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第二回文学フリマ大阪前夜祭
 前回の第十六回文学フリマ同様、第二回文学フリマ大阪でも西瓜鯨油社は文学フリマ前日に入阪する。
 なので前夜は20時くらいから味園ビル2Fのデジタルカフェにいると思う。
 人が集まれば前夜祭になるだろう。「鯨ナイト」として人口に膾炙していたあのことだ。数人くらいの集まりならば文学を祭る。織田作之助を祭る。

行き暮れてここが思案の善哉かな 作之助

 祭であって会ではない。みんな子供じゃないし大人なので人数の集計もしない。自主的にただ来て、飲んで、話して、飲み代を払って帰るだけだ。それだけでいい。それ以上は不要だろう。何をやっても自由だ。突然句会がはじまるかもしれない。いきなりボードゲームかもしれない。疲れたら眠れ。小うるさい人が集まれば唐突に文芸批評会かもしれないが我慢しろ。参加者次第。

9月13日(土)20時
味園ビル2F デジタルカフェスクリプトにて


 その翌日14日(日)は第二回文学フリマ大阪

前回の様子
大阪文学フリマ前夜祭報告
第十六回文学フリマin大阪を過ぎても [上] [中][下]
大阪文学フリマ外伝ー鯨ナイト前編ー
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by suikageiju | 2014-07-22 23:34 | 大阪 | Trackback | Comments(0)
先従隗始
 事を始めるならまず給料払え。

 経営者の好きな故事成語に「先従隗始」がある。書き下すと「先ず隗より始めよ」である。辞書的な意味は「遠大な事をするには,手近なことから始めよ。転じて,事を始めるには,まず自分自身が着手せよ。」(大辞林)だ。
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 自己啓発ビジネスの世界ではこの「隗より始めよ」という成語は「ものごとを始めるとき、自分の考えどおりの行動を部下に求めるのであれば、まず自分から率先して着手しなさいということです。」(故事百選)という教訓とともに語られることが多い。
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 また、この「隗より始めよ」は「率先垂範」(日系BizGate)という言葉とともにも語られる。悪名高き『職場の教養』にも以下のように書かれている。
この言葉は、「大きな事業を始めるには、まず手近なことから手をつけよ」という意味の他に、「事を始める時には、まず言い出した人から実行せよ」という意味のたとえとしても使われています。(『職場の教養』2014年7月14日分)

 自分の勤務している会社の社長が朝礼などでこの「隗より始めよ」という言葉を使い「さあ俺の背中を見るんだ」と一人悦に入っているようだったら、目を背けるだけではいけない。文学の出番である。文学は言葉の前で踏みとどまることを怠った者を揶揄できる力を持つ。

 まず「隗より始めよ」を「手近なことから」「率先垂範」という意味で使うことは決して誤用ではない。慣用された使い方なので正しい。
 しかし創業者型のワンマン社長が「隗より始めよ」をのたまい“大事業”とやらに自ら着手して、社長命令で一般社員をその“大事業”に引き込み、通常業務をずたずたに切り裂き社内をゴタゴタにして、社員は残業に残業を重ね、その上36協定で残業代は定額だとかフザケたことをぬかし出したら、文学的態度を以てこう言ってあげるべきである。

「社長のおっしゃっていた『隗より始めよ』、実は裏があるんですよ」

 この故事成語「先従隗始」は、昔から人気で『戦国策』「燕策」に由来するのだけれど、『十八史略』にも引用されている。機転の効いた弁舌であることも理由のひとつだが、樂毅を描く上でどうしても欠かせないエピソードだからでもある。
燕昭王收破燕後即位燕昭王收破燕後即位,卑身厚幣,以招賢者,欲將以報讎。故往見郭隈先生曰:「齊因孤國之亂,而襲破燕。孤極知燕小力少,不足以報。然得賢士與共國,以雪先王之恥,孤之愿也。敢問以國報讎者奈何?」郭隈先生對曰:「帝者與師處,王者與友處,霸者與臣處,亡國與役處。詘指而事者,北面而受學,則百己者至。先趨而後息,先問而後嘿,則什己者至。人趨己趨,則若己者至。馮幾據杖,眄視指使,則廝役之人至。若恣睢奮擊,呴籍叱哆咄,則徒隸之人至矣。此古服道致士之法也。王誠博選國中之賢者,而朝其門下,天下聞王朝其賢臣,天下之士必趨於燕矣。」昭王曰:「寡人將誰朝而可?」郭隗先生曰:「臣聞古之君人,有以千金求千里馬者,三年不能得。涓人言於君曰:『請求之。』君遣之。三月得千里馬,馬已死。買其首五百金,反以報君。君大怒曰:『所求者生馬,安事死馬而捐五百金?』涓人對曰:『死馬且買之五百金,況生馬乎?天下必以王為能市馬,馬今至矣。』於是不能期年,千里之馬至者三。今王誠欲致士,先從隗始;隗且見事,況賢於隗者乎?豈遠千里哉?於是昭王為隗筑宮而師之」


(あらまし)即位したばかりの燕昭王、自分の燕国をめちゃくちゃにした斉国へ復讐するため、郭隗にどんな人材を登用すべきか訊いたところ、郭隗は故事を引いた。昔の君主に千金で千里馬を求める人がいました。雑役夫(涓人)に金を持たせたところ、死んだ馬の首を五百金で買ってきます。その君主は激怒。すると雑役夫は「死んだ馬に五百金を出すなら、生きた馬ならどれくらい高値で買ってくれることだろう、と多くの良馬が集まりますよ」と返しました。案の上すぐに千里馬が三頭集まったのです。この故事のように王様がもし人材を求めるならまずこの郭隗を重用してください。そうすれば郭隗より賢い人材は千里を遠いとも思わず集まるでしょう。それを聞いた昭王は郭隗のために家を築いた。すると噂を聞きつけた名将・樂毅らが諸国から燕国へ仕官を希望して訪れ、彼らの功績により宿敵・斉国を滅亡寸前にまで追い込むことに成功する。

 これが故事成語「先従隗始」のあらましである。「手近なことから」も正しいし「率先垂範」も正しい。でもそれだけだと郭隗にも燕昭王にも足りない。では何が足りないのか? 手近なことから、率先垂範して、何をすべきとこの故事成語は教えてくれるのか? それは給料である。社員への給料を手厚くすることである。社員に見せるのはがんばっている社長の背中なんかじゃない。そんなのどうでもいい。社員が見たいのは横にしても立つくらい分厚い給料袋なのだ。

「だから社長、給料泥棒であるこの私のボーナスをアップすることからまず始めましょう。隗より始めよ、です」
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by suikageiju | 2014-07-11 21:05 | 雑記 | Trackback | Comments(0)
謝罪文
 牟礼鯨は謝罪する。2009年に牟礼鯨と名乗り文学活動をはじめて以降、牟礼鯨は多くの人を対面で、SNSで、webで、文書で言葉により「傷」つけてきた。未だにその「傷」を抱えている人がいるだろう。その「傷」によりなお牟礼鯨を怨んでいる人もいることだろう。時はその「傷」を癒さない、言い訳はなんて許されない、許してくれなんて言わない。許されるだなんて思わない。しかし、だから、牟礼鯨はここに謝罪する。牟礼鯨が「傷」つけてきた人たちよ、申し訳なかったと。
 「傷」ついた人のうち多くは小説を書いて同人誌即売会で本を売っている人だろう。ある程度のまとまった文章を発表しているなら、その文章を読めば書いた人の弱点が心のどこにあるのかを把握できる。小説をたしなみ程度でもやっている人なら誰でもできるこの力を不用意に行使してしまった。自分もまとまった文章を公表しているからおあいこでしょ、という勝手な理屈で多くの人を「傷」つけてきた。ムルソーばりに社会のコードを読めていなかった。文章を書く人の間ではそれはやってはいけない禁忌だったらしい。なぜなら牟礼鯨以外にそんなことを楽しんでいる人はいないから。その証拠に牟礼鯨は「傷」つけられたことがない。こんなにも周囲の人は優しさに溢れていたのに、牟礼鯨はまるで玩具を与えられたばかりの子供のように「傷」つけ遊戯を楽しんでしまった。だから謝罪する。
 解釈優位のこの社会だ。された方が「傷」つけばセクハラとなる社会だ。読む人が有害だと言ったら児童ポルノとなる社会だ。悪気がなかった、そんなつもりじゃなかった、は許されない。だから謝罪する。「傷」つけたのは牟礼鯨だと、主張する。解釈優位の社会だからって、解釈者に自分を「傷」つける権利なんて与えない。あなたに自分勝手に自分で自分を「傷」つける力があるなんて認めない。あなたを「傷」つけたのは牟礼鯨。だから謝罪する。
 いいか、よく読め。おまえを「傷」つけたのはこの牟礼鯨だ、分かったな? 謝罪する。何度も謝罪する。ごめんなさい。よく覚えておけ。
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by suikageiju | 2014-07-02 01:05 | 雑記 | Trackback | Comments(0)