サークル閉鎖。
by 鯨
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文学フリマは滅ぶべきである
もっと作家は自由な存在ではなかったか? なぜ小さなブースを守って一所懸命しているのか。by 文学フリマ参加者

文学とは悪党の所業である。あるいは悪党の所業を文学と呼ぶ。悪党はかつて合理的社会が崩壊過程で絞り出した潤滑油であり、同時にその存在が合理的社会の非合理性を暴いた。その暴く手段が言葉であれば、それはすなわち文学と呼ばれる。ゆえに悪党とは作家であるが、現代において悪党の対義語はサラリーマンである。鎌倉時代、悪党の対義語は御家人だった。御家人と言えば鎌倉幕府である。

最近は1192年に開府していないというこの鎌倉幕府が、文学フリマを考えるモデルとなる。既存の出版流通システムの外に文学の市場を作るという目的で始まった文学フリマは、既存の朝廷とは別の共同体を作るという目的で始まった鎌倉幕府(と後世呼ばれている超巨大武士団)と似ている。しかも鎌倉幕府が朝廷の令外の官と墾田永年私財法に依拠した朝廷の下部組織(武家労働組合)でしかなかったように、現状では文学フリマも既存の出版流通システムの下部組織でしかないし、それに甘んじることを目指している。

文学フリマ・アライアンスの一部が私腹を肥やすシステム

更に鎌倉幕府は実朝暗殺後、源氏棟梁を戴かなくなり征夷大将軍・日本国惣追捕使・日本国惣地頭といった地位に拠る傀儡将軍を掲げた得宗専制へ移行した。同じように文学フリマも文学の根源である悪党を排除し文学と自由という名目を同時に廃し、最大の文章系イベントという定評に拠るイベントとなった。更に文学フリマ・アライアンスによる百都市構想を掲げ、地方事務局開催の文学フリマやテキレボで参加登録が1サークルあるたびに数百円がwebカタログを作成した山崎良祐氏の私腹を肥やすために送金されるという体制に変貌した。その証拠に第二十回文学フリマ東京から「諸経費の高騰により出店参加費が5,000円から5,500円に上が」った。


また、文学フリマにとって外に向けた唯一の生命線だった批評システム「非公式ガイド」も、悪党は立ち去り「角が立たないようにする」参加サークルによる参加サークルのためのガイドブックへと路線を転じた。文学フリマガイドブックの方針転換は文学フリマ・アライアンスと山崎良祐氏にとって金が入るのがサークル参加登録でしかない現状では、必要な判断だろう。サークルを怒らせてサークル参加登録数を減らしたら身入りが減るだけだ。文学フリマが文学という名目を必要としなくなった以上、悪党は邪魔だ。来場者のための非公式ガイドなんて文学フリマ・アライアンスにとり目の上のたんこぶでしかない。サークル参加者が心地よければ文学フリマ・アライアンスはそれでいい。文学とは単にイベント名に冠するだけの飾りとなった。

なぜ文学フリマ・アライアンスは百都市構想に熱心なのか

それはお金のためだ。元寇以降、鎌倉幕府は御家人へ恩賞を与えることができず信頼関係は失われた。一方で文学フリマの参加サークルは純粋来場者の増加を期待している。しかし百都市構想である。文学フリマ・アライアンスは百都市開催を目指して拡大を続け、開催都市が増えてサークル参加登録が増えるたびに硬貨の落ちる音(たとえば、チャリン)がして文学フリマ・アライアンスの一部メンバーが私腹を肥やす。文学フリマ・アライアンスはお金に直結するサークル参加登録を増やすためには尽力するが、純粋来場者を増やすのはサークル参加者任せだ。

今までは望月代表のトーク力と人望と参加サークルの無知でなんとか誤魔化せてきた。「サークル参加者が1人で2人招けば1000人だ」「サークルに関係ない来場者なんてほとんどいやしない」「文学は内輪で進化してきたんだ。蕉風だって白樺派だって」。内輪でも相互批評があったことを除けば反論のしようがない正論だ。「百都市に文学フリマが拡大すればそれが宣伝となり純粋来場者が増える」東京の現状を見ても希望はいつだって美しい。開催都市数が百都市に近づくたびにうなぎ上りに増え続けるサークル参加者、一向に増えないだろう純粋来場者。査読制度が崩壊し批評機関としての意義が失われた文学フリマガイドブック、各地方都市事務局が公式ブログに載せる記事では目標設定のないままの「成功!成功!」の連呼、足し算で簡単に出来る来場者数の操作。文学フリマ・アライアンスはメンバーである地方事務局に内規を一切明かそうとしない。きっつー、とも言いたくなる。

鎌倉幕府はモンゴルと戦ったとき外にうって出なかった。文学フリマは外へうって出るだろうか。気づいたときには既存の出版流通システムより最悪な集金システムが出来ているかもしれない。

今や文学フリマより市井の一部書店の方が革新的に流通システムに抗っている。同人誌即売会という20世紀のシステムにいつまでしがみついている必要があるのだろうか。しかもそのシステムが事務局の一部の私腹を肥やす道具であり、かつイベントの大義名分も失われているとしたら。

Bunfree delenda est

鎌倉幕府は悪党の跋扈により武士団の内紛という形で別の棟梁を戴く武士団「室町幕府」へと変革されてしまった。同じように速度と無秩序を旨とする悪党的思考を持った作家が跋扈すれば文学フリマは滅びるだろう。そもそも作家は文学フリマという組織に与され机を半分に仕切ったブースを守り製品・商品をトレースし続けるサラリーマンではなく、流動的に作品を創造し喜びと悲しみと怒りをばら撒く悪党であるのが本質だ。文学フリマという動物園で飼いならされた経済的動物が作家としての本分である反社会的性質を思い出し悪党に戻れば文学フリマは鎌倉幕府のように瓦解する。文学フリマ・リスペクターの皆さん、安心してほしい。確かに文学フリマは大きくなり望月代表は優秀だ。しかし代替不可の存在ではない。鎌倉殿が室町殿に変わったように、文学フリマが死んでも代わりの優秀なイベンターはいくらでもあるし、webカタログみたいなシステムを作れる技術者はいくらでもいる。文学フリマ後に別の文章系イベントが発起しないことはない。そして、そもそも文学フリマがある今は作家にとり十全な状態ではない。十全であったなら、文学フリマは存在しなかった。文学フリマを必要としないことが作家の本願であった筈だ。その起源の危うさこそが文学フリマの本質である。

才能ある作家諸君、君は与えられたブースを守るだけの守護地頭のままで満足していられるのか。幕府が一回変わるだけで戦国大名にも天下人にもなれるのに。もし少しでも野心を抱いたのならやるべきことは簡単。失ってしまった液体性を獲得する、ただそれだけだ。

第二十二回文学フリマ東京の戦利品で本棚が大変だ。ともあれ、文学フリマは滅ぶべきであると考える次第である。

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by suikageiju | 2016-02-25 17:15 | 文学フリマ | Trackback | Comments(2)
文学フリマガイドブックについての望月倫彦×秋山真琴対談を読んで

文学フリマ事務局×文学フリマガイドブック編集委員会対談

感想

 文学フリマガイドブックは秋山真琴氏の努力によりあるべき形へ動いているという感想を抱いた。あるべき形とは文学フリマという容れ物(=イベント)に合った中身になっていること。その変容は文学が思想や個人の主張の道具から商売道具に変わりつつある変化のなかでは当然おこりうる流れだ。ただ、あえてか無意識にかその変容を考慮せずに望月氏が発言を行っている印象を受けた。あたかも、事務局の行為を正当化するために文学フリマ非公式ガイドブックと文学フリマガイドブックの歴史を意図的に修正しているような。
 確かに文学フリマガイドブックの前身となった非公式ガイドは
立ち上げ時点で軽く炎上した面がありました。(望月)

とあるように現状維持派な方々からの批判意見に囲まれていて商売道具には相応しくなかった。立ち上げ当時から文学のナイフ然としていた。
 ただ、責任編集者を四期務めた経験から言わせてもらえれば、望月氏がそういうことにさせたがっている「炎上商法」は非公式ガイド側からは一度も行われなかった。
望月:それは、炎上商法を狙っていた頃の「負の遺産」みたいなものでしょうね。

 非公式ガイド側の意図した「炎上」は、当然のことだが、一回もなかった。周辺のほぼ全てのトラブルは非公式ガイド批判者による外因であり、「炎上商法」と揶揄されるくらい頒布されたのは最高責任編集者であった佐藤氏と高村女史の一本筋の通った編集意図に由来する。「炎上」であるように見えたのは単に非公式ガイドに(主に私に)反論された批判者感情の発火が激しかったのと、「炎上商法だった」と非公式ガイド側から発言することで周辺のトラブルを過去のものにする意図があった。なので文学フリマが「炎上商法」だとお墨付きをくれるなら有り難いことこの上ないのであるが。
 面倒なほど非公式ガイドは批判とトラブルに巻き込まれた。逆に言えば非公式ガイド立ち上げ時は批判やトラブルへの応酬が可能なくらい人材が豊富だった。なので、わざわざ界隈の意見を調整して当たり障りのない本を作る必要はなかったのだ。しかし、現在の文学フリマガイドブックには批判意見に対して建設的な理論を構築できる作家も、また小説執筆の応用で批判者の心情を抉ることのできる作家も、温情なく斬り捨てる作家も存在しないか、隅に追いやられるかした。クリーンなイメージが売りの編集長・秋山真琴氏に文学的な議論は似合わない。なので
物事を穏便に進めようとさせる調整力

 を必要とせざるをえず、文学フリマガイドブックは商売道具として生き残る道を選んだのだ。そのため自薦を別枠ではなく受け入れたり憲章に
文学フリマにおいて、価値ある同人誌を見いだし、一般来場者に提案すると同時に、出店者を支援し、同イベントの活性化を促すと共に、同人誌の楽しさを広く知ってもらうことを目的とする。

と「出店者を支援し」という一文を入れたりするように文学フリマガイドブックは作品尊重の役割を終え、サークル相互扶助の役割を増すようになった。それも含めて文学フリマガイドブックは現状をふまえ身の丈にあった正しい選択をとっている。
 だが、勘違いしてはならないのは今が正しいからといって過去においても正しいとは限らないということだ。最初から非公式ガイドが穏便さと調整を求めていたら作る側も読む側も「面白くない」と手放していて続かなかっただろう。非公式ガイドの批判とトラブルと議論の歴史の果てに現在の文学フリマガイドブックの中興期があるのだ。だからこの奇跡的に続いた文学フリマのガイド史のなかでは佐藤氏の大局観も高村女史の批評精神も中継ぎの想さんも、斬り捨て御免の屋代氏も消極的積極の真乃氏も、その他ガイドに携わった方々もガイドを批判して炎上し散った方々もみな「負の歴史」や「負の遺産」なんかではなく全て現在の文学フリマガイドブックの人柱、いや礎となっているのだ。

補足として気になったこと

望月発言で気になることがいくつか。
それに、事務局としては「『非公式』って付いてるから大丈夫でしょ」って言われるのは、むしろ迷惑なんですよね。何かあったときに「いやいや『非公式』って付いてるから、何やってもいいでしょ」とか言われて、責任逃れされたら、たまったもんじゃない。「非公式」という言葉を、免罪符みたいに使われるほうが迷惑なんですよ。
そして第1号はまさに「非公式ってついてるからいいでしょ」っていう文脈で「非公式」の言葉を使っていた。その意味でも「文学フリマ非公式ガイドブック」って名前をつけてしまったこと自体、上手くないな、ヘタクソだなと思っていたんです。

望月:あの「最高責任編集者」とかっていう大仰な役職名は僕も気になっていました。僕自身、文学フリマの取材を受けた時に「事務局長」って書かれていたら、必ず「事務局代表」に修正しています。「事務局長」って、なんだか国連とか労働組合みたいな響きがあるし(笑)。

でも、そういう「細部」に神経が通っているかどうかっていうのは、けっこう大事です。これまであの長い役職名を変更しなかったことは、ちょっとセンスがなかったかな、と思いますね。
 
 これらの発言は望月氏の非公式ガイド時代の体制への無知に由来している。憲章を一読すれば分かることなのに基本的な読解で望月氏は躓いている。当時の非公式ガイドは「責任編集者」と「編集者」で役割が違ったし、「責任編集者」と「最高責任編集者」とでも役割が違った。そして非公式ガイドの責任者は「責任編集者」以上であり、責任者の任命責任は「最高責任編集者」のみにあり、責任者は主観によって左右される内容以外の責任を負うと憲章に明記されている。確かに「最高責任編集者」は佐藤氏が言ったとき私も長ったらしくてダセーと思ったのだがこの長さは、細かいようだが、機能的に必要なのだ。なので、非公式ガイドの責任の所在については、第一回文学フリマ金沢において自己都合で好き勝手やった責任を放棄し続けている文学フリマ・アライアンスの代表がどの口で言ったのだろうかというくらい明確だった。

 また「非公式」について、非公式ガイドの正式名称は「文学フリマ非公式ガイドブック小説ガイド」というもので冗長である。しかし望月代表はご存知なかったのかもしれないが、のちに「非公式」だけでニックネームになったようにこの「非公式」が文学フリマのガイドであることの鍵となったのだ。望月発言の

「非公式」っていう言葉自体、ネガティブさとか、イリーガルさがありますから。


 のように、「非公式」は立ち上げ当初の非公式ガイドが必要としていたイリーガルな魅力を表現する的確でクールなネーミングだった。それに非公式ガイドは当初は小説作品のためのガイドであり、事務局のためのガイドではなかった。文学フリマ事務局のご都合ばかりで判断するな。

最後に望月発言で気になったこと
全国各地に文学フリマが増えれば、その影響を受けて出店者が減るのは東京と大阪です。でも、それを乗り越えてもう1、2年くらいすると、今度は増えてくると思うんです。福岡や北海道や盛岡でやって、と繰り返していくと、ある段階から、地元で文学フリマを経験した人たちが「年に1回くらいは東京に行ってみようか」「大阪に行ってみようか」みたいな感じになってくるんじゃないかな、と。

 金沢は繰り返さないの? そういえば第二回の告知まだないし。まさか、あの山崎くんが罪悪感で心を病んで自死したわけじゃないよね?


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by suikageiju | 2015-11-15 17:00 | 文学フリマ | Trackback | Comments(0)
第二十回文学フリマ東京
 5月4日に開催される第二十回文学フリマ東京で新しく販売される4種の本に牟礼鯨は寄稿した。他にも過去に寄稿した本も売られているんじゃないのかな。過去寄稿は過去記事をさかのぼってもらうとして、新しく出る本について紹介する。



もっと新しい歴史教科書 世界史C

 まずはこれ。何かの打ち上げが歌舞伎町の海峡で催されそこで同席した唐橋女史に誘われ寄稿した世界史アンソロジー。もともと大学時代にイスラーム史を専攻しており、ラテンアメリカの知識もあったので一部作品の校正も担当した。文化史の寄稿が少ないんじゃないかと勝手に推測し、飲料史か遊戯史かと考え後者を寄稿した。「四品系棋」をシフォンケーキと読むのは当て字である。たぶん文学フリマ会場のD-01で買えるはず。
 ざっと全体を読んだところ栗山真太朗の「エノラ・ゲイの息子」がよく書けている。



文学フリマガイドブック

 次に文学フリマガイドブック第7号へ推薦文を寄稿した。寄稿しておいて何だし非公式時代の責任編集者だった癖に無責任なと詰られるだろうが、文学フリマガイドブックは公式化して闘争心と気概を失った。すでに言及されている問題だが、推薦者や評定者を集めているときに「まだまだ数が足りていない」などと呟いている。公式化したからそれだけで信用されるガイドブックになれるだなんて勘違いするなよ。ガイドブックなのだからハッタリでも構わないから衆生を導いてやる位の態度が必要なんだ。傲慢さが文学的信用を呼ぶんだ。弁舌爽やかでふにゃふにゃ〜んとした人気者ではいけない、悪態と醜聞を愛せ。ただ今は文学フリマ事務局そのものが文学のイベント主催者なのに創造性と好奇心の欠けた“事なかれ主義”かつ権威主義に陥っている。web申込をした参加者の個人情報を利用範囲を超えて濫用し、警察を呼ぶようにもなった。文学フリマガイドブックの凋落もその一端なのかもしれない。でも鯨が寄稿したから買ってね。文学フリマ会場のイ-03で買えるはず。


7文字でつながる連作超短編を書こう!2015

 そして人数で言えばこれ。思い返せば文学フリマ金沢における牟礼鯨追放劇は去年9月第二回文学フリマ大阪後の難波におけるゴタゴタに端緒が開いていたのかもしれない。ミナミの酒場にて既に、事務局に小判鮫のように寄生したい権威主義的人間群と、純粋に文学と作品を愛する人間群の間で亀裂が生じていたのだ。
その難波にて秋山真琴が「7文字だけ引きつけばいいから俳句もオッケー。鯨も参加してね」とか言う。「何のことだ?」と訊けば7文字でつながる短篇集を作るだのどーたらこーたら。それが9月のことで10月に送られてきた前走者4人の寄稿を読むとみんな短篇小説を書いていて俳句はおろか短歌もない。あれ? と疑ったけれど主催の秋山真琴が難波で「俳句でオッケー」と言っていたのだし、まだ4人しか書いていないのだから問題はないと鯨は俳句を送った。ところが蓋を開けてみたら50人くらいいる参加者のうち俳句で書いていたのは鯨だけだった。これにはさすがの鯨も腰が砕けた。しかし別回路で考えれば他の寄稿者は一人につき1つのストーリーだが、鯨は16のストーリーで構成された血族の秘史を寄稿できたのだ。文学フリマ会場のイ01-02と他のブースで買えるはず。


俳句と超短編vol.1

 最後に忘れちゃいけないこれ。7文字企画の前走者である櫛木千尋さんに招かれて俳句と超短編の本に寄稿した。櫛木さんの短篇を鯨が俳句で繋いだという縁である。確かに俳句も超短編も省略によって生じた余白を読者に委ねる文芸という点では類似している。だが違いはある。今回「怪」というテーマを与えられた。短篇なら怪と作者が思うものを書けばよいけれど、俳句は作者が怪と思ったものを書けばよいだけではなく、大概のひとが怪と読み取りうる装置を十七文字のなかに的確に仕掛けなければならない。俳句と超短編の違いを楽しめる一冊となっているだろう。こちらは文学フリマ会場のE-50で買えるはず。


 以上が5月4日に平和島の流通センターで開催される第二十回文学フリマ東京で手に取れる本の一覧だ。4冊とも君の戦利品としてくれ。

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by suikageiju | 2015-05-04 11:00 | 文学フリマ | Trackback | Comments(0)
世界史Cに執筆者・校正担当として参加
 歴史は生きる上で大切だ。まず、歴史はエアリプをしてはならないという教訓を与えてくれる。フランス革命の指導者ロベスピエールは、テルミドール8日の国民公会で「粛清されるべき議員がいる」と発言した。彼は最後まで誰が粛清されるべきか明示しなかったため、彼を恐れ脛に傷のある国民公会議員たちが結束し、翌9日にテルミドールの反動が勃発。市庁舎に逃げ込んだロベスピエールは捕えられ翌10日のうちにギロチン刑に処せられた。「粛清されるべき議員がいる」発言は歴史に刻まれたエアリプであり、「対象者を明示しない批判」=「エアリプ」が無差別絨毯爆撃であって予期していない人からの反撃を受ける危険を伴うことを教えてくれる。また、ロベスピエールはエアリプにより命を落とした人間のうち、おそらく最初の人である。
 そして、我々が歴史を学ぶのはロベスピエールをエアリプで死んだ最後の人にしたいからだ。

 その日も新宿の海峡靖国通り店で唐橋史女史相手に上記のような話を一席ぶった。いい気になった鯨はそのまま「熱」繋がりで「旅人よ、行きて伝えよ、ラケダイモンの人々に。我等かのことばに従いてここに伏すと」の碑文を読み上げると、女史は鯨の話を遮るように「そういえば鯨さんも世界史Cに寄稿してはどうですか?」と言った。あまりに唐突な提案に
「え?」
 鯨はキョトンとした顔をした。史文庫の『日本史C』については知っていた。歴史島だけでは留まらないその政治的な影響力について京童たちが噂していたからだ。しかし『世界史C』についてはうすうす予感はしていたものの、その未来を確証できる情報を何も得ていなかった、モサドも沈黙していた。だが鯨は腹を括って答えた。
「やろうじゃないか。どこの地域でもいつの時代でも構わない。アダムとイブの時代からオバマ時代まで、有史時代であれば何でも書いてやろうじゃないか」
 唐橋女史の飛び出る眼鏡が両面同時に曇り、右に三十度ずれたことに鯨は気づかなかった。新宿の夜は湿り気を帯びながら更けていく。

 そして今に至る。
 牟礼鯨は『世界史C』の執筆者の一人になった。なおかつ校正担当を引き受けた。従来から文学フリマと距離を置くため、文学フリマに参加する人のために何かできないかと考えていた。その「何か」のひとつとして、文学フリマにはその手の事務的な作業をこなす業者はいるけれど、小説の校正校閲さらには一読ののちの改善策提案役を引き受けられる知識と技量と経験と振れ幅のある人がまだ育っていないと考え、鯨自身がその役を今後引き受けるための練習として校正担当を買って出たのだ。まだまだ鯨はその役としては未熟かもしれないけれど鯨の他にも3人の校正担当がいるし、なにより唐橋史というよく肥えた人柱が毅然と立っている。あるいは寝坊することのない執筆者たちからきっと遅れることなく作品が届くのだ。必ずや『世界史C』は良い本になるだろう。いやそうしなければならない。

 あなたは思うのだろう。なぜ日本国の教育制度は「日本史」と「世界史」というおかしな分類で歴史を分断してしまったのかと。その答えは第二十回文学フリマ東京で『日本史C』と『世界史C』を読めば必ず分かる。
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by suikageiju | 2015-02-10 00:37 | 文学フリマ | Trackback | Comments(0)
第十九回文学フリマ
 2014年11月24日(月祝)、大田区平和島の東京流通センターで開催される第十九回文学フリマに西瓜鯨油社は参加する。弊社はじめての詩歌カテゴリでの参加である。今年の3月に俳句をはじめたり『詩誌84-2014.08』へゲスト参加したりと詩歌カテゴリへの接点が多くなった。2014年は西瓜鯨油社が総合文学結社へ歩を進めた一年と言えよう。
 小説からストーリーと世界観をはぎ取った文芸が詩歌なのではない。文字だけの漫画が小説ではないように、小説と詩歌は異なっている。詩歌は独立した文芸であり、そのうえで詩と俳句と短歌はそれぞれ違う。文芸はそれぞれにそれぞれの理由で異なっている。しかしただひとつ共通点がある。それは、どの文芸であっても言語を使っているということ。
 言語には2つの用途がある。まず独話、そして対話である。これら用途で文芸を分類するならば、現代詩や短歌や物語は独話の文芸、俳句や小説は対話の文芸と区切られる。文芸を書く人読む人は自分が独話向きの人間か対話向きの人間かをよく認識したうえで泥むカテゴリを選択すべきだろう。そしてあなたが対話向きな人間であれば西瓜鯨油社の門戸を叩くがよい。
 ちなみに会話向きな人間は対話向きではなく、独話向きである。ゆめゆめ混同されるな。
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【配置場所】
 F-01 (1階入口入り左隅)
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【頒布物】
新刊逃避癖のための句誌</haiku id="02">羇旅』(60頁200円)
 普段散文を書いている日本語作家22組23人による「旅/瞬間」をテーマにした俳句、そして墓碑銘を収録した句誌。
-『逃避癖のための句誌羇旅』関連のつぶやき
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東京新刊日曜日の娘たちは星々をシャワーヘッドの穴だと信じている』(100頁500円)
 母親に棄てられた娘とその娘を引き取った父親の話。世間と上手く折りあうことと自由に生きること、逃げ出したい全ての父に捧げる一冊。
-反響などの記事
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・『逃避癖のための句誌</haiku id="01">』(44頁200円)
 「普段散文を書いている首都圏の作家」による俳句71句と掌篇9篇、それと墓碑銘を収録。
-牟礼鯨による「余白を読む」
-反響と古書ビビビ納品記事
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・『南武枝線』 (82頁300円)、牟礼鯨
 痴漢で出会った嘘つきとサイコパス。嘘つきの始めた「新日程」が南武支線を怪異させる。記憶を喪う鉄道幻想譚。その第二版
-痴漢という言葉からは恋の芽生えしか想像できない。小説『南武枝線』牟礼鯨(著)
-ガジェット通信-Amazonが『南武枝線』を販売停止にした件(西瓜鯨油社)
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※ 『受取拒絶』や『譫妄とガラナ』、『コルキータ』など手持ち分は完売していますが、リンクの貼っているものはアマゾンで購入できます。

※ 文学フリマwebカタログで気になるサークルさんの「気になる」ボタンをクリックすることで「気になる」登録できます。

【備考】
・「西瓜鯨油社」は「すいかげいゆしゃ」、「牟礼鯨」は「むれ くじら」と読みます。
・とりあえず「西瓜鯨油社宣言」をお読み下さい。
・事前に質問などがございましたら「murekujira◎gmail.com」(◎→@)やコメントまで。
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by suikageiju | 2014-11-24 00:36 | 文学フリマ | Trackback | Comments(0)
第十九回文学フリマの配置
 11月24日(月祝)に開催される第十九回文学フリマの配置が確定した。西瓜鯨油社の配置はF-01である。通例ではF-02からF-04までの短歌同人誌「一角」さん、短歌同人誌「羽根と根」、短歌同人誌「」さんなど歌人の方々と入口左の壁際でひとつの短詩島を形成することになるだろう。しかし、西瓜鯨油社に短歌はない。あるのは俳句のみだ。新刊として『逃避癖のための句誌</haiku id="02">羇旅』、略称「羇旅」を販売する。また、創刊号の『逃避癖のための句誌</haiku id="01">』や小説『日曜日の娘たちは星々をシャワーヘッドの穴だと信じている』(感想)もある。
 従来、西瓜鯨油社には「小説」か「物語」か、というイメージが付きまとっていたように思う。しかし西瓜鯨油社は文学結社であり、文学結社でしかない。西瓜鯨油社が「小説」や「物語」などカテゴリを定義することはあっても、自らを「小説」や「物語」などのカテゴリで規定することはない。
 新刊「羇旅」には、文学フリマもしくは現代日本語世界のアルティマ・トゥーレへと至る道筋が秘められている。この本を手にし、読むことのできた者には、誰も見たことのなかった航路が開けるだろう。
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by suikageiju | 2014-10-15 21:51 | 文学フリマ | Trackback | Comments(0)
文学フリマ非公式ガイドブックは文壇なのか?
 第4版まで編集に関わっていた文学フリマ非公式ガイドブックについて言及したTweetが流れてきた。

 カオスカオスブックスの富永夏海さんのtweetである。富永氏はおもしろい感性で言葉を綴る作家さんだ。ふと、第十八回文学フリマの朝に二階の踊り場で彼女に会ったので「あ、でかい人だ」と挨拶したら「でかくないっ」と言って去ってしまわれたことを思い出した。それはともかく新刊『赤の素描』も言葉選びのセンスといつものことながら装丁が良かった。「読書好き」よりも「本好き」向けの本である。
 上に引用した富永氏のtweetはよく言われる「文学フリマ非公式ガイドブック=文壇」論の一種である。第十七回文学フリマ直後にも同様の意見があった。

 文壇という言葉は本来、文芸界隈くらいの意味しか持たない。しかし、この言葉は《出版社の正社員・編集者》《築地の料亭》《銀座》《祇園》《渡辺淳一》などの事象と結びつくと特権的なイメージを持つ。しかし残念ながら文学フリマ非公式ガイドブックはそのような事象とは繋がりがない、不幸にも。せいぜい《地域広報誌のアルバイト》《新宿の居酒屋「海峡」》《珈琲西武》《森井聖大》くらいだ。なので富永氏のtweetは同じく第十七回文学フリマ直後に発生した「内輪」論と同じような自己愛的な趣旨を持っていると考えられる。つまり文芸界隈にズブズブ浸かっている文学フリマ非公式ガイドブックにとっては定期的な行事なのだ。


 鯨が今回の「文壇」論は「内輪」論と趣旨は同じと考える根拠は富永氏の続きtweetに書いてある。



 実際に富永氏は「内輪」という言葉を使っていることから、おそらく「内輪」という意味で「文壇」という言葉を使ったのだと考えられる。また特権的な「文壇」を嫌いながらも「メジャーな作家さんを読んでトークイベント」なんて「文壇」的な行為をイベントを面白くするための方策として挙げている矛盾も、氏が「文壇」を「内輪」の別名として選んだこと、そしてそれが憤怒の表現として選択された過剰語であるという考えの根拠となる。

 また、富永氏はご自身の作品への評定文を気にされている。そこで新しい『文学フリマ非公式ガイドブック小説ガイド2014年春』を開いて読むと富永夏海氏の『アバガス』が掲載されていた。その評定文は以下の通りだ。
山川夜高:とにかく物体価値は最高。執拗な装丁に執拗な文体を貫き通す作品の強い意志に好感を抱いた。だけどその先は? と、どこか疑いが浮んでしまう。手放しには喜べない。
渋澤怜:夢追い系サブカル男女(我々!)が「自分のこと書かれていると思っちゃう系」小説としては一級品。しかし良くも悪くもそれ以上でもそれ以下でもなく毒にも薬にもならないので要注意ね。
高村暦:誰もが作り・消費する時代への食傷。這うように書くハサミの姿は映画で観たい。夢に恋し、夢に行き着く彼女を救うのは「どうでもいいことばかり書く」アンドレ・ブルトンなのでは。

 鯨としては山川さんがそれ言っちゃう?とか高村女史イミフとか渋澤怜だ~鯨はトライポフォビアなんで~怖いよ~(主旨と関係ない)とか色々あるけれど、三者ともある程度作品をよく読み込んで評定文を書いている。そして、どちらかと言えばネガティブな意味も含ませた評定文である。ただ、富永氏が「わたしたちの本をリコメンドしてくださった、その方にはたいへん感謝していて、とても嬉しくおもった。」と書いた伊藤なむあひ氏の推薦文も「文章が気持ち良い」と書いてあるものの山川氏が言及した「その先は?」や小説的展開については言及していない。この「違い」によって、つまり推薦した伊藤なむあひ氏が言及しなかった部分を評定文が補完することで『アバガス』の推薦頁は全体として連携がとれている。なのになぜ富永氏は推薦文については「感謝し」「嬉しくおもっ」て、評定文に「引っかかった」のだろうか?

 頒布された時点で『アバカス』はすでに富永氏から切り離され、読者の手に渡っている。富永氏が「引っかかった」のは、その子離れをまだご自身で受け入れていないからだ。

 評定制度は第4版から始まった。これは推薦文=リコメンドだけではガイドブックたりえないという考え、そしてその作品を推薦しなかった人の評を載せることで『文学フリマ非公式ガイドブック小説ガイド』上で複数人の「主観」の「違い」を載せて読みの多様性を表現し『文学フリマ非公式ガイドブック小説ガイド』をガイドブックたらしめようという考えに基づいている。
「非公式ガイド」 の名で親しまれる、あるいは嫌われるこの本を、私たちは《主観の提供》という名目で、懲りずにまた差しだそうと思う。私たちが手にすることのできた数少ない物品の中から、主観で選択し、主観で紹介する。それはどうあってもあなたの主観ではなくて、あくまでも彼や彼女の主観、そして私たちや私の主観だ。けれど、その「違い」から、またさらに別の「作品」を作りだせはしないか、というのが、非公式ガイド の問いかけなのだ。――高村暦「文学フリマ非公式ガイドブック第2宣言」

 このような第4版と最新刊の『文学フリマ非公式ガイドブック小説ガイド2014年春』での試みは、作家の子離れをうながし、作品を批評によって作家と切り離そうとする企みである。そして、その企みの継続と徹底でしか文学フリマの内輪感や閉塞感の打破はありえないと信じるゆえの行為である。というのはいわゆる「内輪」や「文壇」と揶揄されるような文学フリマの閉塞感は根深く、そのイベントの枠を超越し、19世紀末~20世紀初頭にロマン主義が「物語」に終止符を打って以降、作家と作品を繋げる、ともすれば作家を作品よりも偏重する世界の文学傾向に基づいているからだ。
人が作家になるのは特別な才能があるからではなくて、不幸にして他の仕事ができなかったからであり、孤独な仕事を通じて得られるのは、靴職人が靴を作っていただく報酬と同じであって、それ以上の褒賞や特権を手にするべきではないと考えてきました。「あなた方がおられるので」ガブリエル・ガルシア=マルケス、カラカス、1972年

 このように20世紀後半に故ガルシア=マルケスが忌避した作家偏重の傾向が東洋の島国日本でも、特権的ないわゆる「文壇」を形成した。それは現代でも継続している。

林真理子さん「文壇が崩壊してしまうほどの衝撃」

渡辺淳一さんと30年にわたって交流を続けてきた作家の林真理子さんは「お年を召して大御所になってからもベストセラー作家であり続けるという信じられないような方でした。女性もお酒もおいしいものも大好きで、そういうことがすべて作家としての糧になると信じていたのだと思います。渡辺先生と一緒にいると作家であることの喜びや楽しさを感じることができました。今の私があるのも渡辺先生のおかげで、さみしさでいっぱいです」と渡辺さんの死を悼んでいました。
また、「本が売れず出版業界が大きな試練を迎えているなかでリーダーがいなくなり、とても困ってしまう。1人の作家が亡くなったというだけでは済まされないくらいで、文壇が崩壊してしまうほどの衝撃があります」と声を詰まらせながら話していました。作家の渡辺淳一さん死去

 なぜ作家が死んでも作品が遺るのに文壇が崩壊するのだろうか。知人の死で取り乱している故の言だろうか。それとも、これは作家を偏重していて、個々の作品で価値を判断していない時代の名残りに囚われているからなのだろうか。きっと、渡辺淳一が不老不死でも出版業界の試練は続いただろう。そんな構造的試練に直面している出版業界と同じことを文学フリマという自由な市場でやっても仕方がない。もっと良い方法がある。

 閉塞感を抜け出したいのならとりあえずは「作者の考え」と「読者の考え」が等価であることを認めるべきである。たとえ、作者が考える読み方であっても、他の「読者の考え」と同じ、そして偶然にも最初の読者に選ばれた人の読み方として捉えるべきである。そして不幸にも「文壇」=文芸界隈に属している文学フリマの作家たちが、しかしこの自由市場でいち早く改宗し自己愛的な「作者の考え」偏重を遠ざけるべきである。その先で、作家と作品の幸福な切り離しを図ろう。そうなればやっと作家の名前は責任の所在のみを示すようになる。文学フリマがそこまで到達すれば、この閉塞感に満ちた文芸界隈も今までには無かった形をとって息を吹き返すかも知れない。それは文学フリマというモデルケースに従って、という目を疑うような形で。

 音楽もデザインもアートも、特に音楽とデザインはガルシア=マルケスの言う「靴職人」の「靴」に近い状態になっている。しかし「文学」はまだ「靴」にもなっていない。ただの鞣革、しかも作者の人皮装丁だ。文学が閉塞的であると気付いている富永氏なら、いつか自身の作品の子離れを受け入れる日が来ると信じている。その時、ご自身が作品との間に結んだ「文壇」的な癒着関係から解放されるはずだ。きっと打破できる。それは富永氏にとっての救済となるし、彼女が文学フリマというイベント並びに文芸界隈を導く存在となる第一歩となる。

文学フリマ非公式ガイドブック小説ガイド編集員会側の見解
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by suikageiju | 2014-05-06 23:11 | 文学フリマ | Trackback | Comments(2)
第十八回文学フリマ
 2014年5月5日(月祝)に大田区平和島の東京流通センターで開催される文芸イベントが第十八回文学フリマである。逃避癖の文学結社、西瓜鯨油社もそれに参加する。いたたまれない側のひとつとして。


 『文学フリマ非公式ガイドブック2014年春(通巻第5号)(B-01)も評定者として参加しました。

【配置場所】
 B-20

【頒布物】
・『譫妄とガラナ』(98頁)、牟礼鯨、新刊
世田谷で起きた監禁事件の新聞記事を読んで、牟礼鯨は精神病院に旧い友人を訪ねる。 あけっぴろげになった友人が語る譫言めいた昔話を物語化。
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・『受取拒絶』(98頁)、牟礼鯨
 ――君の物語を誰かが受け取るとでも思ったの? 返事の来ない手紙を78通投函し続けた男がやっと受け取った返事は「受取拒絶」だった。頒布後の反応はこんな感じでした。
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・『南武枝線』 (82頁)、牟礼鯨
 痴漢で出会った嘘つきとサイコパス。嘘つきの始めた「新日程」が南武支線を怪異させる。記憶を喪う鉄道幻想譚。その第二版
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【備考】
・「西瓜鯨油社」は「すいかげいゆしゃ」、「牟礼鯨」は「むれ くじら」と読みます。
・とりあえず「西瓜鯨油社宣言」と「会社案内」をお読み下さい。
・事前に質問などがございましたら「murekujira◎gmail.com」(◎→@)やコメントまで。
・小便もしくは尿意に対する強迫観念があるのでよくトイレに行きます。鯨不在の場合は待っていてください。もしくはAmazon Kindleストアでショッピングして待っていて下さい。
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by suikageiju | 2014-04-29 10:19 | 文学フリマ | Trackback | Comments(0)
第十八回文学フリマとCOMITIA108を効果的に連絡する双方向ハシゴ方式
 2014年5月5日(月祝)、有明の東京ビッグサイトこと国際展示場で自主製作漫画誌展示即売会COMITIA108が、その同日に平和島の東京流通センターで創作文芸・評論オンリーの同人誌即売会、第十八回文学フリマが開催される。論を俟たずして逃避癖の文学結社・西瓜鯨油社は第十八回文学フリマに参加する

 東京湾岸部で、創作文芸サークルが参加しそうな同人誌即売会が同日開催されることで、2つのイベントを連絡して一般参加をする人、いわゆるハシゴをする一般参加者が出てくるだろう。都合の良いことに両イベント間には路線が通っており、ビッグサイトの最寄り駅であるりんかい線国際展示場駅と東京流通センターの最寄り駅である東京モノレール流通センター駅は、天王洲アイル駅で乗り換えれば534円25分以内で行ける。歩行時間も含めれば50分もかからない。
 ハシゴといえば午後2時前までどちらか一方の同人誌即売会に滞在して、午後2時半には別の同人誌即売会に移る、という片方向ハシゴ方式が一般に流布している定番だけれど、その方式だと前半で帰ってしまうサークルさん、後半から遅れて参加するサークルさんの本を買えなくなる危険がある。そのため、どちらの同人誌即売会にも前半と後半それぞれに少なくとも一回は訪れる双方向ハシゴ方式を採用する世界基準の一般参加者が増えている。そのうち、ISOも取得するだろう。そこで、第十八回文学フリマは閉幕17時とCOMITIA108より1時間長く会が続くことを考慮し、前半は(開幕)COMITIA108→第十八回文学フリマ、後半は第十八回文学フリマ→COMITIA108→第十八回文学フリマ(閉幕)という双方向ハシゴ方式を採用すれば効果的だろう。決して効率的ではないけれど。

 双方向ハシゴ方式での実際の行程表を示すには有明と平和島、それぞれの地区にどのくらい滞在する必要があるかを計算する必要がある。Googleマップによれば、国際展示場駅から東京ビッグサイトまで徒歩11分とのこと。多く見積もって片道15分で計算すれば有明地区の滞在時間は1時間30分必要だろう。一方で流通センター駅から東京流通センターまでは徒歩3分である。これなら平和島地区の滞在時間は1時間あれば充分だろう。この滞在時間を基準に以下、行程表をジョルダンで算出した。

【1】開幕のCOMITIA108を愉しむ。(有明滞在1時間35分)

■国際展示場 1番線発
|  りんかい線快速(川越行) 4.3km 3・8号車
|  12:35-12:40[5分]
|  267円
◇天王洲アイル 1番線着 [9分待ち]
|  東京モノレール(羽田空港第2ビル行) 4.7km
|  12:49-12:54[5分]
|  267円
■流通センター

【2】第十八回文学フリマを楽しむ。(平和島滞在1時間13分)

■流通センター
|  東京モノレール(浜松町行) 4.7km 後/6号車
|  14:07-14:12[5分]
|  267円
◇天王洲アイル 2番線発 [13分待ち]
|  りんかい線(新木場行) 4.3km 3・8号車
|  14:25-14:31[6分]
|  267円
■国際展示場 2番線着

【3】COMITIA108を愉しむ。(有明滞在1時間34分)

■国際展示場 1番線発
|  りんかい線(大崎行) 4.3km 3・8号車
|  16:05-16:10[5分]
|  267円
◇天王洲アイル 1番線着 [11分待ち]
|  東京モノレール区間快速(羽田空港第2ビル行) 4.7km
|  16:21-16:26[5分]
|  267円
■流通センター

【4】第十八回文学フリマを楽しむ。閉幕。(平和島滞在34分)


 この方式ならICカードを使えば1602円で前半と後半の両イベントを堪能することができる。本も何冊か買えるだろう。もちろん1時間を少し超えるくらいの滞在では本を探す時間が足りなくなることもあろう。そこで便利なツールとしてCOMITIA108にはティアズマガジンがある。そして第十八回文学フリマでは公式カタログの他にB-1で頒布されている『文学フリマ非公式ガイドブック2014年春(通巻5号)』がある。
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by suikageiju | 2014-04-29 07:00 | 文学フリマ | Trackback | Comments(0)
非公式ガイドブック2014年春号(通巻第5号)推薦作決定会議
 「非公式」は補集合の代名詞だった。精神的指導者(アイドル)をつくり何かと群れたがる文学フリマ参加者のなかでそういった集合から漏れた嫌われ者クラスタたちの掃き溜めが文学フリマ非公式ガイドブック小説ガイド編集委員会であるはずだった。佐藤、屋代秀樹、牟礼鯨、そういった犬畜生、人外鬼畜、海棲哺乳類がいたころ、「非公式」はなかなかひとつにまとまらず、まだ補集合でいられた。
 でも、今や「非公式」は固有名詞となっている。何かと人望を集めている高村暦、猫をかぶった山本清風、そして銀河系最強の秋山真琴などまずまずの人格者を責任編集者に据えてひとつの集合を為しはじめた。だからだろう、今回から「非公式」ならではのカラーが出来てたように感じられる。もはや補集合には戻れないのか。

 2月16日10時40分ごろ地下鉄神保町駅に着いてホームを歩き扉が閉まったとき、Deity's watchdogと書かれた近江舞子さんの黒いトートバッグを半蔵門線の車内に置き忘れたことに気付いた。文芸同人誌入れとして重宝しており、いつもそれには数冊の文芸同人誌が入っていた。改札口の横にある駅事務室へ行き、駅員さんをけしかけて押上駅と北千住駅で回収作戦を決行したけれど、いずれも失敗した。11時からレイアウト会議であったので神保町交差点の集合場所で待っていた高村暦女史に会いに行き遺失物の件を告げた。11時15分くらいになっていたが、組版係のわたるんはまだ来ていないばかりか遅刻の連絡もないらしい。そこで高村女史の提案により、遺失物のデータベースにそのトートバッグが載って連絡が来るまで神保町のカフェめぐりをすることにした。
 カフェめぐりといっても中に入ったりはしない。犬尾春陽氏に教わった神保町カフェ・リストから非公式の会場に相応しいお店を外観と窓からのぞき見た内装から選ぶだけの作業である。雪の残る靖国通りとすずらん通りを女史のあとに従い歩く。
 それにしても、犬尾氏は迂闊だ。彼女が紹介したお店はほとんど日曜祝日休業だった。神保町は古本街とは言われているけれど、その実態は問屋街である。つまり平日に働く職業人のために賑わう街であり、日曜祝日になんて来るべき街ではないのだ。ましてや珈琲を飲むなんてことは。それは名高きさぼうるが日曜日定休であることから考えて分かるはずだろう。犬尾氏もそうだが、鯨は日曜日に神保町を開催地に選んだ高村女史も迂闊だと思った。会場となったギャラリー珈琲店古瀬戸は日曜日でも開いていた稀な例である。
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 文学フリマ非公式ガイドブック2014年春号(通巻第5号)の推薦作つまり掲載作決定会議は13時半過ぎから高村暦、秋山真琴、伊藤なむあひ、そして遅れてやって来た山本清風、真乃晴花の5人で、名雪大河が描く蛙たちのただなかではじめられていた。そこに牟礼鯨はいない。13時半から14時過ぎまで鯨は再び半蔵門線に乗って黒いトートバッグが見つかったという清澄白河駅までそれを取りに行っていた。今回、鯨はただの一冊も推薦していない。そんな非公式ガイドブックの制作に非協力的な人が会議で口を挟むのも可笑しいので会議よりも遺失物回収を優先させたのだ。もちろん、もう編集サイドからは外れた、ただのオンブスマンでありたいという願望もその選択には込められている。
 遅れて古瀬戸へ向かう。すでに会議は盛り上がりを見せていた。くっつけられた3脚の青い丸テーブルを囲むようにして座り、推薦作を全作品を読んだ責任編集者3人を中心に推薦作一冊ずつにそれぞれが意見を投げかけあっている。伊藤なむあひ、真乃晴花、牟礼鯨、この3人はその場にいるけれど俎上にあがっているすべての作品を読んでいるわけではない。単に偶然買って読んでいたか、それとも現物が目の前のテーブルの上に載っているかして得た情報をもとに、あるいはただ純粋に推薦者が書いた推薦文を読むだけで議論に加わっている。これは推薦作そのものへの評価もそうだけれど、それよりもその作品を推す推薦文への評価にも重きを置いているのが非公式ガイドブックだからだ。ゆえに推薦作をあまり知らない人が推薦文を読んでどう思うかを探るためにも未読者の存在はこの会議に必要である。幸運と努力の賜物だろうか、掲載する推薦作はその日のうちに決まった。けれど、まだ容赦がありすぎるように思えた。鯨の主観では「え、こんな本が?」という数作に誰も拒否権を発動しなかったのだ。
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 会議はやがて掲載が決まった推薦作をどの評定担当者にまわすかを決めるテーマに移り変わった。評定担当者は推薦者の推薦文を相対化する。評定文は推薦作への評価を推薦文から読み取れる内容で固定化しないように機能する。その調整を行うという観点で評定担当者の割り振りが決められる。この割り振りにこそ責任編集者ならびに編集委員会の意図が込められている。
 最後には推薦作が載せられている頁以外をどうするかというテーマで話し合われた。いわゆるサークル紹介頁についてである。このとき鯨はその前のテーマで鯨に割り振られた推薦作の評定文をその場で書いていたのでほとんど話を聴いていなかった。ただそこでも厳かな決定が下されたことは確かだろう。
 16時に会議は終わり、その後はミスボドの秋山真琴が持って来たボードゲームを遊ぶ。まずは「詠み人知らず」、次に「藪の中」である。しばらく楽しんだあと、遅れて横浜からやって来た栗山真太朗を迎え、名古屋へ帰る秋山真琴を見送り、パパ・ミラノ神保町店にて無口な6人は歓談した。5月5日の第十八回文学フリマから話題を逸らすことはなかなかできなかった。
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by suikageiju | 2014-02-17 23:40 | 文学フリマ | Trackback | Comments(0)