うちひしがれた鯨と酔客を乗せて私鉄は蛇行しながら郊外を目指す。ただひたすらに後悔の念が押し寄せていた。後悔するのに費やす時間がいつもより長く、考えをまとめるのに時間がかかったのは脳の糖分が不足していたからだろう。きっと、レッドブル一杯では足りなかった。アルコール飲料を摂取して忘れていた方が、その後の頭痛を考えなければマシだったのかもしれない。
4月14日夜、大阪難波の高島屋8階にある居酒屋さんぽで第十六回文学フリマの打ち上げとして鈴木さんとクロフネ3世と伊織さんに囲まれて飲んでいたとき、超文学フリマ一週間前の20日夕に開催するニコニコ生放送を使った宣伝会議の話を聞いた。そのとき鯨は参加を表明した。これは、一週間に一回の頻度で人と会うのも楽しいだろうと思ったからだ。それもニコニコ生放送をするとのこと。新奇でおもしろそうである。難波で話を聞いた時点では、それは極めて内輪な生放送になるだろうと容易に予想できた。あるいは「卒塔婆」的な。
開催の数日前までに参加メンバーにいくつか変更があった。そしてノンポリ天皇がメンバーに名を連ねていた。違和感を得た。こんな極めて内輪の生放送になぜノンポリ天皇が、と。普段のノンポリ天皇の活動とはあまりにかけ離れた選択に戸惑いを隠せなかった。ノンポリ天皇の芝浦慶一氏はその参加メンバーをよくご存じなかったのではないかと疑ったくらい。ただ準備時間、目白の森の某教室で鈴木さんが「あのノンポリ天皇が来ますよ」と言ったとき、すべては大丈夫なのだろうと信じた。ただ16時半過ぎにノンポリ天皇の一行が遅刻して来場した後、渋澤怜が放送開始前に来場して鯨に「ブログがすごいしっかりしていて意識が高いと思って」と間の抜けたことを言っていて、もしかしたら芝浦氏も渋澤怜の轍を踏んだのかもしれないと危惧して、氏のこけた頬を見る。それは凶相である。
17時半に放送が始まったけれど、2サークルがまだ遅刻していた。ゆえに段取りもどういう順番で何を話すのかも決めることはできなかった。遅刻したサークルをどう割り振るのかという段取りさえも。そんななか始まった初回の芝浦氏の発表はその創作姿勢と同様に抜け目がなかった、ただ一点だけ、それが普通の本の宣伝であることを除いては。あるいはその時にもう場が変わってしまっていたのかもしれない。
次の発表はクロフネ3世である。彼が話し出して最初の生放送枠が終わって延長が成功したときに、鈴木さんが喫煙のため場を去ったことに驚く。リアリズムから逸れることを恐れるならば鯨は怒りを覚えた。鯨は嫌煙家ではなく、喫煙家である。怒りを覚えたのは、まず話しているクロフネ3世に失礼だろうという実にどうでも良い見当違いな理由からである。次にノンポリ天皇が普通に本を紹介をしたことで、この生放送が「変人」や「キチガイ」を演出してただ垂れ流すだけの放送から何か宣伝を志したようなキチンとした放送へと変わり司会進行を疎かにできなくなった流れに鈴木さんが気づいていなかったからだ。「流れ」というかこれは天皇陛下の意志だ。鈴木さん、天皇陛下はどうやら白塗りが出てきただけで視聴者が喜ぶような放送はしたくないようですよ。もう鯨自身の発表は本を使わずスライドショーベースで進める以上どうにもならない、それでも鈴木さんはまだなんとかなるだろうとは思っていた。白塗りだけど。主催者である鈴木さんが姿を消した会場内で、鯨は苛々としてミネラルウォーターを口に含んでいた。もし鯨がアルコール飲料が好きなら室内に垂れ込める不穏な空気から来る緊張をかき消すために飲酒してただろう。クロフネ3世の発表がもうすぐ終わりに近づく。さすがにと思い鯨は鈴木さんを呼びに教室後ろに付属するベランダに赴き、ガラス戸を拳で数度叩いた。「どうしました」とガラス戸が開いて白塗りの男が顔を出す。鯨はきつめに言う。
「もうすぐクロフネ3世の番、終わりますよ」
だが
「まだタバコを吸っているんで」
と返事をして鈴木さんはガラス戸を閉め、再び喫煙スペースであるベランダに戻った。今度の鯨は怒りを覚えず不安になった。そして不安のあまり席に戻って隣に座っていた渋澤怜の前で暴言を吐いた。このままでは佐藤さんから聴いている芝浦氏の性格から考えてどこかのタイミングで場は荒れる、だがそうなる前に鈴木さんと何かしらの手を打つのは無理だとその時点で判断した。ずばり、鈴木さんを庇うのは諦めた。部屋の対角線上に座る芝浦氏の痩せこけた頬を怯えながら見る。そしてクロフネ3世が話し終わったときも鈴木氏はまだベランダにいた。芝浦氏がカメラの前に姿を現した。そこで発せられた「内輪盛り上がりがひどいんで、コメントでdisってください。こんな屑どもに進行をまかせちゃダメですよ」という芝浦氏の言葉は、語感は悪いけれど、その通りだと思った。だが、それを見てしまってからは後はもう「卒塔婆」でいこう、と割り切ることができた。ノンポリ天皇も本の宣伝も関係ない、4月14日の夜に鯨が、たぶん鈴木さんが、伊織さんが、クロフネ3世がイメージしたままの放送をつくっていこう、そう決めた。
卒塔婆も白塗りも内輪で楽しむネタにはなりうるけれど、それ以上ではない。そもそもこの超文学フリマ向け宣伝企画会議は宣伝とは名がついているが何ら宣伝にはならない。もし宣伝ならば誰かの知り合いの「生主」か「歌い手」でも招聘すべきだろう。だがそれをしなかったということは、その生放送は最初から趣味の延長線上にある遊び、内輪発内輪向けの放送である。それは告知ブログを見ればわかりきったこと。つまりあの会は最初から卒塔婆であり、卒塔婆として楽しむべきものだった。そうだ、と鯨は気づく、鯨の不安は会の趣旨とメンバアの募集方法が一貫していないチグハグさによって生じたものに過ぎないのだ。それは何の解決にも繋がらない気づきだったけれど、不安はすぐに消えた。そして、ただあなたの道化師になりたい、と願った。
それからの鯨は自由にやらせてもらった。最初から卒塔婆であることは分かりきっていたので発表も卒塔婆的にやらせてもらった。というよりスライドショーは卒塔婆風に作ってあったので中途半端にやるわけにはいかなかったのだ。自己満足ではあるが、卒塔婆を完結させることができたと思う。その後もすべて卒塔婆的に振る舞った。表に出てくる視聴者もコメントを読めばこの放送が卒塔婆であることが分かっているようにうかがえる。例えば「コメントを読んでくれないなら帰ります」なんてコメントも実に卒塔婆性に満ちている。伊織さんはお菓子とお酒を買い込み顔を朱に染めながら酔っていた。実に卒塔婆婆である。ただ、だいぶ遅れて来た高村暦さんは16時まで寝ていたのに卒塔婆的ではなく振る舞った。普通に本の宣伝をしていた。その実直さが道化師としてしか生きられない鯨には輝いて見えた。そして最後に「楽しかった~」と言っている渋澤怜の朗らかさが羨ましく思えた。
次の生放送会場に行かなければならない都合で鯨は20時には会場を去らざるをえず、鯨がその生放送のwifiを担当していたので20時に会は終わった。鯨が帰り支度をしていると
「聴いていたなかで高村さんのが一番良かった」
と芝浦氏が誰宛にでもなく言う。それは間違いなくそうで、普通に本の宣伝をしていたのが高村さんと芝浦さんの2人くらいしかいなかったからだ。一番良かったのは芝浦氏のものだろう。帰り仕度が済んで鯨がいざ帰ろうとしたときに、芝浦氏は鈴木さんを呼び止めて
「参加者に集客力がない」
と言っていた。鈴木さんは「この人がいるから観ようと思う人はノンポリ天皇さんと鯨さんしかいないんで」などと返していたが、そんな返答はもう無意味だろう。2人の前提は生放送のはじめから大きく食い違っているのだから。
「お酒はやめましょう。鯨さんがうるさくて半分くらいの視聴者は落としましたよ」
牟礼鯨はチョコレート菓子バッカスのなかに入っている洋酒以外のアルコールは摂取していないし、周知の通り普段から酔っぱらった風体の鯨である。芝浦氏が自己愛のあまり現実を認識する力を失っていたのはいつからだったのだろう。鯨は挨拶をし足早に会場を出て目白の森をあとにした。そのあと、芝浦氏が鈴木さんとどんな会話をしたのかは知らない。
池袋駅についてから20時20分頃、西口のケンタッキー前に鯨鳥三日の三人で集まりビッグエコーの一室でユーストをした。和やかな放送だった。ラストオーダー後のコメダ珈琲で三人が無言で座っているとき、ふと、生放送の追加枠の料金を鈴木さんに払い忘れていたことを思いだした。超文学フリマでちゃんと払うので待っていてください。