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<遊ぶ>シュルレアリスム
 シュルレアリストたちの集団は文学フリマの集団が見習うべき対象なのかもしれない。その存在や括りの曖昧さ、そして定義しようもなさとともに。夢の記述をお互いに読み合って「俺は君がそんな夢を見たってこと信じるよ」と認め合っても良いだろう、ダリの作品のパンをピカソの犬が食べてしまうようなハプニングがあっても良いだろう。そんな創作の喜びに満ちたゆるい繋がりの集団を文学フリマは目標としてもよいのかもしれない。もちろん商業を目指しても構わないのだけれど、そんな毛の数本生え増した猿みたいなことをせずとも、解きほぐすべき課題は山積している。
 損保ジャパンの知り合いがいて招待券をもらったので新宿の損保ジャパン東郷青児美術館で開催された<遊ぶ>シュルレアリスム展へ行って来た。
 シュルレアリスムとチェスの繋がりにまず注目した。マックス・エルンストの「王妃とチェスをする王」と題された象徴的なチェスも面白いけれどやはりマン・レイのデザインした「チェスセット」が欲しくなるほどの秀逸なデザイン性を有している。ポーンが丸っこくてカワイイ。というかミュージアムショップでこれを売って欲しい。それにしてもチェスの仕組まれた偶然が指向するものにシュルレアリスムの創作態度と何か関連があるのだろうか。
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 あとアンドレ・ブルトンの書き文字がカワイイのとマックス・エルンストの怪鳥ロプロプがカワイイ。シュールレアリスム作品を評するとき、それは現代にも通じるカワイイの感覚が生きている。また、彼らの作品には時々「創っていて楽しい」という手指の痕跡が見える。シュールレアリストたちのものつくりの幅広さはそういった創作の喜びに起因するのだろうか。見習いたいものだ。
 また1階でワークショップをやっていてシュールレアリストたちの技法を体験できた。鯨はコラージュに挑戦し、「眼球と犬頭のコンポジション」と題された作品をしあげた。1階のワークショップコーナーを訪れる機会があれば是非ご覧頂ければと思う。
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by suikageiju | 2013-07-14 01:32 | 雑記 | Trackback | Comments(0)
「反・人間主義宣言」序論
反・人間主義は表面的には人間主義と似ている。だが反・人間主義者は本質的に人間主義者達の善人面が嫌いだ。なぜなら人間主義者達は自身の怒りによって無罪の人さえも罰する権利があると無邪気に信じているからだ。人間主義とは自己中心主義に他ならない。反・人間主義者は誰も罰せず常に事象に対して再考する。反・人間主義は性的倒錯者達を赦し人間関係を再構成する。
KONTRAŬ-HUMANISMO LAŬASPEKTE SIMILAS AL HUMANISMO. SED KONTRAŬ-HUMANISTO ESENCE MALAMAS BONULECOJN DE HUMANISTOJ. ĈAR HUMANISTOJ NAIVE KREDAS, KE ILI RAJTAS PUNI EĈ SENKULPULOJN PRO SIAJ KOLEROJ. HUMANISMO ESTAS JA EGOISMO. KONTRAŬ-HUMANISTO PUNAS NENIUN KAJ ĈIAM RE-PENSI KONTRAŬ OKAZAĴOJ. KONTRAŬ-HUMANISMO PARDONAS PERVERSULOJN KAJ REFORMOS INTERHOMAJN RILATOJ.

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by suikageiju | 2013-07-13 08:12 | Trackback | Comments(0)
山手線歩いて一周
 幼稚だったころ人間の目は4つあると思っていた。なぜなら当時の牟礼鯨にはそう見えることの方が多かったからだ。小学生の図画工作で「かぞくのえをかこう」という課題を与えられたとき、2対の目を持つ人間を2人と1対の目を持つ子供を2人描いた。その絵を見た小学校の先生は「異常です」と両親をわざわざ学校に呼びつけて報告し、恐れた両親は鯨を「くらいへや」に閉じ込めた。「ほんとうに目が4つあるよ」と言っても誰も信じなかった。長ずるに及んでだんだんと人間の目が2つしか見えない時間が増えてきた。だから、たとえ4つに見えることがあったとしても人間の目は2つしかないと今では思っている。この逸話から得られる教訓は2つ。まず、自分の目で見ていないことは信じてはならない。次に、自分の目で見たことは信じてはならない。
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 山手線を歩いて一周することには幾つか意味がある。まずはそれが目的のある行動で、遂行するためには目的を達成する意志の強さが必要で、そのために意志を鍛えられるということ。というのはちょっと気の迷いが起きれば最寄り駅から電車で数駅を通過することができるからだ。今回は高田馬場駅を7月6日午前9時半に出発して山手線沿線を時計回りに歩き翌7日午後5時前に高田馬場駅に帰りついた。山手線の営業距離が34.5㎞だから歩いた距離も同じくらいだろう。その間に駒込のファミリーレストランや有楽町の宝来、駅前のカフェで休憩をとり五反田で宿泊したけれど一度も電車やバスを使わなかった。唯一意志が挫けた場面があったとすればそれは恵比寿駅で動く歩道を使った時だけだ。
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 もちろん鯨の意志の強さだけでこの山手線一周を敢行できたわけではない。今回は年端もゆかぬ助手を連れて歩いた。鯨が助手を強制的に歩かせ、助手が鯨を叱咤する。この相互監視が二人を最後まで歩かせたと言える。同時に各駅に到着する毎にExcelで作成した「山手線一周シート」に到着時刻を記入し、そこから次の駅に向かう時には出発時刻を記入した。その都度の時刻を鯨が調べ、助手がその時刻をシートに記入する。お手製とは云えシートを埋めていくこの単純作業も山手線一周のモチベーション維持に役立つ。シートが次々と埋まっていくと、今までどのくらい歩いたか、これくらいの疲労でどのくらいまで達成できたかを可視化できるからだ。またFousquareやTwitterといったSNSの活用も有効だ。位置情報をさらしながら歩くことに怖れを抱く人は一度すべてさらけ出してみると良い。
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 次なる山手線を一周する意味、それは文芸創作の練習になるということ。始点と終点が決まっていて28の中継点も決まっている、そして実際にどの道を歩くか沿線のどんな施設を利用するかはその場でその交差点で決めていく。これって駅をプロットとすると歩く道が実際の文章のようで、道を選択する際の決断には書かれる物語の言葉が一通りでしかないという覚悟を要する。本来は道の選択は鯨と助手の二人による共同作業であるべきだったのだけれど、絶対的方向感覚の持ち主である鯨が主に道を決めた。もしこの「山手線時計回り」の物語において責められるべき点があるとすればそれは6日深夜に歩いた品川駅から大崎駅までのショートカットだろう。本来は山手線最南端のそばを歩くべきだったのに御殿山を通ってしまった。でもそれは物語を続けるためには必要な決断だったのだ。ところで、あなたは文芸創作においては、どの駅を通るのかという「何について書くのか」を重視しますか、それともどの道を通るのかという「どのように書くのか」を重視しますか。山手線で考えてみてください。
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 山手線を一周することにそんなに意味はないのかもしれない。でも、ちゃんと意味はある。それは山手線を歩いて一周したと言う権利を得たということである。もちろん歩かなくても「歩いて一周した」と言える。そして歩いても「一周したことなんてない」と言える。いずれにせよ歩いてから「一周した」とか「一周したことなんてない」と言った方がその背景まで語ることができる。歩いたことがあることと歩いたことがないことは些細な違いだけれどとても重要なことだ。物語を読んでいて長距離の徒歩旅行をしている描写が出てきて、なんとなく疲れている感じは分かるのだけれど実感が湧かないとき、それは読み手に長距離を歩いた経験がないのである。35度を超える熱気のなかを10㎞以上歩いたことがないのである。どんな経験も読みを豊かにする。あなたがある本を読んでつまらなく感じるのは、それはあなたがつまらない生き方しかしてこなかったからだ。
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 山手線を歩いて一周し高田馬場駅に帰り着いて駅前のイタリア風居酒屋で水をがぶ飲みしているとき、高村暦女史が同席していた。それは福岡ポエイチの精算をするためである。意外と律儀な女子大生もいたものだ。たまたま鯨は東京都写真美術館で買ったRocca Railsと云う名のカードゲームを持っていた。人が集まったときに試してみようと思ったのだけれど、こうして人数が集まったので皿をどけて場をつくりプレイしてみた。
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 山手線沿線を歩いて一周した後でカードゲームをしているのも奇怪だと感じられたので高村女史に「プロテイン飲まないか」と尋ねた。さんざん鯨に飲まされた助手は眉を顰める。かつて一日25㎞以上歩くと決まって腰まわりの筋肉を痛めていた鯨に、未だに(7月8日現在)筋肉痛を起こさせていないプロテインである。今まで知らなかったのだけれどプロテインはスポーツをする人の肉体をちゃんと守っていたのだ。そのプロテインを「飲まないか」と勧められて高村女史は(なんだこいつ)という顔をして眉を顰めた。その顰め方は今まで共に歩いてきた助手の眉の顰め方にどことなく似ていると思えた。
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by suikageiju | 2013-07-08 22:09 | 雑記 | Trackback | Comments(0)