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百年の孤独

百年の孤独 (Cent jaroj da soleco)

ガブリエル ガルシア=マルケス / 新潮社

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 私が知っているだけでこの物語の単行本は3つ出ていて、最初の版は2度、次の版は4度、3番目の版は2度読んだ。この物語に私は圧倒され続けている。人類がこの物語を超えることを、私は期待している。そのためには一年に一回はこの物語を読みたい。
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by suikageiju | 2009-05-30 17:30 | ラテンアメリカ文学 | Trackback | Comments(0)
存在の耐えられない軽さ

存在の耐えられない軽さ
(Netolerebla leĝero de estado)

ミラン クンデラ / 集英社

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 名前だけが一人歩きしている本というとこれとか『死に至る病』とかがある。「永劫回帰という考えは秘密に包まれていて、ニーチェはその考えで、自分以外の哲学者を困惑させた」という冒頭に煙をまかれるが、基本的にトマーシュとテレザを軸とする四人の男女の愛と浮気の物語である。スターリンの息子ヤコブの挿話がおもしろい。「糞のための死は無意味な死ではない」
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by suikageiju | 2009-05-30 17:13 | 感想 | Trackback | Comments(0)
掌編向きの男
 原稿用紙10枚以上の物語を書くたびに、つくづく自分は掌編向きの男だと思う。そもそも私は気が短いので、一つの主題に数日も関わっていると苛々してくるのだ。
 朝、霊感とともに目覚めて物語を一気に書きあげ、夜寝る前に推敲する。もしくは日中散歩などをしているときに閃いて夕食後から深夜まで執筆し、翌朝目覚めともに推敲する。そういう執筆習慣があったので、覚めても覚めても同じ物語を綴っていると飽き飽きしてくる。
 一つの思いつきを長々と引き延ばすのは無駄だ。そんなんだから私は『失われた時を求めて』への何度も繰り返される苛酷な文学的冒険で、一度もゲルマントにたどり着いたことはない。
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by suikageiju | 2009-05-30 16:55 | 雑記 | Trackback | Comments(0)
文盲

文盲 (L'analfabeto)

アゴタ・クリストフ / 白水社

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この言語を、わたしは自分で選んだのではない。たまたま、運命により、成り行きにより、この言語がわたしに課せられたのだ。

 自分の書く言語を選択した作家のうち、私が知っているのはホルヘ・ルイス・ボルヘスである。彼は英語がスペイン語と同じようにできたが、結局スペイン語で書いた。私の言語は、どう足掻いても日本語だ。だが運命を、私は知らない。
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by suikageiju | 2009-05-26 21:54 | 感想 | Trackback | Comments(0)
異邦人

異邦人 (La femdulo)

カミュ / 新潮社

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私に向けられたこの叫びが、あまりに猛烈な勢いで、且つ、検事の視線は全く勝ちほこった調子なので、この数年来はじめてのことだったが、私は泣きたいというばかげた気持になった。それは、これらのひとたちにどれほど自分が憎まれているかを感じたからだった。

 もし人があなたのまったく予想だにしない場面で大声をはりあげ、勝ち誇ったようにあなたを罵倒することが度々あるとしたら、あなたはムルソーだ。そんなことが度々あるのでその人を狂人だと思っていたら、いつのまにかあなた自身が狂人扱いされていたら、あなたはまさにムルソーだ。そして私はあなたのために物語をつむぎ続けよう。
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by suikageiju | 2009-05-26 21:40 | 感想 | Trackback | Comments(0)
コレラの時代の愛

コレラの時代の愛 (La amo en tempoj de ĥolero)

ガブリエル・ガルシア=マルケス / 新潮社

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 ガルシア・マルケスの代表作といえば『百年の孤独』、最高傑作は『予告された殺人の記録』だが、これは隠れた名作である。『百年の孤独』が「愛なき百年」だとすれば、これは「愛ある五十年」である。フロレンティーノ・アリーサはフェルミーナ・ダーサに求婚するが、彼女の父親に拒絶され、フェルミーナは名家の医師に嫁いだ。フロレンティーノはフェルミーナの夫が死に、彼女が未亡人になるまで51年と9ヶ月と4日待ち続けるという話。
 しかし、ただ待ち続けるわけではないのがガルシア・マルケスらしいところで、フロレンティーノはその五十余年の間に実に622人の女性と関係を結び、そこで得た経験から老いたフェルミーナに人生と愛の意味を教授する。
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by suikageiju | 2009-05-23 09:23 | ラテンアメリカ文学 | Trackback | Comments(0)
ナナ

ナナ (Nana)

エミール・ゾラ / 新潮社

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 『椿姫』と同じくパリの高級娼婦もの。エミール・ゾラによるルーゴン・マッカール叢書の代表作。表現はさすが自然主義といったところで、登場人物たちのざらざらした肌の質感が伝わってきそうである。高級娼婦はパリを嫌い普通の少女でいられる田舎を好む、という『椿姫』のマルグリットとナナの共通点がおもしろい。また表現が豊かなので読んでいて飽きがこないが、ただ、少々展開が退屈である。
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by suikageiju | 2009-05-23 00:26 | 感想 | Trackback | Comments(0)
椿姫

椿姫 (La damo kun kamelioj)

アレクサンドル デュマ・フィス / 光文社

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 参考資料として読んだ。アレキサンドル・デュマ・フィスが書いた自伝的小説。劇中でアルマン・デュヴァルが恋する高級娼婦マルグリット・ゴーティエは実在した女性をモデルにしている。言葉のやりとりは巧みでおもしろいのだが、ラテンアメリカ文学の密林をくぐりぬけた読み手にとっては、いささか表現が陳腐である。ただ「椿姫」の由来となった赤い椿と白い椿の話は物語性を帯びている。解説でアルマンとマルグリットの関係のうつろいを「奴隷と主人」の関係から読み解いているのがおもしろい。
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by suikageiju | 2009-05-23 00:19 | 感想 | Trackback | Comments(0)
猥褻か否か
 時々、私が書いた(書かされた)物語が猥褻だと文句を言ってくる人がいるけれど、それを私に言うのは的外れだ。確かに猥褻ととれる場面はある。しかしサド侯爵の物語を猥褻とみるか哲学的とみるかが読み手の教養に左右されるように、私の物語が猥褻かどうかは読み手の感性に左右される。すなわち読み手の心に猥褻さがあれば私の物語は猥褻となるし、もし読み手の心に一片の猥褻さもないならば、私の物語は一編の詩となる。つまり、あらゆる作品に対する猥褻さというのはその作品自身に起因するものではなく、読み手の感性に起因するのだ。
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by suikageiju | 2009-05-21 08:00 | 雑記 | Trackback | Comments(3)
1万字
 浮世の義理で、私は他人の人生を動かす職についている。しかしこれがどうも性にあわない。他人の人生に直接手を下すではなく、むしろ他人の人生を観察・記録・著述するほうが私の性分のようだ。その傾向は私が「自分で書いた」と思いこんでいる物語の登場人物を誰も操れていない事実からもわかる。どの登場人物も勝手に現れ、勝手に行動し、勝手に死んだり、勝手に楽しんだり。そして、いつの間にか幕が閉じている。私の仕事はただ指を必死に動かして彼らの行動を文字化するだけだ。
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by suikageiju | 2009-05-20 12:19 | 文学フリマ | Trackback | Comments(0)