朗読は、西瓜鯨油社における文学活動の本来の意図に反する。なぜなら声に出して読むことで物語の解釈が固定化されてしまうからだ。「一つの愛とその他の狂気について」は「―そのたのきょうき―」と読んでもいいし「―そのほかのきょうき―」と読んでも良かった。でも作者自身が朗読することで漢字や抑揚などの読み方が固定されてしまい、それに准じて解釈も固定されてしまう怖れがある。この文は心の声なのか、実際の声なのか、それともその話の筋に関係のない第三者の声なのか? ぼかされていた部品が抑揚によって意味を明示されてしまう。物語は抽出者である作者の手を離れたら最早作者とは無関係なのに、朗読によっていつまでも物語が作者の手から離れていかなくなる。そうやって朗読は鯨自身の意図に抗い続けるのだ。