ジョアン・フォンクベルタのカモフラージュ展
 パリ4区にあるヨーロッパ写真館でカタルーニャ人のシュールレアリスト、ジョアン・フォンクベルタ(ホアン・フォンクベルタ、Joan Fontcuberta)のカモフラージュ(Camouflages、偽装、擬態)展を見た。まず地下階へ行き、その階段横に並んでいる本やHERBARIUMの展示室を見ても、その意図に気付かなかった。FAUNEの展示室における、トリケラトプスのような背鰭のついた鰐や二本脚の生えた貝の偽剥製を見て、それらとケンタウルスのように下半身が四足動物であるチンパンジーについての写真を見て鳴き声を聴いて、ただ鼻行類めいた癖のある衒学趣味だけを連想していた。しかし階段を昇り、人魚の化石発見のドキュメンタリー風映像を見て、そこにジョアン・フォンクベルタ自身が神父の服を着て立ち現れて、展示された写真機や絵具や顕微鏡、そして階段に並べられた本や奇妙な植物写真の意図に気付いた。
 それらは中世や近代の権威的博物学、あるいは共産主義的なプロパガンダ、アメリカ帝国主義による映像操作へのカモフラージュ・オマージュであり、揶揄である。そして更に一歩進んで新たな自己の創造である。
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 ジョアン・フォンクベルタは芸術家を、現実を、真実を偽装するために別の世界と別の自分自身を写真と展示品によって創造していたのである。そしてピカソやミロやダリの偽写真を見て森村泰昌を連想し、「スプートニク」でジョアン・フォンクベルタが宇宙服を着てニッコリ笑っている写真を見て、自然と声を出して笑った。シリアだかパレスチナだかの街を背景にジョアン・フォンクベルタがアラブの服を着て座っている写真を見て、彼ならば何にでもなりたい職業に就けるのだし、なりたい人物になれるのだと考えた。これらを国家的虚構へのオマージュとだけ捉えるのはつまらない。これらは「自分」という可能性への挑戦である。
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 小説家があらゆる職業を疑似体験できるように、ジョアン・フォンクベルタはその作品によってあらゆる職業を僭称できる。その僭称は宇宙を夢見た子供の頃の落描きや写真やスケッチ、それから新聞などによって補強され現実味を帯びる。真実かどうかはどうでも良い。
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 思い出には実際の経験なんて必要なく、思い出を喚起する写真や記念品だけあれば思い出は構成され、記憶という名の印画紙に焼き付けられる。だから写真や記念品は偽造されたものでも構わず、思い出も色褪せない。「これが真実なのだ」そう言って、実際にそう思い込んで写真や記念品を差し出せばシュールレアリスム的にはそれはもう真実なのだ。
 ジョアン・フォンクベルタの作り込みの本気さにビビった。
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by suikageiju | 2014-03-01 00:17 | 雑記 | Trackback | Comments(0)
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