群』増補改訂版入稿、根津メトロ文庫にて
 増補改訂版となる『物語群』第二版を昨日入稿した。第一版は500頁だったけれど、今版は568頁になる。「それだけは言わないで」「浄められた花嫁の告白」など数篇が新しく収録されている。ちなみに『物語群』に収録された「浄められた花嫁の告白」は、『浄められた花嫁の告白』に収録された「浄められた花嫁の告白」とはまったく違う内容になっている。比べて読むと共通点を見つけられるかもしれない。
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 高校生・大学生だった鯨は「究極の一冊」を探していた。長期間の鉄道旅行でこの一冊だけ鞄に忍ばせておけば事足りる或いは救われる、そんな聖書のような一冊を追い求めていた。その一冊はきっと読む度に毎回違う感覚に浸ることができるだろう、きっと自分の成長とともに毛並みを変えていく本になるだろう。きっと無人島に持って行きたい一冊になるだろう。そんな書物との出会いを想像してひとり興奮していた。でもなかなか出会えるものではない。ボルヘスの『伝奇集』かなと思ったときもあった。でも違った。サド侯爵の『美徳の栄え』かなと思ったけれど分冊だったので北沢書店でGrove PressのAustryn Wainhouse訳Julietteを買った。でも違った。いつしか「究極の一冊」を追い求めることを諦めていた頃もあった。King James版のBible、これなのかなと改宗の準備をすすめていた。だが、そんなある日、気づくのである。既存の出版社や作家が「究極の一冊」をつくらない/つくれないのであれば自分で「究極の一冊」をつくればいいのだと。そして西瓜鯨油社が設立された。その文学結社で「究極の一冊」のために試作されたのが『掌編集』『複雑系』であり、道を外れたのが『コルキータ』であり、そして究極を志して制作されたのが『物語群』である。西瓜鯨油社の本は基本的に文庫サイズだ。表紙は目立たないようにそして読者自身で装丁できるように地味、気が散りやすい鉄道旅行で読みやすいように掌編や短篇を多数収録している。今回の増補改訂でもこれらの意志は継承されている。『物語群』が「究極の一冊」なのかどうかは読者の判断に委ねるが、鉄道旅行者あるいは旅人のための一冊となっているのは確かだ
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 また、『物語群』には通勤通学で電車を利用する職業人や学生生徒が電車のなかでボロボロになっても読み続けられる、再読・再々読に堪えうる耐久性がある。おまけに職場や学校で「人間」としての姿を求められてうんざりした人が帰路に痴漢をして盗撮をして強姦をして法で裁かれたとしても、文学的に自己正当化できるような内容にも仕上がっている。『物語群』は旅人のためだけの本ではない、自分の運命に抗いきれない職業人や学生生徒のための本にもなっている。そこで鯨は今日、千代田線根津駅は根津メトロ文庫へ行き、『物語群』第一版を置いてきた。この本が泣きながら通勤通学する誰かを救うことになればいい、そんな願いをこめて。こんなふうに、もうすぐ次の版を出そうかというとき、古い版を国会図書館に納品するのもいいけど根津メトロ文庫に在庫の数冊を置いておくと面白いかも。文芸同人誌の集まる地下鉄文庫として話題になればなお良し。改札を出なくていいので千代田線に乗ったときにぶらりと立ち寄るといい。
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 『物語群』収録の掌編のほとんどは鯨自身が読み返してもとても自分が書いたとは思えない。冒頭の「都市」という掌編は2006年11月に「街」という題で書かれた掌編がもとになっている。

 すさんだ心で、灰色の排煙でくぐもった街を歩いていると、なぜだろう、頬を蒼い涙がつたう。硝酸の雨が人々の肌を傷つけ、硫黄性の大気が肺を浸していく。道ばたで若い女性が強姦されていても道行く人は振り向きもせず、黒色の外套の襟に皺だらけの顔を深く沈めて通り過ぎる。老婆が四頭馬車にはねられて腐敗した肉片が通りを赤く染めても、誰も足を止めたりはしない。ただ機械と化した人の動きだけが無機的にそこにはある。そんな街のなかで、かすかでも人の心のあたたかさに触れると、人はどこか優しい気持ちになれる。


こんな文章は今の鯨には書けない、他人が書いたとしか考えられない。その思いは数ヶ月毎に読み返す度に更新されていく。そういった意味で、少なくとも鯨にとって『物語群』は「究極の一冊」なのである。鯨の例のようにすべての人にとって『物語群』がすぐに「究極の一冊」になることはないだろう。だが研鑽と修練とを積み、波長を合わせていくことできっと『物語群』はあなたの枕頭の書になるはずだ。その枕が刑務所の枕ではないことだけを鯨は祈る。
 『物語群』はCOMITIA100(ひ14b)と第十四回文学フリマ(E-36)で頒布する。
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by suikageiju | 2012-04-15 17:26 | 文学フリマ | Trackback | Comments(1)
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Commented by ナイス記事 at 2012-04-18 08:40 x
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