救世主の街
2005年3月3日
 朝3時に起きてぼうとテレビを観て外の様子を見ようと思い硝子のテーブルの上に乗ったら硝子が割れた。すとんと足裏から落ちて痛みを感じた。右足の土踏まずと左脚の薬指を切ったので絆創膏を貼った。出発の支度をしてエルハナの白髪混じりのフロントにそのことを言ったらちょっと古い方のパソコンを調べて「問題ないです」との返事。たぶん海外旅行保険に加入していたからだろう。その場でチェックアウトした。チュニス・バルセロナ駅Gare de Tunisへ行き6時発ガベス行きの電車を待つ。6番ホームに入って来た電車で予約席のある1号車はどこか迷っていると東アジア人を発見した。女連れである。どこにいてもセックスを欠かしたくないのだろう。性に対して律儀なことだ。チュニス郊外の車窓風景は良かった。これが「世界の車窓から」か。チュニジアの朝焼け三色旗は美しい。車内のトイレは水洗式ではなく足で踏んで車外に落とす形式であった。8時前にスーサに着くと歩いてメトロの駅へ。
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 スーサから目的地マハディアへは往復切符を4.92ディナールで買える。出発しモナスティルで単なる車両の乗り換えをする。鉄道会社の管区が違うのだろうか。そこからは駱駝って普通に道を歩くんだねという車窓風景。
 自身をイスマーイール派のイマームにしてマフディー(救世主)だと宣言したファーティマ朝初代カリフ・ウバイドゥッラーが都を置いたマハディア(救世主の街)にメトロは到着する。この街はファーティマ朝史研究者として是非とも訪問したかった。魚市場に隣接したメディナで魚のグリルを食べる。パンにつけて食べる豆入りトマトソースもおいしいし、何より白身の焼き魚が絶品だった。ポテトフライも野菜もオリーブオイルたっぷりでとってもラズィーズン。旧市街の入り口にある門の上に立って半島状に突き出たマハディアの旧市街の姿を確認する。三方を囲まれた半島を城壁で囲んだ城塞都市は異端であるイスマーイール派の拠点に相応しかったのだろう。当時のチュニジア(イフリーキーヤ)にはシチリア島まで支配下に置いたアグラブ朝(首府カイラワーン)がファーティマ朝の敵としてまだ健在だった。それから旧市街へ。モスクとブルジュ・アルカビール(大きな城塞)を観る。
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 それから墓地を抜けて、その先の港跡を観ながらマハディア半島の尖端まで行き五円玉硬貨を投げた。日本人がここまで来たという証に。ただそこにはフランス人の釣り人がいた。話してみたら変なおっちゃんだった。
 旧市街の北側の海岸通りを彷徨ったあと疲労困憊の態でメトロに乗り込む。体力の限界に達したこともあるけれど、幾度となく死について思っていたからだろう。15時半ごろにスーサに着いた。ホテルまでが異様に遠く、ホテルにチェックインして402号室にたどりつくと一旦寝た。そして目が覚めてからビーチエリアでレストランを探す。探していたLa Mamaは見つからずRoi du Couscous(クスクスの王様)とかいう店で食べる。サラダミックスとよくわからない肉とフライドポテト。腹一杯に食べた。スーパーマーケットでDanoupと水を買い部屋に戻る。久しぶりに浴槽にお湯を貯めて入った。寝た。
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by suikageiju | 2013-03-23 20:25 | チュニジア旅行記 | Trackback | Comments(0)
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