しかしながら、かれが書を読んでいたとき、その眼は紙面の上を馳せ、心は意味をさぐっていたが、声も立てず、舌も動かさなかった(sed cum legebat, oculi ducebantur per paginas et cor intellectum rimabatur, vox autem et lingua quiescebant.)。しばしば、わたしたちがかれのもとにいたとき――だれでもはいって差支えなく、来客を取り次ぐ習わしでなかったので――かれはいつもそのように黙読していて、そうしていないのを見たことは一度もなかった
もっとも、彼の声はしわがれがちであったので、声を大事にすることもまた、そしてその方が黙読のほんとうの理由であったのかもしれない。(quamquam et causa servandae vocis, quae illi facillime obtundebatur, poterat esse iustior tacite legendi.)
必要にせまられての黙読であったが、黙読をしていたからこそアンブロシウスは「文字は殺し、霊は生かす」(Littera occidit, spiritus autem vivificat)というように、書かれている内容を正確に解釈することができた、あるいはしようとした。朗読・音読は何かを習得するには向いているのかもしれない。だが、朗読によって人は正しい理解を妨げられ、正しい解釈から遠ざけられている。朗読工は文学活動ではない、単なる娯楽と酔狂である。