<   2009年 12月 ( 17 )   > この月の画像一覧
C77
 何年かぶりにコミケに行ってきた。2日目だ。文芸平原は同人ソフト山脈とジャンプ(その他)丘に挟まれて、風通しが良かった。同人ソフト地区へ侵寇しようとしたら人肉の壁に阻まれて引き返さざるをえなかったのに、東2ホールのS列とT列の間、T列とU列の間は男2人が横に並んでも歩けた。コミケにおける文芸カテゴリの歩きやすさは評価していいと思う。そんな「コミケの昼休み」で鯨は「これはどういうサークルですか」と訊きまくる、失礼というよりも無礼、まさに牟礼な鯨として動き回り、以下の戦利品を獲得した。無礼なので敬称略。

『MOJIの群レ』三糸ひかり(Soberthe Qahille 東2 U18b)
 シュール!爆笑しながら読み、その才能に嫉妬した。分野が被っていないから、鯨はかろうじて筆を折ってはいない。同じ文学畑に植えつけられた者としてこのような本を入手できたことを喜ぶのと同時に恐怖を覚えた。「思うに、中央駅の外はメロンだろう」、滑稽さと同時に美しさを読者に提供する。

『冷やし少女始めました。』三糸ひかり(Soberthe Qahille 東2 U18b)
 少女を噛んで味わって食べたくなる。オムライスの「あきらめと、それでいてひそやかな不機嫌を隠そうともしないこの表情」は風味絶佳。

『Grands Magasins de la Petit Orgueilleuse』三糸ひかり(Soberthe Qahille 東2 U18b)

『楽園の小枝』三糸ひかり(Soberthe Qahille 東2 U18b)

『ヤンデレ健康法』(漢字中央警備システム 東2 T60a)
 こくまろさんのサークル

『娼婦たちの騎士』西紀貫之(AGJスタジオ 東2 T43b)
 こくまろさんに紹介された面白いサークル

『DIABOLOS GATE』水夜ちはる(Heat of cool 東2 T30a)
 こくまろさんに紹介されたアクションのサークル

『玉梓 vol.39 ワンダリングスター』(国士舘大学文芸同好会 東2 U06a)
 無料配布。

『玉梓 vol.39 ミッシングムーン』(国士舘大学文芸同好会 東2 U6a)
 無料配布。

『20,000,345M』田島葵(新嘲文庫 東2 T17a)
 「これはどういうサークルですか?」と尋ねたら親切に答えてくれたサークル。鯨は青春18切パーだったりする。

蔵書票(Mercurous Virgin 東2 T1a)
 幻想小説と聞いてやってきたら、蔵書票を売っていた。

『七魅堂夜話 文車』七魅堂隠居(七魅堂 東2 S53b)
 こういう本もいいんじゃないかと思い。

『富木綾のヴィーナスカフェ』あきらつかさ(亜細亜姉妹 東2 T30b)
 Heart of coolさんのお隣さん。『マブイグミの巫女』は中澤女史が購入。

『推理王国20号』(二松学舎大学推理小説研究会 東2 T06b)
 鯨が買ったのではない。鯨が立ち去ろうとしたら中澤女史が鯨の鞄の肩紐をつまんで引き止め、買った。

『萌黄』saki(door220 東2 U19a)
 ソベルテクァイユさんの隣でやっていた小箱本サークル。小"函"本や小"筥"本でないのが残念。「20代半ばの男性向けの本はありますか?」という無茶振りにsaki様が応えて教えてくれたのがこれ。
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by suikageiju | 2009-12-30 20:41 | コミケ | Trackback | Comments(2)
コルキータ
文章系同人「サロン・ド・マロリーナ」の竹内みちまろさんから批評をいただいていた。

●「コルキータ」(牟礼鯨/むれ・くじら/西瓜鯨油社)

 オスカー・ワイルドは、「芸術家としての批評家」という散文の中で、トロイの城砦の前で長槍を振り回すことは誰にでもできますが、行動するだけの人間は自分がしていることの動機も結果も知らずに終わる、と語っていました。

「人間が行為している時には、一個の傀儡に過ぎないのだ。それが描写するときには詩人になるのだ。そこに問題のすべてがある」(吉田健一訳)

 オスカー・ワイルドによると、エネルギーが消費されれば終わる人間の行為を永遠にしようとすれば、「文学」による以外に方法はないそうです。

 「コルキータ」は、文学フリマで背中合わせのブースになった西瓜鯨油社さんの牟礼鯨さんの単行本でした。奥付を見ると、「二〇〇九年十二月六日 初版」と印刷されていますので、文学フリマの開催に合わせて作られた新刊であるようです。牟礼鯨さんと西瓜鯨油社のみなさんは同人誌即売会初出店の僕たちへ「わからないことがあったら何でも聞いてくださいね」とたいへんに温かいお言葉をかけて下さりました。開催時間中の八割方で閑古鳥が鳴いていた僕たちのブースとは違い、真後ろからは、(うらやましい)にぎわいと、(熱い)オーラがずっと伝わってきました。西瓜鯨油社さんのみなさんのお人柄のお力だと思いました。

 「コルキータ」は、叙情詩のように物語が語られていきます。生臭い暗殺話を噂しあった人々も疫病で倒れたことが語られると、一行空きをはさんだ次の段落からは疫病が蔓延して十万人が死んだことが語られ始めたりします。「コルキータ」は、前の晩のお話では脇役だった登場人物が次の晩のお話では主人公になるというアラビアンナイトのようにエピソードを積み重ねる構造でした。「だが、まだお互いに幼かったころと同じように愛称で呼んで少したしなめれば、この少年は無茶をやめるのではないか、と考えたのだ」という登場人物の行動の動機付けとなる心理を解説する技法や、「幼い少年が両親の虚栄で軍服を着せられているようで」というひゆ表現などは、トルストイの影響でしょうか。青年が大戦争に巻き込まれて数奇な運命をたどるという筋書きも「戦争と平和」に似ていると思いました。青年は、友人の口から「そんなことはどうでもいいんだ。今はクリオッタがいるだけで幸せなのだから」という言葉を聞いて、友人がクリオッタの娼婦という出自を気にしていないことに驚きます。しかしそれでも「クリオッタが苦手だった」青年は、コルキータという娼婦に恋をしてしまいました。

「でも相手は娼婦だという考えが脳髄を支配していたので、ダオはコルキータを愛せるかどうかわからなかった。そう考えることはすでにダオがコルキータに恋していた証拠であったが、残念ながら愛を知らないダオは誰も愛することはできないだろう」

 皇帝が遠征を始めた理由が、ただたんに東方随一の美女と称えられている西瓜太守の妹姫を生娘のままもて遊びたいという欲望だけであったことが語られた時に、そんなことあるわけないだろうと思いました。しかし、冷静になって考えてみました。ことはナポレオンのモスクワ遠征ではありません。女一人のために帝国同士が戦争をする。ああ、これは神話の時代の物語なのだ、トロイとスパルタの戦いなのだ、なぜ人は殺し合うのか、なぜ人は愛し合うのか、人間は何千年もの間、そんな小難しいことは考えずに、もっと素朴に、ゆえに純粋に生きてきたような気がします。だからこんな語り方をしているのだ、そう思いました。

 映画「戦争と平和」(一九五六年/アメリカ=イタリア)の中で、なぜ人は殺し合うのかという近代的命題を探求するアンドレイ公爵は、もうなにもかもがわからなくなりました。ナポレオン軍との決戦前夜に、なぜ人は愛し合うのかという命題を探求する友人ピエールを退けます。

「今の私に友と呼べるのは明日の決戦で生死をともにするこの兵士たちだけだ」

 「コルキータ」の青年は、神話の時代を生きています。なぜという命題を持ち得ないはずだと思いました。あるのは「僕はただコルキータだけが欲しいのだ」という純粋さであるべきだと思いました。それでこそ、アキレスやヘクトルと同様に詩人から歌いあげられることが可能になるような気がします。しかし、「コルキータ」の青年は、それまで一度も問題にしていなかったはずなのに、最後になっていきなりに、(ハリウッド商業映画の主人公みたいに)愛の王国がどうのこうのと大風呂敷を広げてしまいました。

「僕はコルキータと愛の王国を築きたいと思って戦争を続けたのです、だから戦争が終わった今、その夢を叶えたいのです」

 なぜ人は殺し合うのか、それがわからなくても、目の前のこの戦争にどんな意義があるのか。鐘が誰がために鳴るのかを気にするのは近代人の発想だと思います。神話の時代には、誰もそんなことは考えなかったような気がします。

 「コルキータ」は、英雄にはなれなかった青年の末期を描いた作品でした。「コルキータ」は、すくなくとも神話ではないと思いました。語り継がれる物語でもないと思いました。「コルキータ」の青年は、例えるならば、同じピエールでも、「戦争と平和」(トルストイ)のピエールではなくて、「ピエール」(メルヴィル)のピエールだと思いました。「ピエール」の主人公は、近代を生きながらも神話の時代を生きるために時間を逆行させようとして、「コルキータ」の青年と同じような末期へたどり着きます。

 「コルキータ」は、あえていうならば、喜劇なのかもしれないと思いました。

 同人誌即売会というものに参加したのが初めてで、同人誌で発表される作品というものは、はたしてどのようなものなのだろうかという期待と不安がありましたが、「コルキータ」は、正直に言いますと、こりゃすげえや、と思いました。この分量を、物語世界の仕組みやカラクリの細部へまで気を配って、一定レベルを超える文章で結末まで描ききるのは、並大抵のエネルギーではありません。語り方の選択という意味でも、なかなかに興味深いものがあります。「いずれにせよ、答えはコルキータにある」というせりふだけは、答えがコルキータにあって都合がいいのは現状の形では作者さんだけと言わざるを得ませんので、いくらなんでもやりすぎだろうと思ってしまいました……すみません(^^; 渡された本にそのことが書かれていると言われても読者には本の内容が明かされていない以上は(=作者さんの脳内にとどめられてしまっている以上は)あと出しじゃんけんになってしまうだろうと思います。でも、残念だったのはその一つだけで、ほかには、違和感を持った個所はありませんでした。思えば、「作者」だとか、「語り手」だとか、「自我」だとか、「自己実現」だとか、「私」だとか、「文学」だとかいう概念も近代の産物なのかもしれません。今回はそんなものを前提にして読んでしまいましたので、今の段階では、「コルキータ」の感想はこんな感じでお茶を濁すことが精いっぱいでした。一つ上に感想を書かせていただいた「M氏の想い出」を読ませていただいた時にも感じられましたが、もしかしたら、同人誌で発表される作品というものは、ものすごく奥が深いのかもしれないと思いました。

http://www5b.biglobe.ne.jp/~michimar/salon/index.html


トルストイに言及された方ははじめてだ。書いた本人でもよくわからない「与えられた物語」をこれだけの分量を費やして評することができるのは一種の才能かもしれない。「愛の王国」については p.97 に書いてあったような気もするがそれは鯨の見た幻にすぎない。解釈や物語論などはどうでもいいのだ。『コルキータ』はやがてその全貌があきらかになる世界の、ほんの一部分に過ぎないのだから。
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by suikageiju | 2009-12-29 10:14 | 弊社発行物 | Trackback | Comments(0)
『コルキータ』と『一つの愛とその他の狂気について』
幻視社のkingさんから第九回文学フリマで頒布した本の批評をもらった。買った同人誌、読んだ同人誌、頂いた同人誌をどんな形でもいいからネット上で紹介する。そんな良い習慣が広まるといいな。

西瓜鯨油社「一つの愛とその他の狂気について」

牟礼鯨さんのどことも知れない国での愛と狂気についての物語、と。これは良いです。40ページほどの文庫本サイズのマジックリアリズム短篇。熱気と混沌と狂気と愛を独特の距離感から眺めた印象で、見事なもの。

西瓜鯨油社「コルキータ

これも面白かった。文学フリマで入手した小説のなかでは牟礼鯨さんの作品が一番面白かった。とはいってもフリマではほとんど本を買っていないのだけれど。

これは長篇といっていいのか、文庫判で130ページほどの作品。コルキータというかかわるもの皆死に至らしめる少女をキーとしたファムファタルものといっていい作品で、上掲作と世界観を共有する。呪われた美少女によって国が傾き、戦争が起こり、歴史が動かされていくなかで、一人の青年のコルキータへの思いを描く。

なかでも印象的だったのは、皇帝が自ら遠征するときのこの台詞。

「そうだ、キルキウス。叙事詩をはじめよう」

格好いいじゃないですか。カミュの「カリギュラ」に確か「明日から飢饉だ」という素晴らしい台詞があったけれど、それを思い出した。

これらの二作は「破瓜祭」という十六歳になった少女は教会の司祭によって処女を奪われるという儀礼が存在する架空の世界を舞台にしている。中世ヨーロッパあたり?をベースにアレンジを加えている印象で、太陽が二つ昇ったり、羽竜兵(何と読むのか)という背中に羽根をつけて飛ぶことが出来る兵士、将棋ならぬ象棋という遊びがあったりする。これは他のも読んでみたいものだ。

またこの作品ではマジックリアリズム的というか、血が城から街路まで流れていく場面とか、愛のテーマとかマルケスをたぶんに意識しているところが伺える。

というわけでとても面白い作品だと思うのだけれど、難点が一つ。どうもところどころ文章がぎこちないように感じられてならない。推敲が足りていないのか意図的な崩しなのか、どうしても気になる部分が多かった。しかし、とにかく非常な力作で面白い。

あ、でも一番面白いのは表紙の写真かな。「表紙の女子高生は娼婦の原型ということもあるが、日本人にしたのはファンタジー世界の美女=アングロサクソン系という固定観念を突き崩す意図もある」と鯨さんは言っていて、作中での描写も明らかに表紙の日本人女性を描写しているのが分かるようになっている。でも名前はコルキータです。

http://d.hatena.ne.jp/CloseToTheWall/20091226


ありがたくて、男泣きしそうだ。表紙の写真はこの本で一番(というかほぼ唯一)大いに悩み力を入れたところなのでここを「一番面白い」と言ってくれて本当にありがたい。
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by suikageiju | 2009-12-26 22:01 | 弊社発行物 | Trackback | Comments(0)
うたかたの日々

うたかたの日々 (ハヤカワepi文庫)

ボリス ヴィアン / 早川書房


 下北沢にある古書ビビビでこれを買った。古書ビビビとは今年の10月に昔のところから近所の今のところに移転した古書ビビビである。買ったのは昭和時代に刊行されたボリス・ヴィアン全集の第3巻で、値札が見当たらなかったので店主に尋ねたら表紙のイラストに値札が埋没していた。400円だった。
 大金持ちのコラン、彼の妻で美少女で肺に睡蓮が生えている病のクロエ、そしてジャン・ソル・パルトルの書籍を収集せずにはいられないシック、そのシックを救うためにパルトルを「心臓抜き」で殺してしまうアリーズ、粗筋はどうでもいい。修辞が愉快でくすりとなる。読む人によっては無意味な措辞だと思うかもしれないけれど、鯨にはわかる。それらは意味のある出来事を無意味な出来事につなげるための良くできた糊なのだ。「鰻が一匹いるんだよ。というよりか、いてねえ。毎日水道管を通って洗面所にやって来ていたんだ」「それから彼は十字を切った。というのも、スケーターは、リンクの反対側のはしの、レストランの壁にぶち当たって、潰れてしまったからだ。彼はそこに、残酷な子供によって引き裂かれた紙のくらげのように、張りついたままだった」「花屋は決して、鉄のシャッターを降ろさない。誰も花を盗もうなんて者はいないからだ」「右の肺だよ。教授は初めのうちは何か動物がいると思っていたんだ。だけど睡蓮だったんだ。スクリーンにはっきり映ってるよ。だいぶ大きくなっているが、なんとかうまくやっつけられるさ」「アリーズは全身の力を奮い起こし、きっぱりとパルトルの胸に心臓抜きを押しつけた。彼はアリーズを眺め、速やかに死んでいった。自分の心臓が四面体の格好をしているのを見て、最後に驚いたような目つきをした」
 特に印象に残った言葉は「半分植物性、半分鉱物性のものが沢山、湿った暗闇の中で発達してきたからだ」である。この言葉はボリス・ヴィアンが「あくまでも果実のような宝石」や「石果世界」を根底に物語を綴る西瓜鯨油社と近い場所に存在していたことを示している。
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by suikageiju | 2009-12-25 19:59 | 感想 | Trackback | Comments(0)
グアテマラ伝説集

グアテマラ伝説集 (岩波文庫 赤 795-1)

ミゲル・アンヘル・アストゥリアス/ 岩波書店


 ノーベル文学賞作家ミゲル・アンヘル・アストゥリアスの『グアテマラ伝説集』という「魔術的リアリズム」の父祖的著作の存在を聞いたことはあったけれど、オラシオ・カステジャーノス・モヤさんの発表会で改めてその名を耳にし、「語りの祖」と聞いて気になっていた。それから一週間も経たない今日、ぶらりと出かけた隣駅の書店で偶然これを発見した。
 「痙攣する文体」という表現を鯨は使う。これは巧みな魔術的リアリズムの文章に出会ったときに読者が味わう身体感覚をあらわした言葉だ。物語の論評に文学史的位置や社会的意義などのくだらない言葉を並べる評論家という輩がいる。なんと虚しい営みだろう。物語よりも虚しい営みだ。物語の鑑賞にはそんな空虚な言葉は必要ない。「身震いした」「勃起した」「鳥肌がたった」「頬に氷が走った」など、物語が身体に与えた感覚をそのまま口にすればよいのだ。
 『グアテマラ伝説集』にはまさに身悶えするような表現が羅列する。これはまさにグアテマラの大地から引き出された隠喩の百科全書である。「恩寵の甲状腺腫をわずらっている」「満月の下で断崖警備人が歌う 」「水と蜜の夜明け、家畜の白い息 」「惑溺の夜。樹々の梢で狼の心が歌っている。ある男神が、次々に花の処女を犯してゆく。風の舌が刺草を嘗めまわしている。星もなく、空も道もない。巴旦杏の愛の下で、泥が肉の匂いを発している」「惑溺の夜。樹々の梢で狼の心が歌っている。ある男神が、次々に花の処女を犯してゆく。風の舌が刺草を嘗めまわしている。星もなく、空も道もない。巴旦杏の愛の下で、泥が肉の匂いを発している」「大地の静脈血である焼けつくような溶岩」「金剛鸚哥、もしくは熱帯の法悦」「護符、雨乞いのための鹿の眼球、嵐から身を護る羽毛、そして妙なる幻覚を呼ぶマリファナ」「植物の通貨であるカカオ」「巨大な蟇蛙の吐く赤い唾」「魚たちの向こう側で、海は孤独であった。根たちは、すでに血を失ってしまった無辺の広野で、彗星たちの埋葬に参列した後、疲れて眠ることもできないでいた」「また、すでに熱によって腸を焼かれてしまった爬虫類は、チョコレートの匂いを発するココアの樹の根に捕らわれていた」「魚の内臓に隣接した、林檎と薔薇の壁の間における一種の夢」「硫黄の匂いと松脂の冷ややかな輝きのなかで、爬虫類の夢を秘めた樹液が緑、赤、黒、青、そして黄色に枯渇し始めたのである」
 読者諸君。これを読み、震撼せよ。
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by suikageiju | 2009-12-21 20:51 | ラテンアメリカ文学 | Trackback | Comments(0)
私大文学部受験法
 西瓜鯨油社は文学市場の永続的な拡大のために、教育に力点をおいている。これはその一環で、鯨の経験とぼったくり予備校で受験指導担当として働いていた経験をもとに私立大学の文学部ならばどこでも受かるような受験勉強法を記した。上智の受験でも充分に対応できる勉強法である。これは君が都内の有名私立校の生徒であろうが、県立底辺校の生徒であろうが関係ない、君がやる気と合格するという持続的な意志さえあれば必ず合格できる学習法である。
 ただし受験科目は国語、英語、世界史とする。あと注意しておくがこれは最短ルートではない。大学入学後までを見据えた学習法であることを忘れなきよう。

【高校1年生】これくらい読めない奴が文学部に行く意味ある?
英語: 中学英文法を理解していない高校生がいる。そいつが高校の英語の授業を聞いて理解できるはずがない。 まず中学英文法が一冊にまとめられた本や中学時代の教科書をつかって中学の文法と中学の英単語を覚え、すべての会話文や英文を5回書きながら音読することである。1日1Lessonのペースで進め、3回繰り返す同じ文を5回音読一冊を3回繰り返すってことが英語で一番重要。日本語訳を作る必要はない。このうちに『今井の英文法教室』に目を通していくとあとあと便利かな。
現代文新書を1日1冊のペースで読む。あと日本人作家でいいので小説を2日に1冊のペースで読む。通学生ならば理科や数学の授業をつぶして読めばいい。本を買う金なんてないだろうから図書館で借りる。これは経験談だが1日6限あれば筒井康隆全集を3巻読める。国書刊行会の『世界幻想文学大系』を週刊少年マガジンの陰に隠して読むべし。
古文: 単語と文法を一通り覚える。活用とかは3度呟けばいい。単語と助詞と助動詞以外はあまり重要ではないんだよ。それで旧字旧仮名、すなわち文語で書かれた明治大正の本を探してきて読む。いきなり徒然草とか平家物語を読ませるとか意味不明なので、まずは明治大正からはじめるんだ。それで活用に慣れたら宇治拾遺物語、今昔物語と進んでいく。同じ文を5回づつ声に出して読む。書く必要はない。「古文で書け」という問題はないからだが、これは任せる。
漢文: 宮城谷昌光の『重耳』と『夏姫春秋』を熟読。『漢文必携』あたりで句法とか覚えておきな。楽しいぜ。
世界史: 中央公論新社から出ている『世界の歴史』(全30巻)を2回読む。あと世界の国を100国は覚える。カリブ海諸国とかポリネシア諸国とか小さな島国とかは後回しにしてとにかく100国の場所を地図で覚える。

*英語の裏技、別の言語をやっておくと理解が早くなる。鯨はトルコ語を中3から高2まで自習していたのでto不定詞が高3でわからなくても1年間でどうにかなった。トルコ語はおすすめしないがエスペラントがおすすめ。

【高校2年生】英和辞典と漢和辞典と古語辞典くらいは持っとけよ。
英語: 『Target 1900』を5回ずつ書いて音読して目を通す。覚える必要はない。それで『Duo 3.0』の例文と単語と熟語を5回音読する。そしたら『速読英単語(1)必修編』を5回音読する。このローテーションを3回繰り返す。毎日英文を読むってことが重要。あと『基礎英文法問題精講』とかで文法を網羅的に学習、これを3周。参考書として何か一冊『Forest』でも『チャート式』でも置いておくと便利。
現代文 新書を1日1冊のペースで読む。あともうそろそろ海外文学読もうよ。
古文: なんでもいいけど易しめの問題集とか、解き始めていい。問題集に大した違いはない。あと、古文を5回ずつ音読は毎日続ける。英語と古文を「こいつ、気を違えたか」と近所の人が思うくらい音読する。
漢文: 『春秋左氏伝』とか『戦国策』あたりを読む。もちろん『史記』や『論語』でも可。春秋戦国時代の漢文は一文が短くて文構造を理解しやすい。 これも5回書きながら音読。毎日じゃなくていいけれど。
世界史: 『世界の歴史』読み終わった?あ、そう。「次、塩野の『ローマ人の物語読む」って? まあいいでしょう。あとはそれぞれの時代と国についてマニアックになるために読書すること。カラカラ帝とエラガバルス帝が従兄弟だとか人物相関はさることながら、とにかく地図をつかって位置関係、勢力図を把握すべし。あと、欧米の名前や用語はラテン文字を駆使して覚える。山川出版社の『世界史B用語集』と『詳説世界史研究』は必ず持っていること。なんでもいいので実戦形式の問題集を解き、用語を『世界史B用語集』で確認し、『詳説世界史研究』でその前後を把握する。問題集は3回解く。『世界史B用語集』を通読するのは莫迦だが、『詳説世界史研究』を通読しないのはもっと莫迦、せめて2回。

【高校3年生】同じ文の音読は1日5回!問題集は3往復。
英語: 高2で使ったものをさらに2周くらいやってから、ひたすら長文問題集と過去問を解き続ける。あと『英文法・語法のトレーニング (1)戦略編』を3周。音読5回は毎日やるんだけど、リチャード・ブローティガンの掌編とかなら楽しめるかも。
現代文: 過去問となにか手ごろなもの、『必修現代文』を2周。そういえば高3のときにはじめてガブリエル・ガルシア・マルケスの『予告された殺人の記録』を読んだ。それでラテンアメリカ文学を志したが、結局はイスラーム史を専攻していた。
古文: 過去問と 『最強の古文』3周。音読5回は毎日だよ。
漢文: 受験科目にあるかちゃんと確かめてから勉強しようぜ。過去問と『漢文道場』3周。
世界史: 過去問と問題集を解いて用語や間違えた問題を『世界史B用語集』で確認し、『詳説世界史研究』でその前後を把握する。これをそれぞれ3周。

★最後に、受験生にとって一番大事なこと。文学部というところは大学卒業後は見えにくいけれどそれでも将来の夢を具体的に決めておくこと。たとえば「小説家になる」は夢としては曖昧。「ノーベル文学賞作家になる」とか「どういう小説を書いて数十万人の読者にこういう影響を与えたい」など具体的なものにする。もちろん「この大学でこれこれの先生のもとでこれを学びたい」というのでもかまわないと思うが、きっと大学入学後に泣くことになる。できるだけなら日本を超越した世界レベルの具体的な夢を、自分に制御装置を効かせることなく、夢を持とう。そうすれば志望大学や志望学部は自ずと逆算して決まるし、必ず合格する。
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by suikageiju | 2009-12-19 10:29 | 雑記 | Trackback | Comments(0)
アウラ・純な魂

フエンテス短篇集 アウラ・純な魂 他四篇 (岩波文庫)

カルロス フエンテス / 岩波書店


 幽玄美という奴が嫌いである、怖いからだ。この本の最後に収められた「アウラ」はリョレンテ夫人の結界を言葉だけで読者の頭に完璧に投影する。その情景は幽玄という他ない。映画「雨月物語」の影響を受けていると訳者の木村榮一氏は書く。ル・クレジオも「雨月物語」に触れていた。海外で観ることができた日本映画がそれくらいしかなかったのだろう。「おしん」みたいなものだ。ともかくこの話はおかしい。新聞の募集広告「若い歴史家求む。(略)フランス語の知識要。(略)月三千ペソ。食事付。(略)」ならまだわかる。でも「君はその広告に目を通し、最後の一行が四千ペソに変わっていることに気がつくだろう」もうこの時点で気付くべきだった、この勤め先はブラックだと。
 「女王人形」は超自然的な魅力があって良かったけれど、「生命線」や「純な魂」の人間的な魅力も良かった。「純な魂」の手紙って何のことかと思ったけれど、読み返してその手紙の意味がわかったとき、うへぇ、となった。
 カルロス・フエンテスはメキシコの作家である。作品はどれも流麗で良かったのだけれど、もう一歩だけ人間の方角へ踏み込んでも良かった、と思う。
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by suikageiju | 2009-12-18 19:09 | ラテンアメリカ文学 | Trackback | Comments(0)
オラシオ・カステジャーノス・モヤ
 オラシオ・カステジャーノス・モヤ(Horacio Castellanos Moya)は1959年ホンジュラスは首都テグシガルパ産まれのエルサルバドル人作家。たぶん世界地図を広げてみないとエルサルバドルの位置なんてわからないだろうから、彼はイスパノアメリカ人だ。それでいい。昨晩はセルバンテス文化センター東京へオラシオさんの『崩壊』の日本語訳本出版発表会があった。聞き手は訳者の寺尾隆吉准教授。
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 まず『崩壊』という本は3部構成で、第1部は1963年11月22日ケネディ暗殺の日を描く。娘の結婚を呪う“狂気”の母親が式に出ようとする夫をトイレに閉じ込めるシーンを描くことで国家的な争いと家庭の争いを対比している。第2部はサッカー戦争を描いている。エルサルバドルとホンジュラスの国家紛争を娘と母の争いと対比している。そして父の死と夫の死を描き、エルサルバドルのクーデターが不正選挙によって市民戦争となった「崩壊」の過程を描く。第3部は歴史状況における崩壊と家庭の崩壊を描いている。オラシオ氏はこの作品で世代間の確執(保守的な母と自立的な娘の対立)を描いた。一族の歴史と国家の歴史を対比させるのはラテンアメリカ文学の一つの要素かもしれない。またオラシオ氏は「いかにして戦争が人々の頭の中ではじまるのか?」を描こうとしたという。サッカー戦争(第2部)はすでに6年前、つまり1963年(ケネディ暗殺の年、第1部)にすでに人々の頭の中で始まっていたのだ。
 オラシオ氏は第1部をスイスのバーゼルで第2部をドイツのフランクフルトで描いた。エルサルバドルから距離をおいて書いていた。また69年11歳のときにサルバドル市内で空襲の怖さを知り、72年14歳のときにはパーティーの帰りにサイレンの音とともにクーデター勃発を経験し、興奮と冒険心を覚えたという。そしてアルコール中毒更生会の内輪もめはオラシオ氏によるフィクションかと思ったら史実だという。それらの経験を彼は直線的に(つまりは網羅的に)描くこともできた。しかしオラシオ氏は「簡単に飽きてしまう」人で、直感的に選んだ文体にチャレンジするという。第1部は劇のような対話形式で、第2部は昔の貴婦人のような書簡体で書いたのもそれによる。
 オラシオ氏の作品は大きく2つに分類され1つ目は市民戦争後の「民主主義は政治ゲームにすぎない」ことが露呈したあとのスパイ小説てきなもの、2つ目は家族史である。『崩壊』は後者に属する。
 ラテンアメリカの文学市場は分断されている。メキシコの本はアルゼンチンで紹介されないし、コロンビアの本はメキシコで紹介されない。その中でラテンアメリカの文学を世界に広めたいと言っていた。たとえばニカラグアのエルネスト・カルデナル、グアテマラのミゲル・アンヘル・アストゥリアス。そのほか、エルサルバドル作家としてレイロッラ、ラファルメ、エスクードスなどの名があがっていた。エルサルバドルは文学的基盤が弱いという。
 最後に鯨は2つ質問した。オラシオ氏の書く動機と鷲の岩山と神話とのつながりについて。それはいいとして、別の人の質問の返答で、グアテマラ内戦についてはいろいろな小説があり市場もあるのに、エルサルバドル市民戦争にはそれがないと言っていた。文学にはいろいろな側面がある。歴史上の事件を一市民の視点から語る。それも文学である。
 最後にサインをもらった。
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オラシオ・カステジャーノス モヤ
現代企画室
発売日:2009-12


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by suikageiju | 2009-12-17 09:33 | ラテンアメリカ文学 | Trackback | Comments(0)
模索舎
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 夜、新宿からセルバンテス文化センターへ行く途中で模索舎に寄った。文章系同人の御歴々が中野のタコシェとここには必ず本を置いているということで有名な書店だ。TOLTAもあったし『たたかえっ!憲法9条ちゃん』もあった。ちなみに西瓜鯨油社の本は置いていない。西瓜鯨油社の『掌編集』がおいてあるのはタコシェだけだ。そのうち西瓜鯨油社がお手軽情報雑誌でも創刊したらここに置くつもり。
 新宿の繁華街を外れてわざわざ寂れた地区にあるこの店を訪れたのは『絶対移動中vol.6 』を買うためだ。仲通りに面した扉を開けて、しばし店内を散策した。前に訪れたのは2007年11月26日月曜日、アナキズム・カレンダーを買うため。店舗の中は、異様な匂いがたちこめている。3分後、独力では『絶対移動中』を探せなかったので、店員に訊いてみようとした。
「すみません」
「うわっ」
奥にいた髭面のおっさんがびっくりしている。驚かせてしまったようだ。そのおっさんの協力で見事、『絶対移動中vol.6 』を入手することができた。最後に二、三言ほどそのおっさんと符牒めいた言葉を交わして店を後にし、四谷へ向かった。
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by suikageiju | 2009-12-16 22:01 | 雑記 | Trackback | Comments(0)
崩壊

崩壊

オラシオ・カステジャーノス モヤ / 現代企画室


 2010年南アフリカW杯でホンジュラスが7大会ぶり2回目の出場を果たした。奇しくも組み合わせはチリやスペインと同じH組に入る。ヨーロッパ予選、南米予選、北中米カリブ海予選からのスペイン語圏の国が一堂に会することに、スペイン語とその文学の広がりを感じる。
 40年前の1969年、ホンジュラスとエルサルバドルの中米の隣国は移民問題や国境問題を原因に、そしてメキシコW杯への出場権を巡り、対立状態になった。最終試合前、エルサルバドルが国交断絶をほのめかし、3対2で敗れたホンジュラスが断交する。そしてエルサルバドル空軍の空襲により両国は交戦状態に入った。これが100時間戦争とも、エルサルバドル・ホンジュラス戦争とも、一般には「サッカー戦争」と呼ばれる戦争である。この戦争を境に度重なるクーデターが勃発しエルサルバドルは没落した。
 オラシオ・カステジャーノス・モヤはホンジュラス生まれのエルサルバドル人である。この『崩壊』はサッカー戦争を背景にホンジュラスの名門ミラ・ブロサ一族を主人公にした物語だ。第1部は国民党幹部エラスモ・ミラ・ブロサと神経症の妻レナ夫人のやりとりを中心に、娘エステル(テティ)とエルサルバドル人のクレメンテ・アラゴンの結婚を描く。そして第2部はサッカー戦争勃発を前にして緊迫した情勢のなかでのホンジュラスのエラスモとエルサルバドルにいる娘エステルとの手紙のやりとり。そして第3部はエステルとクレメンテの子供たち、エラスモの孫の代の物語になる。構成がわかりやすく、何より読みやすい。ロシア文学の熟練の読み手さえラテンアメリカ文学にはてこずるのだが、これなら簡単に読めるだろう。それでいてアル中更生会のクーデターとかトイレのドア越しの夫婦喧嘩とか「ラテンアメリカだよね」という笑いの要素もふんだんに盛り込まれている。16日にはセルバンテス文化センター東京で講演会も開催されるので、『崩壊』出版を機に中米の世界に足を踏み入れてはどうだろう。
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by suikageiju | 2009-12-13 15:48 | ラテンアメリカ文学 | Trackback | Comments(0)