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国会図書館へ文芸同人誌を納本しよう
 文学フリマやコミケ、コミティアの参加している文芸サークルのうち何サークルが国立国会図書館へ同人誌を納入しているだろうか? 弊社は一冊も納入していない。2009年から郵便を利用して出版物を律儀に寄贈している。この寄贈の根拠は国会国立図書館法第二十五条第一項にある。
第二十五条  前二条に規定する者以外の者は、第二十四条第一項に規定する出版物を発行したときは、前二条の規定に該当する場合を除いて、文化財の蓄積及びその利用に資するため、発行の日から三十日以内に、最良版の完全なもの一部を国立国会図書館に納入しなければならない。但し、発行者がその出版物を国立国会図書館に寄贈若しくは遺贈したとき、又は館長が特別の事由があると認めたときは、この限りでない。

第二十四条
  (中略)
一  図書
二  小冊子
三  逐次刊行物
四  楽譜
五  地図
六  映画フィルム
七  前各号に掲げるもののほか、印刷その他の方法により複製した文書又は図画
八  蓄音機用レコード
九  電子的方法、磁気的方法その他の人の知覚によつては認識することができない方法により文字、映像、音又はプログラムを記録した物
 (中略)
○3  前二項の規定は、前二項に規定する出版物の再版についてもこれを適用する。ただし、その再版の内容が初版又は前版の内容に比し増減又は変更がなく、かつ、その初版又は前版がこの法律の規定により前に納入されている場合においては、この限りでない。

このように弊社は第二十四条第一項第一号「図書」に該当する出版物を国立国会図書館に「寄贈」している。『コルキータ』や『物語群』など重版で大きな増頁があるときは第二版、第三版も寄贈している。なぜこんなに律儀に寄贈しているのか? 「文化財の蓄積」という使命感があるのもそうだが、この納入の義務には第二十五条の二によって過料が定められているからでもある。
第二十五条の二  発行者が正当の理由がなくて前条第一項の規定による出版物の納入をしなかつたときは、その出版物の小売価額(小売価額のないときはこれに相当する金額)の五倍に相当する金額以下の過料に処する
○2  発行者が法人であるときは、前項の過料は、その代表者に対し科する。

だから弊社は無駄なお金を徴収されないよう、遵法精神に満ちあふれながら出版物を寄贈するのである。もちろん今まで日本国内でこの過料が課せられた例はない。だが大罪を犯さんとする者は軽微な罪をこそ避ける。
 もし文学フリマに参加しているようなサークルで発行した同人誌を国会図書館に納本していないサークルがあれば著作権法違反を犯していなくても、既に法律で定められた義務を果たしていない「違法」同人である。もし鯨が信頼に足る正義漢であるならば彼らの違法性を声高に叫んだことであろう。だが鯨はまったく正義を標榜していないし、善人でもない。そして法の執行は道路交通法の例を示さずとも常に相対的なものだ。前述のように大出版社が現に公然と義務を怠っていても一切過料を課せられていない。それに納本を怠ることが文化的な視点を除けば可罰性があるように思えないというのが一般的見解なのだろう。だから鯨は声を潜めている。彼ら違法同人の文化的大罪には目を瞑っている。

 6月15日参議院で国立国会図書館法の一部を改正する法律案が可決された。従来、電子書籍などオンライン資料を国会図書館へ送信(納本)することは国家機関・地方自治体・独立行政法人などのみに義務づけられていた。その目的はその他の出版物の納本と同様に「公用又は外国政府出版物との交換その他の国際的交換の用に供するため」である。だが今回の法改正により平成25年7月1日以降、民間の出版社はもちろん文藝同人を含める同人サークルの電子書籍にも送信(納本)が義務づけられる。
   第十一章の三 オンライン資料の記録
第二十五条の四 第二十四条及び第二十四条の二に規定する者以外の者は、オンライン資料(電子的方法、磁気的方法その他の人の知覚によつては認識することができない方法により記録された文字、映像、音又はプログラムであつて、インターネットその他の送信手段により公衆に利用可能とされ、又は送信されるもののうち、図書又は逐次刊行物(機密扱いのもの及び書式、ひな形その他簡易なものを除く。)に相当するものとして館長が定めるものをいう。以下同じ。)を公衆に利用可能とし、又は送信したときは、前条の規定に該当する場合を除いて、文化財の蓄積及びその利用に資するため、館長の定めるところにより、当該オンライン資料を国立国会図書館に提供しなければならない
 (中略)
   附 則
 (施行期日)
第一条 この法律は、平成二十五年七月一日から施行する。ただし、別表第一の改正規定は、公布の日から施行する。
 (提供の免除)
第二条 この法律による改正後の国立国会図書館法(次条において「新法」という。)第二十五条の四第一項に規定するオンライン資料のうち有償で公衆に利用可能とされ、又は送信されるもの及び技術的制限手段(電子的方法、磁気的方法その他の人の知覚によっては認識することができない方法によりオンライン資料の閲覧又は記録を制限する手段であって、オンライン資料の閲覧若しくは記録のために用いられる機器(以下「閲覧等機器」という。)が特定の反応をする信号をオンライン資料とともに記録媒体に記録し、若しくは送信する方式又は閲覧等機器が特定の変換を必要とするようオンライン資料を変換して記録媒体に記録し、若しくは送信する方式によるものをいう。)が付されているものについては、当分の間、館長の定めるところにより、同項の規定にかかわらず、その提供を免ずることができる。

ただし、有償の電子書籍やデジタル著作権管理付など制限のある出版物については義務を免除される。もし電子書籍を作成し無償で配布しているような文藝同人があれば、もちろん来年の7月1日以降は国会図書館に送信(納本)しなければならない。収集された資料は電子図書館のデータベースに保存され、国会図書館の閲覧者には専用端末やプリントアウトで提供される*
 弊社は国会図書館への納本を怠る同人たちの文化的大罪を声高に糾弾することはない。だが、この記事を読んだ人が一人でも多く「文化財の蓄積及びその利用に資するため」に何ができるかと考えてくれたら、それだけを願っている。

郵送の場合の送付先はこちら
〒100-8924
東京都千代田区永田町1-10-1

国立国会図書館 収集書誌部
   国内資料課 収集第一係

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by suikageiju | 2012-06-21 21:50 | 雑記 | Trackback | Comments(0)
南武支線で「仕掛け人としての誠実さ」を考える
「鯨さんは、どんな恋愛小説を読まれているんですか? 」
という質問をよくされるが、毎度回答に窮する。ジャンルで小説を読まないからだ。でも最近は答え方を決めていて、一冊目は「まず、例えばEl Amor en los Tiempos del Cólera」とバリバリのカタルーニャ訛りで言い、「そうですね、あとはL'Insoutenable Légèreté de l'Être」と正確なフランス語の発音で答えるようにしている。前者は恋愛小説というより1900年前後30年のコロンビア社会を描いた小説であり、後者はプラハの春事件などを通して共産主義政権に翻弄された人生を描いた小説であり、一概に恋愛小説とは言えない。ただ両者を恋愛小説として見れば主人公、フロレンティーノ・アリーサもテレザも「仕掛け人の誠実さ」という意味で共通している、だから鯨がこれら2作をよく読む恋愛小説として回答するのだろう。「仕掛け人としての誠実さ」は鯨の人間としての在り方の根幹であり、反人間主義とも評され揶揄される原因だ。
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 土曜日の朝、指原莉乃問題を知った鯨は南武支線に乗っていた。こんなことを言うと博多区民に失礼なのかもしれないけれど指原にとってHKT48は南武支線のようなものではないかと思ったからだ。「しかし私の人生はいつの間にか南武支線へと導かれ、気づけば暮れ泥む浜川崎駅に私は立っていたのだ。あるべき場所を失ったのか、それともあるべき場所に戻ったのか……。」 鯨はアイドルの清純さをまったく信じていないし、アイドルになる(あるいはならざるをえない)状況を踏まえれば寧ろ彼女たちは「公共の女」の階層に属すると考えている。だから指原がたとえ文藝春秋誌に書かれたような恋愛禁止条例違反をしていても驚かないし、糾弾しないし、まただからこそ謝罪すべきではなかったとも考えている。ただ誓約書に従って秋元Pの処分を待てば良かった。だが、ひとつだけ気になったことがある。それは、もし実在すればの話だが、件の男性が「仕掛け人としての誠実さ」に欠ける行動をとったことだ。恋愛禁止条例を抜きに考えれば、責められるべきは件の男性である。
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 『存在の耐えられない軽さ』での仕掛け人はテレザだ。チェコスロヴァキア、田舎町のビアレストランのウェイトレスだったテレザはたまたま自分の客としてやってきた外科医トマーシュに度重なる偶然を発見し、挙げ句の果てに『アンナ・カレーニナ』を片手に首都プラハにあるトマーシュの自宅まで押しかける。仕掛けたのはテレザ。その後、2人は結婚するも「エロス的友情」を掲げる夫トマーシュから「存在の耐えられない軽さ」を味わわされ、幾度となく揺らぎながらもテレザは貞節ではなく「仕掛け人としての誠実さ」を貫く。一方『コレラの時代の愛』での仕掛け人はフロレンティーノ・アリーサである。彼は郵便局員として電報を届けた先の邸宅で読み方の練習をしている少女フェルミ―ナ・ダーサを見つけ何度か手紙を交換する。仕掛けたのはフロレンティーノ。その後、フェルミ―ナから「お願いですから、忘れてください」と言われても彼は諦めず、フェルミ―ナが結婚しても51年9ヶ月と4日にわたり622人にのぼる女性と関係を持ちながら彼女を愛し続け、そして運命のペンテコステスの日、フェルミ―ナに「もう一度永遠の貞節と変わることのない愛を誓いたいと思っている」と告げる。「仕掛け人としての誠実さ」とは簡単に言えば、どんなに軽はずみでも自分が仕掛けて始めた事態にどこまでも責任を持って対処することだ。誰がその事態を固めたかは関係なく、主観的な感情の変化は気にすることなく、仕掛けた人が最期まで責任を持つ。こんな一見すると当たり前のことでも、今の日本社会からは狂気と糾弾され、一歩間違えれば逮捕されるかもしれない。脱線した話題を南武支線に戻す。指原は確かに恋愛禁止条例に反した。だが、記事に書かれた状況から仕掛けられた指原にはこの事態に責任はない。その事態のなかで積極的か消極的か否かは些細な差でしかない。反人間主義の立場から言えば、指原を責めるのは主義に反する行為であり、件の男性は文藝春秋へのタレこみでも指原との関係でもなく、「仕掛け人としての誠実さ」の欠落によって責めるべきである。

 最後にトマーシュの「女性の狩猟(ハント)」についてこんな一節がある。
多数の女性を追いかける男性は容易にふたつの範疇に分けられる。一方の者たちはみずからの夢、つまり主観的な観念をあらゆる女性にもとめる。他方は客観的な女性世界のかぎりない多様性を捉えたいという欲望に突き動かされている。前者の妄執はロマンティックな妄執である。彼らが女性たちのうちにさがすのは彼ら自身であり、彼らの理想なのだから、彼らはつねに、たえず幻滅する。なぜなら、周知のように、それはけっして見出すことができないものだから。(中略)一方の妄執は無信仰的な妄執であり、女性たちはそこになんら感動的なものを見ない。その男は女性たちに主観的な理想を投影しないため、すべてが彼の興味を惹き、なにも彼を幻滅させることはないのだ。230頁、『存在の耐えられない軽さ』(池澤夏樹=個人編集 世界文学全集I-03)、西永良成訳、河出書房新書、2008

 この一節がもし真であるならば、今回の騒動に対して指原のファンだった男がどういう反応をするかでその男が前者に属するか後者に属するかを見分けることができる。指原というアイドルに幻滅を感じたのであれば前者、まったく当然のことと受け止めたのであれば後者。さて、件の男性はどちらであったのだろうか。鯨は、彼はたぶん前者に属する男性であると考えている。「仕掛け人としての誠実さ」を持っているのは何者にも幻滅しない男だけだからだ。
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by suikageiju | 2012-06-18 22:20 | 雑記 | Trackback | Comments(0)
西瓜鯨油社宣言
manifesto de societo suikageiju

人生は無価値だ、自殺する価値もないくらいに。世界図書館から物語を抽出する物語作家も無価値だ。ただ物語には価値がある。それは物語作家に価値があるからではなく、物語が世界図書館から抽出されているから。そして夢にも価値がある。夢は物語の種子であり、人類創始からの記憶をなぞっているから。価値は星の通貨で量られる。

言葉が氾濫し、言葉は死んだ。言葉の隠された意味、文の秘められた意図は遠い塔に匿された。慌ただしさのなか、誰も言葉の前で踏み止まらない。信じてもいない言葉、思ってもいない言葉、やりもしない言葉を口にできる人が蔓る。彼ら心理学の申し子たちが壊疽した言葉を振りかざし、身体を展げていく、誰彼かまわずに心遣いをふりまく、罪なき人に社会常識を自己主張する。自我が言葉を縊り殺した。異言を誰も語らない。言葉が死んで物語も死んだ。再建すべきは言葉の前で踏み止まる世界。

物語が単なる言葉と事象の羅列に堕落したとき、多くの物語作家が喪われた。商品となった物語、無価値な個人の表現手段に貶められた物語は瞬く間に世界図書館からの抽出物を駆逐した。司書たる物語作家たちは無能と蔑まれて退き、使命なき物語屋が幅を利かせた。人類は世界図書館と物語という財産を失いつつある。今こそ、世界図書館の復権を。人に慰めを与える物語の再配置を。無音の夜に冷たい夢を見たい。

物語に添えられた物語作家の名は栄誉の在処ではなく、罪の在処のみを示す。司書として職務を果たした叛徒に科せられる社会の罪だ。物語で対価を受け取るなら、その価値は物語作家のありもしない才能や糞のような感性ではなく、世界図書館が司書に科した運命の過酷さで量るべき。物語作家は世界図書館の秩序に従い物語を出力するのみ。努力と苦悩が報われることはない。物語は物語作家の女ではなく公共の女だ。

西瓜鯨油社は司書を志す者を拒まない。入社で得られる報酬は物語作家の称号と司書技量の向上と倦怠感のみ。抽出した物語は誰からも読まれないかもしれない。人は自分にとって必要な物語を知り得ないから。だが、茫漠と横たわる人類史のなかでその物語作家がその時点で抽出しなければ二度と存在しない物語がある。そんな物語を完成させたとき、一瞬だけその物語作家には星の時間が与えられる。その一瞬を得たいと思ったのなら、無価値なる人間機械よ、いざ来れ。佯狂者どもの扉を叩け。
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by suikageiju | 2012-06-15 07:03 | Trackback | Comments(0)
「足元の音」小柳日向
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 福岡ポエイチで絶世の美少女に会った。いや、無理矢理会わされたと言った方がいいだろう。何故?の森井聖大さんが売子さんとして連れてきたのが小柳日向嬢だった。BAR ラジカルで森井御大から聞いて驚いたのだが総合文芸評論雑誌「何故?」には20人ものメンバアがいるらしい。中国正史にありがちな正規軍の誇張表現を使用したのでなければ日本全国に20人もの何故ラー?がいるということになる。その一人が福岡で造形学を学ぶ小柳日向嬢ということだ。首がすっきりと長いのが美少女の条件とすれば、生涯で会ったなかでコルキータ第一版・第二版表紙を飾った美少女と並ぶくらいの美少女だった。ただ鯨の常として絶世の美少女を見たときには何とかして瑕疵を見つけてやろうとして、もしそれを見つけたらその瑕疵に注目するあまり全体を見損ねる嫌いがあり、今回もそんな弱点をさらけ出してしまった。ただ小柳日向嬢が好みの女性かと問われたとしたら「おまえは小柳日向の何を知っているというのだ」と叱責を受けたとしても「いや違うな」と答えただろう。これだけは断じて言える。上半身が反応しても下半身が連動するとは限らないのだ。それにたとえ鯨の目の前で森井御大が小柳日向嬢の白磁のごとき四肢を食いちぎったとしても鯨はきっと御大を止めはしなかっただろう。だから鯨は小柳日向嬢に「美少女」という実像を与えていただけであり、彼女を人間とはとらえきれていなかったのだ。それと蛇足だが、他の出展者にいろいろ訊いてみたところ小柳日向嬢と人気を二分したのが一般に参加されていた露草色の服に白いフリルのついた毛のものを羽織っていたボブカットの女性である。東京開催の文学フリマでさえ横綱級の美少女を見ることはほとんどないのに、地方開催の小規模な福岡ポエイチでは東西両横綱が対峙したのである。福岡は札幌と並ぶ美女の産地と言っても過言ではないだろう。
 そして『何故? 別冊ー九州創作集ー』第一回福岡ポエイチ記念号の小柳日向著「足元の音」を読んだ。意外と思われたかもしれないが、男性一人称小説である。意識の流れはいつか止む。何かを期待し、何かのイメージを押しつけ、何かに勝手に絶望し、何かを求めようとする。すれちがう感情と失われたぬくもりを愛おしみながら、もうギターは弾けない。最後の台詞をいつまでも噛み締める。寄せては戻す波のように。
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by suikageiju | 2012-06-12 22:33 | 感想 | Trackback | Comments(0)
「西瓜鯨油社宣言」未定稿
manifesto de societo suikageiju, malnetaĵo

あらゆる個人と人生は無価値だ、自殺する価値もないくらいに。世界図書館から物語を抽出する物語作家も無価値だ。ただ物語には価値がある。それは物語作家に価値があるからではなく、物語群が世界図書館から抽出されているから、人類創始からの記憶をなぞっているから。ここで云う価値は星の通貨で量られる。星の通貨は死人が歯に挟むもの。

物語が単なる言葉と事象の羅列に堕落したとき、多くの物語作家が喪われた。商品となった物語、無価値な個人の表現手段に貶められた物語は瞬く間に世界図書館からの抽出物を排斥した。無能と蔑まれ司書たる物語作家たちは引退し、使命なき物語屋が幅を利かせた。人類は世界図書館と物語という財産を失いつつある。今こそ、世界図書館の復権を。無価値な個人に慰めを与える物語の再建を。

物語に添えられた著者名は栄誉の在処ではなく、罪の在処のみを示す。司書として正しい職務を果たした叛徒に科せられる社会の罪だ。物語で対価を受け取るなら、その価値は物語作家のありもしない才能や糞のような感性ではなく、世界図書館が司書に科した運命の過酷さで量るべきだ。物語作家はただ世界図書館の秩序に従い物語を出力するのみ。努力と苦悩が報われることはない。

日本語とその諸方言で物語を出力する司書互助機関として西瓜鯨油社は設立された。当社は司書を志す者を拒まない。入社で得られる報酬は物語作家の称号と司書技量の向上と倦怠感のみ。抽出した物語は誰からも読まれないかもしれない。人は自分にとって必要な本を知り得ないからだ。だが長大な人類史のなかでその物語作家がその時点で抽出しなければ二度と存在しないだろう物語がある。そんな物語を完成させたとき、一瞬だけその物語作家には星の時間が与えられる。そんな一瞬を得たいと思ったのなら、無価値なる個人よ、いざ来れ。佯狂者どもの扉を叩け。

2012/06/15
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by suikageiju | 2012-06-12 20:38 | Trackback | Comments(0)
福岡ポエイチ報告
都市は詩を必要としています。でも詩はどこにもありません。書店にも図書館にも夕焼け空を飛ぶ鴎にもありません。だから私はここに来ました。「こことは?」福岡ポエイチです。(某参加者)
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 第一回福岡ポエイチが6月10日17時4分くらいに終わった。地方都市の文学系同人誌即売会、小スペースでの第一回開催にしては賑わっていたと思う。各ブースで立読者が1人いる状態を満員(すなわち24人満員説)とするならば入場率80%超になったのがトークイベント時を含め2回くらいあった。あと狭い会場で24ブースしかないのに数時間滞在されている方も何人かいらっしゃった。見本誌閲覧スペースとなっていた和室でゆったり読書でもされていたのだろう、あるいは隣の棟のベーグル屋で腹ごしらえか。行政をまきこんで集客、和室を見本誌閲覧スペースとした会場設計。そして無事にこのイベントを完結させた実行委員会と冷泉荘事務局の皆様、出展者と参加者の皆様には形だけの感謝を捧げる。鯨の心からの気持ちを知りたい人は個別に、どうぞ。手段はいくらでもある。この言葉はすべての同人誌即売会で言えることだ。手段はいくらでもある。だがその手段のうちのどれか一つを使うか使わないかはその参加者の意志に委ねられているのだと。
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どの手段も使わず一歩も踏み出さない人間は何も失わない。そのかわりに何も得ない。

 鯨は会終了後の交流会には参加せず、20時正刻福岡発のJAL0332便で帰京、そのまま帰宅した。文学フリマの交流会も参加しないのだから、たとえ家が福岡県内でも鯨は参加しなかっただろう。誰も嫌っているわけではない、ただ優しさと気遣いとの応酬に身体を保つことができないだけだ。何故?の森井さんも交流会にはやはり参加しなかった。また森井さんは詩人さんのトークイベント時でも「全く興味ないから、一服継続中」とtweetされていた。「文学フリマの文学性の無さ」から変わっていない森井さんの生き様に感銘を受ける。是非文学フリマ嫌われ者クラスタに名を連ねてもらいたいくらいだ。でも、会終了後に弊社ブースに「それでは」と挨拶に来られた森井さんの背後には、首まわりの涼しげな絶世の美少女・小柳日向さんがちょこっちょこ随いていた。何故?
 東京の11時にも似た福岡12時に第一回福岡ポエイチは開幕した。福岡ポエム市を略して「福岡ポエイチ」と称していることもあってやはり地元の詩や短歌のサークルさんが賑わっていたと思う。参加者の方々の目も「詩を! 詩を! 詩を!」求めていた。人だかりができていたのは福岡ポエトリーさんやかばんさん、くるぱさん、平地智さん、メインストリームさん、潮流さんなどだ。それと小説系では北九州書房さん、オリ神さん、浦橋天地堂さん、高森純一郎さんなど九州牧たちが賑わいを見せていた。東京から飛行機で来た鯨とお隣のTrue MemoryのTAKAさんの「東京区画」はトイレへの通路に置かれたため会場内周回動線から僅かに外れた衛星軌道上で暇そうに互いにちょっかいを出し合ってふざけていた。ちなみに今回、詩人たちがひねり出した糞尿を受け止め続けていた便器はこちらとなっている。
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わかる。君が自分の作品と才能とそして自分の可能性にしか興味がないのはわかる。そして僕は誰が偽物で、誰が本物かは分かる。だから君は充分に打ちのめされたほうがいい。そのときには君を慰めてくれる女性が必要だろう。もしかしたら1ダースでは足りないかもしれない。でも、それを経て君は本物になる。

 和室の見本誌閲覧スペースで本を読んでいただき「グッと来た」と買ってくれたお姉さんや佐藤こおりさん、前夜に森井さんや山本桜子さんと飲んだBAR ラジカルのマスター、そして〈福岡ポエイチに咲いた可憐な一輪の花〉小柳日向さんなど7名もの方に弊社発行物を買っていただいた。感謝はしない、ただ眠れない夜を彼らに手渡しただけだ。ひとつ心残りがあって、それは黒と白の細かい市松模様のためにほとんど灰色に見えるワンピースを着た眼鏡の女性である。彼女は弊社の本を立ち読みして購入こそしなかったが、黒髪に数本の白髪やうつろな黒目がちの目など澤田彩香のモデルにぴったりだったので無理矢理にでも彼女の鞄に本をねじこんでおけば良かった、と後悔している。「この本はきっとあなたを救います」、もちろん本は誰も救いはしないし、鯨は誰も救えないだろう。ただあの女性の存在を肯定できたのはこの世界で鯨だけだったのかもしれない。根拠はない。

誰かの本を買うという行為はその誰かの才能を認めるものではなく、君自身の知性を認めるものだ。
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 幼児多数来場、14時からの詩人によるトークイベントについて言及すれば松本秀文さんの朗読は体温を自然と上昇させる力を秘めていた。それは朗読というよりもほとんど叫びだった。ちなみに何故?の小柳日向さんはトークイベント中、鼻がムズムズしていてかみたいのをこらえていたらしい。最高の売り子さんじゃないか。
物語作家は世界図書館の秩序に従い、物語と称されたテキストを出力する。単純労働者である物語作家の個性は無意味であり、作品に付記される著者名は責任の所在を明らかにするのみ。もしある種のテキストが罪とされる社会を生きたのならそれを出力した物語作家は処罰されるべきだ。その処罰は物語作家の個性によるものではなく、世界図書館の意志によるものと社では解釈される。西瓜鯨油社宣言

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 リノベーションミュージアム冷泉荘は思った通り文学系同人誌即売会として文句ない趣のある佇まいで川端商店街の横、人通りの少ない路地に聳えていた。初めて訪れる方は冷泉公園側から駐車場を対角線に抜けて入るのがわかりやすいだろう。冷泉荘内部で何より興味をひいたのは卓球室隅に置いてあった、どこから拾ってきたのか大量の活字をおさめた活字棚である。もちろん欠けている文字もあったけれど、いにしえの文選工の仕事ぶりに思いを馳せるには十分な迫力だった。是非訪れた方は見て欲しい。
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 冷泉荘の立地条件は東京流通センターやビッグサイトやPiOよりもアクセス面で良いとは思う。ハコの小ささも会場規模にぴったりだった。第二回、第三回と回数を重ねて客層の幅を韻文から散文へと徐々に広げられたら、九州の文学系同人誌即売会として成功したイベントになると思う。そのこときのハコが冷泉荘かどうかは分からないが。その「成功」のためには望月代表の文学フリマ参加サークルに対するスタンスを福岡ポエイチに持ち込むことが必須となるだろう。トイレへの通路配置でもいいので鯨は第二回にも参加したい。そして前夜には西新のBAR ラジカルに飲みに行きたい。

戦利品一覧
 最後に福岡ポエイチでの戦利品一覧を並べる。
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・『最後のトルタ』、トルタ
 夏野雨さんからもらった。隣のTAKAさんが読んで驚嘆の声をあげていた。鯨も驚嘆の声をあげた。

・『バイカル湖』、只松靖浩
 詩集、週末文房具屋さん。鯨もタイプライターで値札をつくりたい。

・『雪白書』、TAKA、True Memory
 東京在住だけれど福岡のイベントによく参加されている放浪同人作家。恋愛小説を専門とされている。

・『創星』vol.3, vol.5、星屑書房
 全号無料の迫力。一路真実さんは東京在住とのこと。

・『何故? 別冊ー九州創作集ー』、何故?
 小柳日向買い。

・『雪のハンカチー15幕の悲劇ー』トリスタン・ツァラ、山本桜子
 金曜日からダダイズムに興味を持ってしまっていた。
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by suikageiju | 2012-06-11 00:28 | 福岡 | Trackback | Comments(0)
「南武枝線の天空率」の中核地帯
 昨日のカセットテープを拾得したことによる突然の南武支線初体験から一日たってもまだ興奮は覚めやらない。今日は明日からの福岡ポエイチ行を控えて体力の減少を抑えているので南武支線へは行かない。そのかわりに「南武枝線の天空率」の中核地帯を以下の地図、赤枠線内のように定めた。
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 日本鋼管病院とラ・チッタデッラは外せなかった。もちろんこの地図は中核地帯だけを表わしている。飛び地としていくつかの地域をこの中核地帯に付け足すことも想定している。ちなみにこの赤枠線内には高橋克彦容疑者の潜伏先も含まれている。菊地直子容疑者逮捕から5日たって、今日は駅頭によく警察官を見る一日だった。
 それと「南武枝線の天空率」の欧文表記はthe sky factor of the Nambu branch line (SFNBL)もしくはエスペラントでla ĉiela faktoro de branĉa linio Nambuとする。スカイ・ファクター(The Sky factor)と書くとスカイ・クロラみたいでカッコイイ。

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by suikageiju | 2012-06-08 21:43 | 雑記 | Trackback | Comments(0)
南武支線
 実のところ牟礼鯨はしがない代書人である。営業先へ向けて必死に自転車を漕いでいるとタイヤが何かを踏みつけた。自転車を倒して踏みつけたものを拾うとそれはカセットテープだった。持ち主の名前はもちろん、タイトルさえ書いていない。事務所にそれを持って帰って、倉庫に眠っていたラジカセを小会議室まで引きずり出しカセットテープをセットする。ラジカセの再生方法なんて中学生以来で忘れてしまっていたけれどさすがはユニバーサルデザイン、再生ボタンはいつだって右向き矢印だ。ラジカセが風の音を鳴らす。しばらくして声が聞こえてきた。男の声だ。胸ポケットに差した区役所のロゴ入りペンと尻ポケットにいれてあった生命保険会社のメモ帳とを使って、男のささやく言葉の文字起こしをしてみる。聴き取れた内容は以下の通りである。
南武本線を私は乗っているつもりだった。武蔵溝の口でも武蔵小杉でも鹿島田でもどこでも自由気儘に降りてやるつもりだった。しかし私の人生はいつの間にか南武支線へと導かれ、気づけば暮れ泥む浜川崎駅に私は立っていたのだ。あるべき場所を失ったのか、それともあるべき場所に戻ったのか……。

 テープの音声はそこで途切れていた。あとは雑音ばかりだった。ラジカセの停止ボタンを押す。にわかに鯨は「南武支線」に興味を持った。浜川崎駅に立つという感覚を味わいたかったのかもしれない。スマートフォンで調べて見ると南武支線は南武線の尻手駅から鶴見線の浜川崎駅まで伸びている枝線らしい。何度か尻手駅は通ったのに気づかなかった。いや気づいていたのに気にとめなかったのか。ともかく南武支線に乗ってみたくてたまらなくなった。そして今日6月7日は天気がいい。空気が軽やかで澄んでおり、汗ばむ程ではなく肌寒い程でもなく。やがて数週間後には夏にかきけされるだろう清々しい夕刻だ。鯨は諸先輩方に「お先に失敬」と言い残して事務所をあとにした。17時半であった。17時45分、小田急線は登戸駅に近づく。多摩川沿いに二軒のラヴホテルが見える。河川敷では子供達がフォーメーションを組んでいる。登戸駅で南武線川崎行きに乗り換えた。鯨は何度かこのように終業後に南武線に乗り換えた。それが生きる意味であり、生きる目的であった。それがいつのまにかこのカセットテープの男のように失われてしまっていた。鯨もどうやら南武支線の迷い人のようだ。
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 追憶にふけり夕の朱に染まる街並みを見ながら尻手駅に到着する。地下の階段をもぐって2・3番ホームに出た。会社帰り、学校帰りだろうかホームには数人の乗客がいた。何本か2番ホームの登戸方面行きの列車をやりすごす。南武支線こと浜川崎支線は本数が少ない。最も多い平日8時台でも4本、お昼は地方の在来線並の本数だ。僅か4駅しかないとは言え、22時43分が終電というのももの悲しい。
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 18時28分発の二両編成、浜川崎駅行きに乗る。車窓風景は動画の通り。八丁畷駅まで盛り土から高架の上を通って進む。八丁畷は川崎駅のすぐ南である。川崎アプローチ線という現状の南武支線を廃線する計画ではこの八丁畷駅を通らずに日進町のあたりに新八丁畷駅(仮)を新設するらしい。さて列車は進み続ける。八丁畷駅から川崎新町駅までは高架からまた盛り土となる。緑に囲まれた乗客数ゼロの川崎新町駅からは複線となり、鯨が乗った列車は貨物列車とすれちがった。件の川崎アプローチ線計画では川崎新町駅と浜川崎駅のあいだ、小田栄のあたりに新駅を設けるとのこと。ちなみにこの区間は他の区間に比べて少し長くなっていた。二両編成の浜川崎駅行きはゆっくり終点・浜川崎駅のホームにすべりこむ。鶴見線の浜川崎駅とは同じJRなのに元の鉄道会社が違うため改札を出なければ連絡できない構造になっている。その浜川崎駅前には孤独のグルメに出てきそうな「浜川崎商店(後藤)」があり店内は立ち飲みの男達であふれていた。その向こうはすぐJFEスチールの工場がある。男の町なのだ。
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 帰りは浜川崎駅から一駅の川崎新町駅で降りる。往路は誰も乗ってこなかったのに復路では女子高生や男子高生であふれていた。尻手駅行きをめがけて高校から走ってくるのだろうか。改札口ではテレビのカメラが取材が来ていた。この近くにオウムの高橋克也でも潜伏していたのだろう。それから住宅街を歩いて八丁畷まで歩いて目指す。今にも糸ひくパンツを脱ぎ出しそうな女子中学生の自転車に追い越され踏切を渡るとき、横を向くと高架線のある風景が視界を占拠した。その印象から鯨は「南武枝線の天空率」という言葉を思いつく。そして、これを第十五回文学フリマの主題にしようと決めた。
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 住宅街をひたすら西北目指して歩いて、八丁畷駅を見つけようと思ったら京急のピラミッド型硝子天井の八丁畷駅しか見つからなかった。どうやら南武支線はそこを間借りしているらしい。新八丁畷駅を新設するのは京急とのこういった間借り関係を解消したいという狙いもあるのだろうか。
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 八丁畷周辺は東海道線や京急や南武線が入り乱れて方向感覚を失いやすい。しかも鯨が歩いていたのは黄昏時である。自動車教習学校の横を抜け、地図を片手にして迷いながら南武本線と南武支線の分岐する地点を目指していたらすっかり日は落ちて暗くなった。鯨の目指す本線支線の分岐点は盛り土の上にあり見ることはできなかったが、その近くを通ることで良しとした。晴れていたら近くの高層マンションに忍び込んで見下ろしてみようと思う。空腹をかかえ、足を無駄に疲れさせて夜の尻手駅にたどり着いた。こうして鯨のはじめての南武支線行は終わった。
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 6月7日木曜日、鯨ははじめて南武支線に乗り、そして体感したいと思った浜川崎駅に立つことができた。偶然拾ったカセットテープに声を吹き込んだ男が何を感じ、何を考えていたのかは明晰には分からない。だが、このまま乗っていけば川崎にたどり着くであろう南武線に乗っていていつのまにか浜川崎に着いているような、そんな「南武支線」感についてはなんとなく皮膚で理解できるようになった。ただ、本当に南武支線の哲学、すなわち「南武枝線の天空率」について会得するにはこの南武支線行では不足だろう。まだまだ何回も浜川崎を訪れる必要がある。「あるべき場所を失ったのか、それともあるべき場所に戻ったのか……。」この禅問答について南武支線を舞台に考えあぐねたい。
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by suikageiju | 2012-06-07 23:18 | 雑記 | Trackback | Comments(0)
架空の文学賞
 文学フリマやコミケやコミティアのブースをまわっているとき、ポップに「○○文学賞受賞作」とか「○○新人賞一次選考通過作」とか「芥川賞最終候補作」とか宣伝文句が書いてあるのを見て、こういう文句を自分の作品の宣伝に使えないだろうかと思ったことはないだろうか。でも文学賞なんて応募したことないし、既存の文学賞を名乗るのも気がひける……というアナタ! 架空の文学賞を名乗ればいいじゃないか! たとえあとで検索されてもこのブログ記事が経歴詐称ではないと証明してくれる。だってそんな賞なんて存在しないのだから。バレても「一本とられた」とアナタの株は急上昇、本の売上も鰻登り。もちろん架空の文学賞受賞なんてひとりでやったら恥ずかしいけれど、大丈夫。鯨がついている。あなたの作品はそれだけで素晴らしい、だから受賞なんてしなくても「第58回南関東文学賞受賞作」とお飾りだけの箔がついていいはず。文学賞を一覧にするだけだけど、牟礼鯨はその箔づけのお手伝いをする。
 文学賞の名称使用にあたっては特に許可は不要。著作権とかあるんですか? あとはネットで検索して、くれぐれも回数をかぶらせないように。たとえかぶってしまってもそれは同時受賞で済ませよう。「俺が第66回パラノイア文学賞受賞者だ!」「いや、私だ!」の架空文学賞論争とか鯨が楽しむだけ。あとあえての最終候補作とかリアルでいいかも。選評くらいは自分で書いて欲しいな。もし主催者を西瓜鯨油社としたいなら事前に言ってくれたら一筆書くよ。リンクは自由に貼ってくれ。ちなみに西瓜糖文学賞は実在する。

架空の文学賞一覧(右の数字は第一回開催年)

・パラノイア文学賞 1945
・Z氏賞 1950
・まちかど文学新人賞 2000
・平成女子文学賞 1990
・ディストピア文学賞 1970
・ポーシロスチ文学賞 1900
・大文芸新人賞 2010
・性的倒錯文学賞 1960
・南関東文学賞 1950
・南関東文芸賞 1951
・世界図書館司書認定賞 2009
・B型のための文学賞 1960
・幻想世界小説新人賞 1980
・短篇文芸新人賞 1985
・本を読まない人の小説大賞 2012
・トーチカ文学新人賞 1950
・激エモ文芸新人賞 2005
・文像文学新人賞 1980
・大学文学部大賞 1965
・課題小説新人賞 1975

 これら架空の文学賞を使用して起こったことについては全て自己責任で解決してくれとお願いしている。あくまでも解決したければ。トラブルが起きたら鯨がしゃしゃり出て騒ぎを更にややこしくするけど責任はとらない。最後に、文学賞をパラハラッテインしよう。
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by suikageiju | 2012-06-05 12:57 | 雑記 | Trackback | Comments(0)
【朗読工第五回】「ローラ」
 下北沢の古書ビビビさんに委託した鯨鳥三日『耽溺』に寄稿した「ローラ」の冒頭を朗読した。短いのは朗読復帰(rehabilitacja)の途上にあるからだ。5月中下旬は風邪をひいて喉をいためていた。皆さんはそれを知っていてとても胸をいためていた、鯨はそれを知っている。そして朗読工の第五回を待ち望んでいた、それももちろん知っている。ではそんな君に尋ねる、それ以前の朗読工の声に比べて今回の朗読工の声は変わっただろうか。鯨は答えを持たぬ。なぜなら時を生きていないからだ。

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by suikageiju | 2012-06-04 20:25 | 朗読工 | Trackback | Comments(0)