魔王ジュリオ

イル・ディーヴォ ‐魔王と呼ばれた男‐ [DVD]

アメイジングD.C.


 イタリアの現代政治はメディチ家とローマ帝国とが同居している、そして諧謔とが。これは7期もイタリアの首相(閣僚評議会議長)を勤め、数多くの疑惑で訴追されながらも一度も投獄されなかった「せむし男」(Il Gobbo)あるいは「魔王」(Il Divo)、ジュリオ・アンドレオッティが共和国大統領に立候補し転落するまでを描いた映画だ。
 漫画「ガンスリンガー・ガール」を読めばわかるように、そしてディーノ・ブッツァーティやイタロ・カルヴィーノ、ジャンニ・ロダーリなどの優れたイタリア文学作品を読めば分かるように、現代イタリア人の言葉遣いはトスカーナ語や白銀期のラテン語にまで遡れる。フランスやドイツやイギリスの知性に隠れて忘れがちだが、イタリアの知性はその歴史の重みと同じようにどっしりと腰を据えて、今でもカルタゴを滅ぼさなければならないと睨んでいる。結局キリスト教文化はローマ帝国の遺産を食いつぶしきれなかった。カエサルの余剰がまだカラビニエリに、広報官に、アルファロメオのディーラーに、パン職人に、根付いている。
アンドレオッティ「ポエニ戦争以降の事件はすべて私のせいらしい」

マリオ司祭「ある作家いわくデ・ガスペリと君はミサヘ行く。同じように見えてもやることは違う。デ・ガスペリは神に話し君は司祭と話す」
アンドレオッティ「司祭は有権者だが神は違う」

f0208721_823568.jpg

 諧謔は重要だ。それは人間関係を円滑にし、他人を憎む気がしなくなり、個人と個人の距離感を知り、そして訴追をまぬがれる。事態はより複雑である。安易な善悪二元論に陥りがちな人間に諧謔を混入させれば、他人はそう単純ではなかったと気付くだろう。ラジカルな意見の対立と暴力とが一つの国で湧き上がればその国は破綻する。そんな国には平衡感覚に優れ、権力の意味をよく知ってそれを操る術を持ち、そして諧謔のよく効く政治家が必要だ。当時のイタリアでは、それがアンドレオッティであったのだろう。
 無表情な男という怪演。
[PR]
by suikageiju | 2013-06-18 08:42 | 雑記 | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : https://suikageiju.exblog.jp/tb/19845212
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
<< たび屋 MILLE-FILLES >>