サークル閉鎖。
by 鯨
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カテゴリ:朗読工( 5 )
【朗読工第五回】「ローラ」
 下北沢の古書ビビビさんに委託した鯨鳥三日『耽溺』に寄稿した「ローラ」の冒頭を朗読した。短いのは朗読復帰(rehabilitacja)の途上にあるからだ。5月中下旬は風邪をひいて喉をいためていた。皆さんはそれを知っていてとても胸をいためていた、鯨はそれを知っている。そして朗読工の第五回を待ち望んでいた、それももちろん知っている。ではそんな君に尋ねる、それ以前の朗読工の声に比べて今回の朗読工の声は変わっただろうか。鯨は答えを持たぬ。なぜなら時を生きていないからだ。

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by suikageiju | 2012-06-04 20:25 | 朗読工 | Trackback | Comments(0)
【朗読工第四回】「盤」
 第四回の朗読工は西瓜鯨油社ではなく別のサークルの作品を朗読しようと決めていた。そう決めたのは昨日の朝である。いくつか条件をあげてみて、合致するサークルに頼もうと考えた。1,西瓜鯨油社に傾向が近い。2,朗読するのは掌編で2分から3分の間で完結する話。3,映像あるいは画像を入手しやすい。当てはまるサークルなんて笑半紙さんくらいしか思いつかなかった。それに夢日記を主に書いているサークルさんなのでその作品は朗読に向いている。夢は唐突に、何の脈絡もなく終わる。朗読は突然終わるようなものであればあるほど良い、なぜなら聴く人に不満足感を残せるからだ。
 今朝、太田さんの承諾を受けた。鯨が映像化のために選んだのは「盤」である。中央線・井の頭線沿いに住む笑半紙フリークたちは「なぜそれを選んだのか? 」と疑問に思うかも知れない。「もっといい作品があるだろう」 確かにそうだと思う。ただ映像・画像をつけるとなると「盤」が一番面白い。あとは鯨の思い過ごしである。最初期、寝ぼけていて「盤」をボンと発音していた。「ボンのせいで頭がぼんやりして」なんて太田さん面白いなと思っていたけれど、よくよく思い返したら読みはバンだった。
 いくつもの思い過ごしを越えて【朗読工第四回】「盤」は完成した。笑半紙さんの第十四回文学フリマ配置番号はア-18だ。


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by suikageiju | 2012-04-30 19:51 | 朗読工 | Trackback | Comments(0)
【朗読工第三回】「市民プールの人魚」
 聖アウグスティヌスの『告白(上)』(服部英次郎訳、岩波文庫)の第六巻第三章に朗読工としては興味深い、有名な文がある。弁論術教師としてミラノに赴いたアウグスティヌスがマニ教からカトリックに改宗するきっかけとなった師、ミラノ司教アンブロシウスの黙読風景について書かれた部分である。
しかしながら、かれが書を読んでいたとき、その眼は紙面の上を馳せ、心は意味をさぐっていたが、声も立てず、舌も動かさなかった(sed cum legebat, oculi ducebantur per paginas et cor intellectum rimabatur, vox autem et lingua quiescebant.)。しばしば、わたしたちがかれのもとにいたとき――だれでもはいって差支えなく、来客を取り次ぐ習わしでなかったので――かれはいつもそのように黙読していて、そうしていないのを見たことは一度もなかった

 アウグスティヌスにとってアンブロシウスの黙読は珍しいものだったのだろう。アンブロシウスがなぜ黙読をしていたかには理由がある。アンブロシウスは多忙で読書に割ける時間が少なく、音読をすると「ここにアンブロシウスあり」と知らせているようなものだ。そうすると人が寄ってきて「今の部分がよくわからなかった」などと質問から入っての議論などがはじまってしまい、たたでさえ少ない読書の時間が削られてしまう。そのため自分の存在を周囲に知られないように黙読をしていた。だがアウグスティヌスは別の理由もあげている。
もっとも、彼の声はしわがれがちであったので、声を大事にすることもまた、そしてその方が黙読のほんとうの理由であったのかもしれない。(quamquam et causa servandae vocis, quae illi facillime obtundebatur, poterat esse iustior tacite legendi.)

 必要にせまられての黙読であったが、黙読をしていたからこそアンブロシウスは「文字は殺し、霊は生かす」(Littera occidit, spiritus autem vivificat)というように、書かれている内容を正確に解釈することができた、あるいはしようとした。朗読・音読は何かを習得するには向いているのかもしれない。だが、朗読によって人は正しい理解を妨げられ、正しい解釈から遠ざけられている。朗読工は文学活動ではない、単なる娯楽と酔狂である。

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by suikageiju | 2012-04-30 10:25 | 朗読工 | Trackback | Comments(0)
【朗読工第二回】「自転車売春」
 朗読は、西瓜鯨油社における文学活動の本来の意図に反する。なぜなら声に出して読むことで物語の解釈が固定化されてしまうからだ。「一つの愛とその他の狂気について」は「―そのたのきょうき―」と読んでもいいし「―そのほかのきょうき―」と読んでも良かった。でも作者自身が朗読することで漢字や抑揚などの読み方が固定されてしまい、それに准じて解釈も固定されてしまう怖れがある。この文は心の声なのか、実際の声なのか、それともその話の筋に関係のない第三者の声なのか? ぼかされていた部品が抑揚によって意味を明示されてしまう。物語は抽出者である作者の手を離れたら最早作者とは無関係なのに、朗読によっていつまでも物語が作者の手から離れていかなくなる。そうやって朗読は鯨自身の意図に抗い続けるのだ。

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by suikageiju | 2012-04-28 18:09 | 朗読工 | Trackback | Comments(0)
【朗読工第一回】「風の吹かない平原」
 文学フリマなどの同人誌即売会や古書ビビビさんなどの自費出版も扱うような書店さんで本を頒布する以外に個人の文学サークルが何をできるか? あるいは文学フリマを盛り上げるために何ができるのか? と考え、西瓜鯨油社は今流行りの朗読を試みることにした。ひとつの懸念として、鯨は滑舌が悪い。その証拠に「きゃりーぱみゅぱみゅ」もうまく発音できない。それでも朗読することで何かを伝えればいいと考える。
 この朗読企画を「朗読工」rodok'ko と名付けた。朗読にいそしむ一人の勤務工、そんな意識をもって朗読に取り組んでいきたい。

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by suikageiju | 2012-04-28 16:36 | 朗読工 | Trackback | Comments(0)