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カード分類法
 2013年6月くらいからコレクトの5×3情報カード無地を使っている。4月29日に秋葉原のNIJYU-MARUで久保田輝とその他数人の作家と会食したときに久保田氏が「作家の地下水脈」という言葉を使い、たまたま同時期にV.ナボコフが車内でindex cardsに文章を書き込んでいる画像を鯨がネットで見つけ、言葉と画像が脳内で重なった。そして、情報カードを使い始めた。『受取拒絶』の創作過程でもコレクトの無地カードを使った。
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 その後無地カードは図像やスクラップのためのカードとし、文章やメモなどはコレクトの5×3情報カード補助6ミリ罫を使っている。ライフの情報カードは薄くて敬遠した。コレクトの方眼罫であるセクションカードは、そもそも鯨という人はノートについてはとことん方眼罫派なのだが、それは文章にも図像にも中途半端なので使わなかった。もし最初から二種類のカードを使い分けず、一種類のカードしか使わないのであれば5×3のセクションカードだけを使っていただろう。5×3のサイズにこだわるのは国際十進分類法の考案者のひとりであるポール・オトレが世界書誌目録でそのサイズを使っていたからである。また、5×3の補助6ミリ罫カードは日本語の文字にして200~300字が書き込める限度であり物語の核をあまり書きすぎず、それでも必要な情報を載せるために適った大きさだからという理由もある。あらすじは簡潔に言えねばならない。たとえば『トキシン』に寄稿した「同毒療法」の原初アイデアは5×3の補助6ミリ罫カードに書かれた。
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 その他、福岡ポエイチや文学フリマでの西瓜鯨油社ブースに置く値札に補助6ミリ罫カードを使っている。情報を記録、保存、整理するための内向きな情報カードを、値段や書籍情報の提示のために使うという外向きな試みは成功しているとは言い難いが、統一された書式で頒布している本の情報を提示できるので、使えない方法ではないだろう。
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 12月28日、ある程度情報カードがたまってきたので400円くらいでカードボックスを購入し、コレクトの見出しカードを買って「分類」してみた。情報カードの分類といえばPoICメソッドである4カード、つまり「記録、発見、GTD、参照」があるが、これを鯨は「記録、思案、種子、知識、覚書」に分けた。記録はそのままだが、発見は思案に変え、GTDをなくし、参照を知識に変え、覚書を追加した。それぞれ下記のように定義される。
記録: 経験したこと、日記のようなもの
思案: ふと思いついた短文、発見
種子: 物語の骨格、アイデア
知識: 典拠があり参照できる情報
覚書: 講演や創作過程での一連のメモ

 とりあえずの分類であるが、物語作家向けの分類となっている。日常生活の記録や本やネットから得た知識からふわりと浮んだ思案をそのまま思案として肉とするか、それとも物語の骨格となる種子とするかにより分けて、骨格たる種子に肉付けしていく過程を覚書にまとめるのである。
 物語創作は情報学における、ひとつの応用部門ととらえている。生活のありとあらゆる事象に隠された情報をどう得てそれらをどう加工して小説へ、あるいはどう省略して物語へと仕上げるかについて体系的にデータを収集していきたい。その収集過程でカード分類法も変わっていくだろうし、変わっていけばより専門的な物語創作の領域へ達するようになるだろう。


 
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by suikageiju | 2013-12-28 23:38 | 情報カード | Trackback | Comments(0)
帰宅したら弟がニート
 題名のとおりニートの弟がたくさん登場するのかと思ったら7篇あるのにニートは3人、弟にいたっては2人しか登場しなかった。意味もなく裏切られた。
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ループ、稲荷古丹
 字下げと改行が混乱していた。まさか、黒四角が書いたのか? そういう設定なのか? 人工知能作家と人工知能評論家の設定が良い。ただ、最終段落のおさまりが分かりにくく弱い。もっと最終段落へ至る道程を補強した方がいいんじゃなかろうか。

19HK、稲荷古丹
 猫語を解し翻訳する能力が急に身に付いてその能力獲得があまりにも急だったので人語を話しているつもりで猫語を話すようになってしまったと解釈するのはやや難だが、そう解釈できれば面白い。

帰宅したら弟がニート、上住断靭
 イベント数日後の長尾描写がむかつくくらいに秀逸。

philia、坂上悠緋
 気持ち悪い文体が気味の悪い内容にねちゃっと寄り添っている。また、「娼婦」であるところの話者の感覚が内臓的というより皮膚的で、「人形」らしい。ねちゃ、ぬちゃ、にちゅといった擬音が鳴る一品。

ウェディング、猿川西瓜
 従兄弟(どっち?)であるミカボシの姉宛の手紙が載っていてこれが読ませる内容だった。

天皇陛下の恋人、森井聖大
 ドザエモンに関する名言がリフレインする。スキンヘッドの男が出てくる箇所の印象だけが鈍く光っていた。
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by suikageiju | 2013-12-23 21:37 | 感想 | Trackback | Comments(0)
鉱石展示室
「鯨さんは鉱石副王と果実太守の物語を紡がれました。ではこれはどうでしょう?」と手渡された本が琥珀舎、波水蒼さんの『鉱石展示室 クリスタル・パビリオン』である。広がっていたのは石果世界ではなく、石菓の世界だった。
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宮沢賢治から長野まゆみへと歪に結ばれたフィラメントの先にある本として読んだ。京都という舞台を設け、琥珀糖専門店ジオードとその主である今市琥太郎氏を基軸にした登場人物たちの、時をこえた繋がりを描いている。それらが有機質として繋がっていく流れに一種の様式美を感じた。弓道で矢がうまく中ったあとの静けさのようなものを。京都、鉱石、琥珀糖、高校演劇部、そして花。美意識を描く作家と美意識を重んじる読者を充分にくすぐる要素を持つ作品だ。美意識という看板は要素ですぐに靡く。では人間は? といった観点から見ると他者に一枚薄皮を隔てたような筆致を見た。たぶんこれからも、そうやって巧妙に紳士的に、すり抜けて、生きていくのだろうなと思わせるような筆致である。極めて上品な出来だ。
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by suikageiju | 2013-12-23 12:38 | 感想 | Trackback | Comments(0)
バトン
 霜月みつか嬢からバトンをもらった。バトンなんてミクシとともに死語だと思っていたけれど、体が勝手に動いた。指が不随意にキーを弾く。バトンをもらうとはそういうことだ。

1.いつもどうやってアイデアを出してますか?
 アイデアを主題や場面などの大アイデア、そして修辞などの小アイデアに分ける。そうすると、大アイデアは弛緩によって、小アイデアは惰性の作業により生じる緊張によって吐き出されているという実感がある。

2.アイデアが出やすい場所は? オススメがあったら教えてください。
 アイデアが出やすいのは脳髄。つまり場所よりも状況と部位が重要だと考える。圧迫感のある書店から徒歩10分の地点、いつもの通勤路から一本入った裏道、中学受験用の算数ドリル、知らない路線の降りたこともない駅の前にある喫茶店など、脳髄にいつもと違う部位を使わせる状況に自分を追い込めるか否かで作家寿命は変わる。作家の商売道具は脳髄でしかないから。

3.作品を仕上げるのにどのくらいかかりますか?
  最初に仕上げたのが23歳で今は28歳なので、おおよそ23~29年。だいぶ遅筆。

4.今までで一番嬉しかった感想は?
 面白いとか上手いとかそういった感想には食傷していた。だからこそ「悪意を感じて読み終えられない」という感想は嬉しかったし、読み手に悪意を感じてもらうことが鯨の望むところなのだと再認識できた。

5.尊敬する人は?
 著者を知らない本の著者

6.目標とかありますか?
  「痴漢」「ストーカー」「心が傷ついた」「セクハラ」といった安易な言葉を使わない、言葉の前で踏みとどまれる人を一人でも増やすこと。

7.書きたいジャンルは?
 石果世界物(物語)と澤田彩香物(小説)

8.回してくれた人の作品どう思う?
 小さな瓶を連想させる。それには水が満たされている。

9.回してくれた人についてはどう思う?
  文学フリマ系作家では稀な、頭の回転が早い娘。幸せになって欲しいね。

10.最後に回したい絵描きさん&字書きさん をどうぞ
 山本清風くん
 秋山真琴くん
 泉由良くん
 犬尾春陽くん

お手すきなときに。
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by suikageiju | 2013-12-11 17:06 | 雑記 | Trackback(1) | Comments(0)
なぜ文芸スタンプラリーなのか
 第十七回文学フリマにて、隣の非公式ガイドブックブースで高村暦女史が「高村暦ブックラリー」を開催していた。女史関連の本をすべて購入した人に景品をプレゼントするという企画で、そこから派生して秋山真琴ブックラリーという企画もあったという。傍目で「完走するまでやる奇特な人が果たしているのだろうか」と思っていたら、なんと1名完走した方がいたらしく驚愕した。でも上記のような同一作家のブックラリーは理解できる。その作家に興味があってその本を買おうとするのは当然のことで、そのブックラリーが便利な一覧表の機能を果たすからだ。でも複数の作家・サークル、それも不特定多数から企画参加者を応募したスタンプラリーは、なぜあえて企画されるのか鯨は理解できない。ただその企画に参加することは理解できる。なんだか企画参加しないとバスに乗り損ねた気がするからだ。合衆国南部の説教師は「汽車に乗り遅れるな」と教えを説く。そんな感じだ。いかなる企画にも鯨は反対をしないのであらゆる文芸スタンプラリーに反対をするわけではない。ただそのバスや汽車に「なぜ」「どうして」を突き立てたい。卒塔婆のように。

 そもそも鯨はスタンプラリーにまったく興味が湧かない。鯨はスタンプ帳を手に入れることはあってもスタンプを完走させたことがないし、する気もない。路線で、観光地で、美術館で、よくそういったスタンプラリーの企画を見かけるが集めたことは勿論、愉しんだことはないし、愉しもうと思ったこともない。実は西瓜鯨油社も第十一回文学フリマで本めぐりスタンプラリーに参加させていただいた。でも自分でスタンプを集めることはなかった。そういう懶だからスタンプラリー企画を理解できないのかもしれない。スタンプラリーはマメで執念深い気質の人がやるものだ。

 スタンプラリーにより企画参加作家・サークル側はイベントを盛り上げて賑やかし名前を売ることはできるだろう。ただ、たとえ名前を売っても一般参加者や企画に参加していない作家・サークルからは
「スタンプラリーに参加していない作家・サークルの方がなんか面白そう(=参加している作家・サークルは烏合の衆でつまらなそう)」
 と見られることを覚悟しなければならない。そもそもスタンプラリーをやって何か企画を打ち立てた気になっていることは単なる自己満足であり、創造性のカケラもないからだ。そこに金魚の糞のようにへばりついている有象無象に興味が湧くだろうか。平準化されて均された生首の陳列棚のようだ。また、たとえ完走者が多くても、スタンプラリーでスタンプを集めることと、スタンプラリー企画でまわった作家・サークルの本に興味を持つこととは違う。もしスタンプラリー企画でスタンプを集める人に企画参加作家・サークルへの興味を持ってもらいたいなら、そのスタンプラリー企画参加作家・サークルに敢えてジャンルなどの共通項を提示するというのも手である。それは無理矢理でも構わない。たとえば卒塔婆のように。

 Google検索により過去の文芸界隈スタンプラリー企画を並べてみる。企画参加作家・サークルに目立った共通点(色)があるかを中心にメモを残す。
【文学フリマ系】
本めぐりスタンプラリーin第十一回文学フリマ
 参加サークル12。それぞれの作家・サークルに目立った共通項がない。

第十二回文学フリマ・スタンプラリー(無料/非公式)
 参加サークル14。それぞれの作家・サークルに目立った共通項がない。

卒塔婆スタンプラリー(超文学フリマ)
 参加サークル6。ブースに卒塔婆が立っている共通項がある。

三題噺スタンプラリー(第十七回文学フリマ)
 参加サークル10。三題噺を集めて一冊のアンソロジーにするというのが面白い。

【その他系】
TAT-QUEST(タトホン)
 参加サークル未詳。文芸に限らず。各サークルでQUESTをするのが面白い。

 文芸界隈と一口に言ってもそれは古代エジプトだ。ギザのピラミッドを建造したクフ王の時代とクレオパトラの時代は同じ古代エジプトであっても2600年もの時間の隔たりがあるように、文芸作家にはそれぞれの特色があって違っている。それは殷の紂王と毛沢東が違うように異なっている。もしそこに非公式ガイド的な意味合いで共通項を見つけ出しアッピールするならば、スタンプラリー企画を実施する意義が出てくる。その共通項はわかりやすければわかりやすいもの程良いだろう。たとえば廃墟だとか民俗だとか宇宙だとか。そんな共通項があれば、曖昧な盛り上げ賑わいといった目的ではなく、一般参加者に理解できるよう文芸サークルの存在を提示する目的がちゃんとそのスタンプラリー企画にあることを証明できる。そして企画者はそれを証明しなければならない。
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by suikageiju | 2013-12-05 22:05 | 雑記 | Trackback | Comments(0)
文庫フリマ
 『南武枝線』第二版を、下北沢は茶沢通り沿いにある古書ビビビさんに納本した。『受取拒絶』と同じように見本誌に幅広の帯をつけた。
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 ここ数ヶ月、山本清風さんと栗山真太朗さんが古書ビビビさんでの委託をはじめられたようで、扉入ってすぐ正面の平台はセルフパブリッシング系文庫本の祭典「文庫フリマ」めいている。同系統の本が並んで目立つので店長曰く、数が出ている、とのこと。もともとはこの3人に秋山真琴を加えた文庫本小隊を山本清風さんが取りまとめ、「文庫フリマ」という旗印を鯨が提案して、4人で一山あてる積もりだったのだけれど、それはおじゃんになっていた。下北沢で勃興しつつある「文庫フリマ」はその一山の代替物なのかもしれない。
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 山本清風さんは人間の諸相を戯画として描いて饒舌、栗山真太朗さんは人間の上澄みを活写して瑞々しく、そして牟礼鯨は人間の業を嘘をまじえながら肯定して簡潔である。それぞれに特徴があり、それぞれに違う文庫本を楽しめるだろう。また古書ビビビさんへの納本後に湯島へ行ったのだけれど、そこで抱いたのはやはり湯島・御茶ノ水界隈は川崎市東部とともに『南武枝線』『受取拒絶』の舞台であり、鯨にとって文学の宿る地なのだなという感慨だった。それは栗山さんにとっての川町=小岩や山本さんにとっての浦崎=尼崎もそうなのだろう。そしてそれぞれの土地はそれぞれにとり決して故郷ではない。前述のように3人はそれぞれに違うのだけれど、場としての土地と文学についてのこだわりは一様なのかもしれない。

 ただ2人はバンドでベースをやっていたこともあるのだろう、鯨とはちがって恵まれた人間であり、人間であることは同時に欠点ともなって、彼らの文学を鯨は全て手放しで「良いですね」と言うことはできない。陸の人と海の人のようなちがいだ。作品が面白いのかどうかとその文学を受容できるかどうかはまた別の話だ。我々は混同しがちであるが作家の評価と作品の評価は別であるように、作品の文学的価値と面白さは全く別の基準で測られる。もちろん、栗山・山本両文学を手放しに受容しえないと表明するのは単に牟礼鯨文学を規定することでしかない。それは、渋澤怜作品群から推測するに牟礼鯨文学は渋澤怜にとって受容できないだろうから渋澤怜が「牟礼鯨作品はつまらない」と表だって言うことは単に牟礼鯨文学を基準にして渋澤怜文学を規定しているだけに過ぎないという事象と同じだ。
私ってかわいそうとか、俺って孤独とかって
そういうやつ、ごまんといるわけだ
でもさ
開き直っているというか、あきらめているというか、達観しちゃったやつって
憐れすぎてどうしようもないだろ(『受取拒絶』より引用)

そういう憐れなやつのままでいられるか、或いはそうではいられないかで住む世界が、海か陸かが、大きく隔たってしまうのだ。
 でも3人の作品はまず読まれるべきである。自分が含まれていることを考慮しないで言わせていただければ、首都圏で何か日本語で書かれた文学作品に関する企画を練っている人がこの3人のうち1人でも欠かしたままでその企画を押し進めることが文学と知に対する怠惰さの証拠であるように、たとえどんな文学的立場を表明していたとしてもこの3人の作品は読むべきである。文庫本なのだから是非移動中に読んではどうだろう。
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 繰り返しになるが「文庫フリマ in 下北沢」が開催されているのは下北沢は茶沢通り沿いの古書ビビビさんである。
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by suikageiju | 2013-12-02 00:54 | 古書ビビビ | Trackback | Comments(0)