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死ぬまで私はノーベル賞候補者のままだろう
Hürriyet紙2006年12月15日からの意訳

作家ヤシャル・ケマル(Yaşar Kemal)は自身がノーベル文学賞候補者になった「最初のトルコ人」であることを明らかにし「1973年からノーベル賞候補者となった。死ぬまで候補者のままだろう」と言った。講演の最後の方で自身に向けて「何のために書くのか」と問いかけ声に出したヤシャル・ケマル、「長年にわたり書かないよう努めた、しかしできなかった。まだ書いている」と話した。
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ヤシャル・ケマルはカドゥキョイ地区のジャッデボスタン文化センターで企画された本祭りの開会式に妻のアイシェ・ババンとともに「名誉賓客」として参加した。
ヤシャル・ケマルは、本や本の著者は以前はもっと興味を示されていたと注意を引き「くだらない社会でわれわれは生きている、そんななか、この社会にいる作家たちの一人として本当に残念に思っている。私は四十冊の本を書いた、四十冊がこの国に何をもたらしたのかはとてもじゃないが分からない」と話した。

ムスタファ・ケマルはそのままだ
ヤシャル・ケマルは講演が終了した後で、聴衆のうちから3人だけに自身への質問の許可を与えた。
「オルハン・パムクが獲得したノーベル文学賞は政治的なものですか、違いますか」と質問されたヤシャル・ケマルは笑いながら「この質問は私にしちゃだめだよ。私はノーベル文学賞候補になった『最初のトルコ人』だ。1973年からずっと候補者で、死ぬまで候補者のままだろう。彼のためにも私にはその質問をしてはならない」と言った。
ヤシャル・ケマルは「政治的反動は私たちを降伏させるだろうか?」といった形式の質問に「私はそう考えていない。何をしてきてもムスタファ・ケマルはそのままだ。最後までそのままだ」というふうに返事をした。
ヤシャル・ケマルが「私は嘘は言わないよ」と口を開いてから出た言葉は次のように進んだ。「もう一度、社会に出るならトラクター運転手になったろうね。なぜなら私は若い頃にトラクター運転手をやっていて人生でもっとも幸福な時代はその頃だったからだ」
シュメール学者のMuazzez İlmiye Çığも参加した開会式でカドゥキョイ地区長Selami Öztürkはヤシャル・ケマルに金属の盾を贈った。
Öztürk地区長は盾を授与する際に「結婚式も私は惜しまないだろう」と言ってヤシャル・ケマルの妻アイシェ・ババンを来客たちに紹介した。ジャッデボスタン文化センターは12月17日まで続く本祭りでいろいろな種類の随筆やパネルや署名を用意する。
by suikageiju | 2013-09-01 22:53 | 翻訳
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